カルバン・クラインのビジュアルは教えてくれる

AFFECTUS No.48

先日、久しぶりにカルバン・クラインのInstagramアカウントを見たら、そのビジュアルに痺れてしまった。これぞモードと言える王道、デザイナーがその美意識をとことん追求し「カッコよさ」を表現するという手法が見られたからだ。そして、そのビジュアルを僕は純粋にカッコいいと思った。

しかし、今ラフ・シモンズの表現方法が先進的かというと、そうではないと思う。正直言えば、ちょっと一昔前のような古臭さを僕は感じている。ストリートが主役となり、服装のカジュアル化が進行した現代モードでは、かつてのモードのように人々を突き放し惹きつけるラフの手法はいささか古い。デザイナー自身の強烈な世界観を打ち出し、人々の間に断絶的な距離を作る。けれど人々はその圧倒的な世界観に憧れを抱き、その距離を飛び越えて魅了される。

その手法は、デムナ・ヴァザリア率いるヴェトモンの2018SSコレクションと比較すれば、違いを明確に感じられる。

2018SSシーズンにヴェトモンはランウェイショーによる発表を取りやめた。代わりに行った発表方法は写真による発表である。その写真はスイスのチューリッヒで、ストリートを歩く人々にヴェトモンの服を着せて撮影したものだった。写された人々は、老若男女、様々な年齢、人種、そして家族も網羅し、そこには通常のファッションブランドのビジュアルに写し出される美しいモデルたちはいない。リアルな人々ばかりだ。そして、そのリアルな人々はモデルたちと同じようにポーズを取り、カメラの前に立ち、写されている。それらの写真は、ファッション界への皮肉も交えながらリアリティを大切にする現代の時代感をそのまま視覚化したかのようでもある。そして撮影を行ったのは、デザイナーのデムナ・ヴァザリア自身。

翻ってラフによるカルバン・クラインの手法は、王道の中の王道だ。ヴェトモンの2018SSコレクションを見た後に、カルバン・クラインの2017AWキャンペーンビジュアルを見て欲しい。その違いは一目瞭然。ラフのカルバン・クラインのキャスティングは、従来のファッション界の見本ともいえる美しいモデルたちばかりだ。風景にもファンタジーの要素が余すことなく贅沢に注ぎ込まれている。カリフォルニアの砂漠に、アンディ・ウォーホルの作品を使ったビルボードを設置し、そこに一流モデル22人が佇む。撮影をするのは、数々のハイブランドのキャンペーンビジュアルを手がけてきたラフの盟友でもある超一流のフォトグラファー、ウィリー・ヴァンダピエール。「夢」を見せるために、ありとあらゆる最高を求めて手を尽くし、現実のはるか向こう、ファンタジーへと導く。これぞ、まさにモード。

ラフのカルバン・クラインは現実感が薄い。それゆえに、前述したように今はいささか古臭さを感じてしまう。しかし、だからといって、そのビジュアルにカッコよさがないかというと、そんなことはない。古臭さとカッコよさは別でもある。

やはり僕はラフの作り出すイメージは、カッコいいと思う。痺れるカッコよさがある。そして、カルバン・クラインの2017AWキャンペーンを改めて見たとき、ラフはカルバン・クラインに来て良かったと思えた。それほどのブランドとの相性の良さを、僕は感じている。

僕は、モードな服を着たとき、素晴らしいショーを見たとき、それらの瞬間に感じるワクワクとドキドキが、何かに似ていると今日、シャワーを浴びながら考えていた。そして、気づく。映画やドラマ、小説にマンガ、そういった「物語」を観たとき読んだときの感動とよく似ている。あの瞬間のワクワクとドキドキと、とても似ているのだ。

服は、人間が身にまとって初めてその役割を果たす。人間が主人公のプロダクトだ。その要素が極めて強い。服と物語、同じく人間を主人公とする創作物が、僕はどうしようもなく好きみたいだ。

モードは物語を語る。たとえば、ドルチェ&ガッバーナは、シチリアの甘美で情熱的な物語を見せられているようなファンタジーがある。人間の日々の営み、実はそこに未だ見ぬ美しさがあることとその魅力を教えてくれる。それが、モードにおける物語。

しかし、物語を伝えるだけがモードではない。ラフ・シモンズがシグネチャーで発表していた初期のコレクションを見ると、モードの異なる側面を教えてくれる。

ラフの初期のコレクションは「物語」というよりも「感情」を表現していた。大人でも少年でもない。その狭間に生きる若者たちの、繊細で傷つきやすく悲しみの帯びた感情を、ラフ・シモンズはロックといった音楽やトラッドやスクールテイストの服を通して、ショーやビジュアルで表現していた。

「私には、君たちの気持ちがわかる。君たちのための服を作ったんだ」

まるでラフがそんなふうに語りかけてくる服に、当時の若者たちは熱狂した。「初めて現れたオレたちの服」に。ラフの当時のコレクションには物語性よりも、若者の繊細な感情を表現していた側面がとても強かった。「ああ、オレたちの気持ちがわかってくれている」。若者たちの心情に寄り添う服だった。

そして、それから20年近い時間が経過し、20代だったラフは50歳も目前となる。今彼の手がけるカルバン・クラインは、20年前の『RAF SIMONS』の続きを、時間を飛び越えて見せられているかのようだ。あのころの、繊細で気づきやすい若者は成長し、大人になった。でも、確かにあの頃よりは大人になったし、強くもなっただろう。でも、傷つきやすい繊細さと暗さをどこかに引きずっている。そんな人間像を見せてくれている。

それはまちがいなく、あのころの『RAF SIMONS』が成長した姿だ。その人間像は、ラフの現在のシグネチャーでも見ることができていない。ジル・サンダーでも、ディオールでも見られなかった。あのころの『RAF SIMONS』が成長した『RAF SIMONS』。それが、ラフのカルバン・クラインだ。だから、僕はキャンペーンビジュアルを見て、ラフとカルバン・クラインのフィット感をとても強く感じた。ラフ自身のブランドではないが、ラフのシグネチャーと言ってもいいほどのフィット感を。あのころの若者が成長したら、こうなるであろう姿を、ラフ・シモンズのデザインしたカルバン・クラインの服と、ウィリー・ヴァンダピエールの写したビジュアルは見事に視覚化し、僕らの前に見せてくれている。

モードには物語を語る側面もあれば、感情を晒してくれる側面もある。僕が好きなのは、後者のデザイナーがその感情を余すことなく晒す私小説的な側面だ。モードで僕は、物語を読むよりも感情に触れたい。そこに共感し、救われることもあるからだ。怒りや悲しみ、喜びや楽しさ、そういった感情が、服、ショー、ビジュアルに表現されたモードが楽しくて、ずっと好きで、これからも好きでいるだろう。

〈了〉

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