ヴェトモンの提案する「普通」が世界を変えていく

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AFFECTUS No.29

2017SSオートクチュールコレクション期間中に発表された「ヴェトモン(Vetements)」の2017AWコレクションを見た時、僕は今この瞬間感じるこの感情を、可能なかぎり言葉にしたいという衝動に駆られた。しかし、すぐさま書こうと思ったのだが、あくせくしているうちに時間は経過し、コレクションを見た時に感じたはずの鮮烈な感情が胡散霧消してしまい、何を書きたかったのか忘れてしまった。「鉄は熱いうちに打て」とはよく言ったもので、本当その通りだ。気持ちが熱くなる体験をしたなら、すぐ言葉にすべきだった。今さら言ってもしょうがない。どうでもいい僕の反省が長くなった。

それでも振り絞るように思い出そうとすることで、ヴェトモンの2017AWコレクションを映像で観たときの素直な気持ちがどうにか甦ってきて、最初に書きたい言葉はこれだった。

「よくこんなデザインを発表したな……」

ヴェトモンの最新コレクションに非常に大きな戸惑いを感じた。

困惑した理由は、映像に映し出されていたものが「普通」だったからだ。モードファッションと言えば、これからの時代に向けた最新ファッションを問う場である。とりわけパリファッションウィークは、創造性を競い合う場として世界No.1のレベルを誇る。パリで発表されるコレクションの創造性の深さと広さは、他の都市よりも1段上にあり、世界レベルにおける1段はかなり大きな差である。

ヴェトモンが発表した「普通のコレクション」は、年齢、性別、体型、人種というモデルのありとあらゆる要素に統一感がなく、様々な人々がモデルとして登場し、これが一つのブランドのショーなのかと思えるほどに雑多な印象を受ける。モデルたちが着ている服にも驚かされる。確かにヴェトモンのテイストがシルエットやディテールなどに織り混ざっているが、デザインベースは極めて普通な服に置かれていた。地味と言う印象すらも抱く服である。このコレクションをモードと表することに違和感すら覚える。

また、僕は服のことだけを指して、ヴェトモンの2017AWコレクションを普通と称しているわけではない。

ショーの風景そのものも普通なのだ。どういうことかと言うと、まるで街の風景を切り取って、それをそのままショーに持ってきたかのようである。歩いているモデルを、先を急ぐように後ろから早足で追い抜いていくモデルがいた。これを見て驚いてしまった。本当に街だ、と。通常のショーなら、後に続いて登場したモデルが、先に登場したモデルを追い抜くシーンは見られない。だが、街中では人が人を追い抜く場面など極めてありふれた景色。街中で人が人を追い抜いていく様子を、誰もが目にしたことがあるはずだ。

こんなありふれた風景を、最高レベルの創造性が問われるパリで再現するヴェトモンの、ある意味乱暴とも言える演出には驚くほかない。ここまでリアリティを追求して「街」を持ってきているのか、と。

もしかしたらヴェトモンのデザイナー、デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)自身には、今回のショー演出に僕が述べたような意図はないのかもしれない。しかし、誤解を恐れずいれば、わざわざこんな地味な演出を入れて、ショーの印象の最大化を避ける必要もない。これまでの感覚でいえば、決して感動するようなショーではない。だが、服のデザインとショーの演出は僕の好むタイプとは大きく異なっていたにもかかわらず、通常のショーとは全く別の新しい価値が提示され、そのことに心が揺さぶられた。まるで、街中でヴァザリアが気に入った人間に声をかけ、ショーに誘ったようなコレクションである。

「その格好いいね。そのままでいいから、これからショーに出てよ」

そんなふうにヴァザリアがスカウトしたのではないかと、想像するほどに。

かつてマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)は、過去のコレクションをグレーに染め直しただけのコレクションを最新コレクションとして発表したり、新しい服をデザインせず、マルジェラ自身がいいと思った過去の服を、一切手を加えずそのままコレクションに発表したりと、ファッションの既成概念を様々な角度から幾度も揺るがした。

2017AWコレクションでヴェトモンが行ったことは、マルジェラの行為をアップデートさせたものに思えた。今回のヴェトモンとかつてのマルジェラ、すでに存在している服をそのままショーで発表したようなコレクションだったが(厳密に言えばヴェトモンはデザインしている)、ヴェトモンの方により強い「普通」を感じる。この差は、街の地味な風景を取り入れたショー演出、マルジェラよりもさらに幅広いモデルのチョイス、街を歩く人々のスタイルをそのまま持ち込んできたことに起因している。とりわけ重要な役割を果たしたのが、最後に言及したスタイルである。

「いいものはそのままでいい」

このメッセージを、マルジェラは古着に手を加えずそのまま発表することで、服という物にフォーカスして伝えた。ヴェトモンも同様に服という物にフィーカスしているが、マルジェラが今はほとんど価値が見出されていない古着に価値を見出したのに対し、ヴェトモンは現代の世界で多くの人々が着用しているが、決して特別な価値はないと思われている現代の服に価値を見出し、マルジェラのコンテクストを更新する。

ヴェトモンの2017AWコレクションは、ファッションデザイン史においてエポックメーキングになる予感がする。この方向性が支持と共感を得て、さらに発展していくのか。それともヴェトモンだけの独自の行動で終わるのか、現時点では判明しないが、非常に面白いアクションがモードの文脈に現れた。

ヴェトモンが2017AWコレクションを発表した同時期、ラフ・シモンズ(Raf Simons)による「カルバン・クライン(Calvin Klein)」がクチュールラインとも言うべき新ライン「By Appointment」を発表した。僕はそのビジュアルを一目見ただけで痺れてしまった。待っていた。これが見たかったんだ。ああ、早くショーが観たい。そう胸が高鳴った。シモンズのカルバン・クラインから得た高揚感は、ヴェトモンの最新コレクションでは一瞬たりとも感じなかったものだ。僕は王道のエレガンスに魅了されるタイプの人間である。しかし、僕のような人間でも、今回のヴェトモンのコレクションには揺さぶられる何かがあった。

ヴェトモンは最新ファッションとして普通の服を発表した。これからは普通が世界を変えていくのかもしれない。いや、もう変わり始めている。今、様々なアプリの機能を用いて、プロではない人々が自らのクリエイティビティを発揮し、世界を変えている。プロではなくともクリエイティビティを世に問うことができ、世界から共感を得られる時代が当たり前になっている。それが現在のリアルなのだ。そのリアルもヴェトモンは捉えていた。

もうすぐシモンズが、カルバン・クラインにおけるデビューコレクションを発表する。シモンズのデザインはシリアスでエレガントな王道だ。普通と王道、この異なる二つの軸が近接する今、世界がどうなっていくのか。普通が世界を変えていくのか。それとも……。

〈了〉

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