今語りたいステファノ・ピラーティのゼニア

AFFECTUS No.241

自分がこれまで美しさを微塵も感じてこなかったファッションに、突如新鮮で最高の美しさを感じた瞬間があなたにはあるだろうか。僕には明確に思い出せるそのような体験がある。ステファノ・ピラーティ(Stefano Pilati )が「エルメネジルド・ゼニア(Ermenegildo Zegna)」で見せたラストシーズン、2016AWコレクションがそうだった。

メゾンのビジネスを過去最高の実績に導きながら、不遇の扱いを受けた「イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent )」時代を経て、2013年1月からエルメネジルド・ゼニアのヘッドデザイナーに就任したピラーティだったが、3年後の2016年2月にはゼニアを去ることが明らかになった。

彼の退任が発表される1ヶ月前に発表されたコレクションが、ラストコレクションとなった2016AWコレクションである。いったいピラーティが発表した「ラスト・ゼニア」の何が、自分の感覚を一変させるほどの美しさを僕に感じさせたのか。発表から5年余りが経った今、改めて当時のコレクションを見てその感情を語っていきたい。

次々に発表されるルックそれ自体は、まさにゼニアの代名詞となるクラシックなスーツが主役となっている。成功を収めた成熟した男性のみが着用を許される。そう表現してもいい重厚感と重量感を兼ね備えた上質な美しさが、ダークカラーのコートやスーツから匂ってくる。だが、その印象が次第に崩れていく。それはなぜか。理由は素材にあった。このコレクション、使用された素材の多くに柄が用いられているのだが、僕はそれらの柄に渋く暗いグレーに染められた爬虫類の皮膚を連想させていた。

上質上等に仕立てられた服に盛り込まれた毒は、クラシックな美しさが持つ魅力を減少させるのではなく、さらなる魅力を引き立てる。毒とは常に敬遠するものではなく、使い方によっては新しいエレガンスを作り出せる。ピラーティは毒の正しい使い方を僕に教えた。

ランウェイに登場したモデルたちは、端正なルックスを備えたエレガントな男性たちなのだが、ピラーティが毒を注入した美しいスーツを纏うことで昭和のヤクザをイメージさせる雰囲気が漂っていた。イタリアはミラノで、昭和のヤクザを思い浮かべるファッションが発表されるとは。そして、そんなファッションをまさか美しいと感じるとは。僕は自分でも驚く感覚に襲われる。

ボリューミーで野暮ったいタックパンツと、ニットの裾をタックインするスタイリングは昭和ヤクザのイメージをさらに加速させ、洗練とは遠いはずのファッションスタイルはよりエレガンスを研ぎ澄ましていく。

おそらく僕は、ただ美しいだけのファッションに飽きていたのかもしれない。ファッション王道のエレガンスには収まることのない新種のエレガンスを、渇望していたのかもしれない。そのタイミングへ見事にはまったコレクションが、ピラーティのラスト・ゼニアだったように思えてくる。

ファッションが持つ面白さの一つに、カッコよさの価値観が転換する体験にある。それまでは一切の魅力を感じなかったファッションが、とても同じファッションを見ているとは思えないテンションの高まりを感じるほどに、カッコよく美しく見えてくる。自分が否定的に捉えていた価値観を一変させられるからこそ、その感動は大きく強くなる。

好きなファッションに身を浸すこと、感覚を溺れさすことが気持ちよく楽しいのは確かだ。しかし、今となっては同じ体験を続けてしまうことに違和感と疑問を抱く。自分の好きに浸っているだけでは、ファッションの面白さを最大限に体験できないのではないかという疑問が、地表から芽を出すように現れている。時折、人間は自分の感覚を困惑させるファッションに出会うべきではないか。その体験がもたらす刺激と快感は一瞬ではあるが、一瞬に凝縮された興奮はきっと新しい感覚への扉を開く。あなたはそこにたどり着きたいとは思わないだろうか。

僕が「自分はこんなファッションが好きだったんだ!」という発見を知ったのがヘルムート・ラング(Helmut Lang)ならば、ステファノ・ピラーティがエルメネジルド・ゼニアで見せたラストコレクションは「自分がこんなファッションに感動するとは!」という意外性だった。

僕はこれからそんな意外性をファッションで何度体験していくのだろう。果たして何度も体験できるのだろうか。不安と希望を抱きながら可能な限り長く、僕はファッションに関わっていきたいと思う。願うならば、いつまでもファッションデザインがもたらす面白さと共に暮らしていけるように。

〈了〉

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です