華やかで野心的なデルポゾ

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AFFECTUS No.33

発表の場がニューヨークとは思えないほど、ビビッドでダイナミックなコレクションを発表しているブランドに、僕はここ数シーズン注目している。ブランドの名は、1974年スペインのマドリードでヘスス・デル・ポゾ(Jesús del Pozo)が創業した「デルポゾ(Delpozo)」である。創業者のヘスス・デル・ポゾは2011年8月に亡くなり、現在クリエイティブ・ディレクターを務めているのは2012年に就任したスペイン人のジョセップ・フォント(Josep Font)で、フォントはバルセロナで建築・デザイン・パターンを学び、キャリアを積んできたデザイナーである。

フォントが手がけるデルポゾはフェミニンな空気が充満し、「かわいい」という表現がとてもよく似合う。華やかで多様な色と柄の組み合わせが、女性のかわいさを輝かす。だが、ただかわいいだけではなく、ルックには優美さも漂う。そして、華やかで優美なコレクションの魅力にさらなる磨きをかけているのが、精緻なディテールだ。見るなり瞬時に、完成までに要した膨大な時間を想像させる刺繍がそうであるように、パリのオートクチュールブランドに勝るとも劣らない技巧が施されたディテールは、デルポゾの服に魔法をかける。

女性のかわいさをこれでもかと引き出すデザインにプラスされているテイストが、もう一つある。それは未来感だ。1960年代の「パコ・ラバンヌ(Paco Rabanne)」や「クレージュ(Courrèges)」に通じるニュアンスを含んだデルポゾの未来感は、当時のパコ・ラバンヌやクレージュよりもずっとエレガントで、デルポゾの未来的なエレガンスを生み出す源泉となっているのが、ダイナミックかつ不思議な造形だった。

デルポゾの造形の特徴は曲線に集約される。布は自分で意志を持ったかのごとくカーブを描いて女性の身体の上で踊り、布と女性の身体の間に作られた空間が立体感伴う浮遊感を創造する。そこに、クチュールライクな技巧を用いたディテールと、華やかで優美な色と柄が服の表層を飾り、かわいくも不思議、未来的で力強いコレクションを完成させている。僕は毎シーズン見せるフューチャリスティックでダイナミックなデルポゾの造形に、服作りの野心も感じていた。

現状、ファッションデザインの歴史はシルエットの変遷をたどることと同義だろう。女性の身体の上で、どのようなシルエットが描かれてきたのかを記録し続けてきたのがファッション史である。マドレーヌ・ヴィオネ(Madeleine Vionnet)がバイアスカットを用いて流麗で美しいシルエットを描き、クリスチャン・ディオール(Christian Dior)が贅沢に布を使って硬質で力強いシルエットを描き、ココ・シャネル(Coco Chanel)がジャージー素材でフラット&ナチュラルなシルエットを描いてきた。それらのシルエットに対して幾つものカウンターデザインとなるシルエットが生まれ、その連続がファッションデザインの歴史を綴ってきた。

そんな歴史に転換点が訪れる。マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)を始めとする、アントワープ王立芸術アカデミー出身デザイナーたちの登場である。とりわけ、1990年代にデビューした初期のアントワープ出身デザイナーたちは、ファッションデザインの価値をそれまでとは異なる軸へと移動させる。アントワープ派がデザインの軸としたのは、アイデンティティの表現だった。

自分が何者なのか、自分が自分であるために必要な何か、その問いを繰り返し何度も自問自答し、探り当てた答えをファッションデザインに昇華させている。乱暴な言い方をすれば、デザイナーが自身の「好きなもの」を究極に表現した服がアントワープ派のデザインであり、強烈な個性を生む源になっている。

当時のアントワープ派の服には、高価な素材ばかりが使われていたわけではない。時にはチープな素材も使われ、2000年に私が購入したマルタン・マルジェラのメンズジャケットも、ポリエステル55%・ウール45%によって構成された素材で仕立てられ、古着屋で安く売られているジャケットのような素材感だった。しかし、そのジャケットは当時の価格で約7万5千円(現在のマルジェラよりもだいぶ安価だが)、素材だけを見れば高価な価格に見合う価値はないように思える。しかし、僕はその価格に納得した。ジャケットのデザインに唯一無二の独創性を感じたからだ。

やや肩が落ちるぐらいに肩幅は若干広めで、丸みを帯びたシルエットが全体の印象である。そこに特殊な、いやテクニック自体は極めてシンプルな方法のプレスが創造的な味付けを施す。フロントボタンを留めてジャケットの両身頃がフロントで重なった状態でプレスすることで、重なった身頃が素材の表面にプレス跡として残るようにされたフィニッシュは、誰でも思い浮かべることができそうな地味テクニックに思えて、僕の知る限り他のデザイナーは誰も行っていない、マルジェラだけが発見し、実行していた(これが重要)テクニックだった。

誰が好き好んで、プレスの出来損ないみたいな仕上がりを、積極的にデザインとして取り入れるだろうか。マルジェラだけが持つ特別な視点だ。言うなれば、僕はプレス跡に特別な価値を感じて高価なジャケットを購入したことになる。そして購入から15年以上経った今も、僕はマルジェラのジャケットを大切に着用している。

シルエットがデザインの象徴と歴史だったファッションを、シルエットから解き放ったのがアントワープのデザイナーたちだった。素材が普通でも、シルエットに新鮮さがなくても、服のどこかに強烈な個性が表現できれば、歴史を変えられることを、新時代の才能たちが証明する。

しかし今、再び服のシルエットに焦点が当てられる時代が訪れた。ただ、以前と異なる点がある。それはシルエットに加えてボリュームがキーになっている点だ。シルエット&ボリューム(=造形とここでは呼ばせてもらう)に「自分の好きなもの」を究極に表現するブランドが登場する。それが「ヴェトモン(Vetements)」である。デザイナーのデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)が、アントワープ王立芸術アカデミー出身というのも興味深い。「造形+自分の好きなもの」をデザインベースにしたブランドが世界を変え、ストリートが全盛を誇る現代を誕生させた。

そんな時代を鑑みると、デルポゾのアプローチは造形の比重が高く、やや古典的なアプローチに思える。僕はデルポゾのコレクションに、1950年代のオートクチュール黄金期のようなアプローチを思い出す。だが、デルポゾとオートクチュール黄金期のブランドには、若々しさと新鮮さという確かな相違点が存在する。

50年代のオートクチュールドレスとデルポゾの間に違いを生んだ理由は、肌を見せる面積の大きさと、幼児体型を思わせる造形がミックスされていた点にある。デルポゾは女性の肌を美しく見せる軽やかな印象が美しい。また、クリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga)のような幼児体型を思わす造形を、大人の女性が着ることで不思議なニュアンスを生み出し、それが若々しさと新鮮さにも繋がり、古典的なアプローチでありながら古く感じさせない新しさを、デルポゾはもたらしている。

ファッションの文脈に新しい解釈を刻むブランドが、パリではなくニューヨークで発表していることも面白い。華やかさの一方で、ファッションデザインの歴史への挑戦を繰り返す野心なデルポゾを、僕は今後も注目していきたい。

〈了〉

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