AFFECTUS No.95
ルイ ヴィトンのメンズウェアのアーティスティック・ディレクターに就任し、ファッション界の頂点にたどり着いた感もあるヴァージル・アブロー。もちろん、今後の評価はこれからルイ ヴィトンで発表されていくコレクション次第だろうが、ある種の達成感がそこにはある。
ヴァージル・アブローの評価を高めた要因となったのは、言うまでもなく彼のシグネチャーブランド「オフホワイト」の存在だ。
だが、このオフホワイト、僕は何度コレクションを見ても「よくわからない」という感想だった。いったい何がよくわからないのかと言うと、ヴァージルの本当に作りたいスタイルが見えてこないのだ。
オフホワイトの代名詞。それはストリートだ。ヴァージルは、ファッション界における現在のストリート人気を引っ張ってきた人物の一人でもある。しかし、近年のオフホワイトのコレクションを見ていると、ストリートという印象は僕の中で薄まり、エレガンス色が強まっていた。
では、ヴァージルのデザインはエレガンスなストリートスタイルにシフトしたのかというと、そういうわけでもない。それなら、わかりやすかった。エレガンスを味付けしたストリートスタイルだったなら。しかし、ヴァージルの提案するエレガンスに、ストリートの匂いはほとんどしない。
例えば、2018SSコレクションのテーマは「ダイアナ元妃」。エレガンスの中のエレガンスがテーマになっている。そのコレクションも、オフホワイトの前身「パイレックスビジョン」から続いていたストリートスタイルは、ほぼ消滅している。
ニューヨークのモダンスタイルに、トラディションなエレガンスのシルエットを加え、アヴァンギャルドな味付けを施したコレクションだ。
では、エレガンスを軸に深めた展開が始まるのかと思いきや、先ごろ発表された2019SSコレクションでは“Track & Field”がテーマであり、陸上競技が軸となっている。そこにはエレガンスが確かにあるのだが、印象の大部分はモードにデザインされたトレーニングウェアとスニーカーから来るアスレチックスに端を発している。
このように、近年のオフホワイトはスタイルの変遷が著しい。その振り幅の大きさに、いったいオフホワイトでヴァージルはどんなスタイルを作りたいのか、それがよく見えてこなくて、僕には戸惑いと疑問が浮かび、それがオフホワイトに魅力を感じさせなくしていた。
しかし、2019SSコレクションをよく見ることで、僕は一つの結論に達する。ヴァージルのやりたいことは、こういうことなのではないかという結論に。
それは「コンテクストをデザインする」ことだった。
これまで僕はコンテクスト的意味合いとして、トレンドという言葉を使うようにしてきた。「トレンド」という言葉の持つ響きとイメージが、よりファッションにマッチすると考えたからだった。
だけど、今回は「コンテクスト」を用いて話していきたい。ヴァージルのデザインを説明するには、トレンドよりもコンテクストという言葉が持つイメージがマッチすると思えたからだ。
今、ファッション界のコンテクストで最も重要なのはストリートだ。それは多くの方たちが周知の事実だろう。デムナがバレンシアガ、キム・ジョーンズがディオールのメンズ、そしてヴァージルがルイ ヴィトンのディレクターに就任したことで、ストリートはファッション界のトップオブトップまで到達した。
ここまでくると、そろそろ生まれくるタイミングだ。ストリートに対するカウンターが。そこで、僕がキーになっていると思い、Twitterでも発言してきたのがエレガンスだった。ルーズでカジュアルなストリートに対するエレガンス。スタイルがサイクルするファッションデザインの特性上、エレガンスがコンテクスト上に浮上するのは、自然の成り行きだ。
しかし、エレガンスと一言でいっても種類がある。例えば、クリスチャン・ディオールやイヴ・サンローランのような伝統的なエレガンスがある。それを、ここでは「ハイエレガンス」と呼ぶことにしよう。しかし、ハイエレガンスは、ノームコアからストリートへ続いてきた現在のコンテクストに照らし合わせてみると、上品すぎるスタイルだと僕は感じていた。
そこでキーになるのはエレガンスでありながらも、カジュアルなスタイル。それを「ローエレガンス」と呼ぶことにする。その意味ではトラッドが再びコンテクスト上に浮上する可能性を僕は感じた。
だが、それではいささか新鮮味がない。トラッドスタイルでコンテクストを上書きするのは、特段新しさはない。
エレガンスの持つ特徴、それはクリーンとも言い換えられる。清涼感、清浄さ、そういった類の美しさはアグリー(僕が呼ぶところの「悪趣味なエレガンス」)を魅力とする現在のストリートへのカウンターになる。だからこそのエレガンスだった。しかし、カジュアルさが人々のマインドを支配する現代には、ハイレガンスではマッチしないのではないかと感じた。
そこで僕の中で新たに浮かんだキーワードが「スポーツ」だった。スポーツの持つクリーンさはエレガンスに通じる清涼感を感じさせ、ストリートへのカウンターになる。加えて、カジュアルスタイルでもある。最近では徐々にではあるが、サッカーのユニフォームのタウンウェア化現象も見られるようになってきた。
スポーツも目新しい素材ではないと思われるかもしれない。しかし、スポーツをモードの文脈で成功させた例は、歴史上見てもかなり少ない。スポーツをモード化させ、ビッグビジネスとして成功させ安定して継続させているブランドは山本耀司手がけるY-3とラコステの2ブランドであり、その数は少ない。特にY-3は、モード史で初めてスポーツのモード化を、本格的に成功させたブランドではないだろうか。
そういう意味ではまだ未開拓の分野なのだ。そして、スポーツのタウンウェア化は、ようやくマスマーケットにまで浸透してきた。今こそ絶好のタイミング。スポーツを軸にしたローエレガンスは、ストリートへのカウンターになる。
僕は「次代のファッション」をそのように考えていた。
その視点からオフホワイトのコレクションを見ると、実にうまくコンテクストを理解し、計算してデザインしている事実に気づかされた。明確なストリートからエレガンスへのシフト、そして2019SSコレクションでは陸上競技というスポーツをメインにハイエレガンスを交えて、スポーツとのミックスでエレガンスをロー化するコレクションを発表した。
その事実に気づいた時、僕はヴァージルがファッションデザインで実現させたいことは「コンテクストをデザインする」ことなのだと思え、オフホワイトの魅力を知ることができた(もちろん、これは僕の個人的解釈にはなる)。
しかし、一方で物足りなさも感じる。そのデザインが優等生に思えてしまったからだ。やはり現在のオフホワイトには、デザイナーの「強烈な好き」=文学性を僕は感じることができていない。
やはりヴァージルの文学性は「ストリート」なのではないか。オフホワイトの前身「パイレックスビジョン」には文学性香る強烈な魅力が今見ても強く濃く感じられ、やはり僕はオフホワイトよりもパイレックスビジョンのデザインの方がクールだと思ってしまう。
ルイ ヴィトンのデビューショーのフィナーレ、カニエ・ウエストと抱き合うシーンを見ると、ますます強くなる。ヴァージルの文学性であるストリートを軸に、コンテクストを上書きするデザインを発表して欲しいという思いが。
ヴァージルはアートへ傾倒している。だからこそ、コンテクストをデザインするというアプローチが取れているのかもしれない。今年2018年3月、ヴァージルは村上隆主催のKaikai Kiki Galleryで自身のアート作品を展示する個展「”PAY PER VIEW”」を開催する。
村上隆の著書『芸術起業論』を久しぶりに読み返し、ある記述に目がとまった。
「作品を意味づけるために芸術の世界でやることは、決まっています。世界共通のルールというものがあるのです。『世界で唯一の自分を発見し、その核心と歴史と相対化させつつ、発表すること』これだけです」『芸術家起業論』村上隆著(幻冬舎)より引用
僕は見たい。
ヴァージルがストリートを自らの核心に置き、モードの歴史と相対化させつつ発表するコンテクストなデザインを。
〈了〉