新生ジル・サンダーから匂う東洋の香り

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AFFECTUS No.50

ルーク・メイヤーとルーシー・メイヤー夫婦による新生ジル・サンダーのコレクションが、ブランドのオンラインショップで販売開始された。とうとう、彼らのコレクションがビジネスの場で問われることになる。二人のニューコレクションは2018Resortから始まっていたが、ランウェイデビューは2018SSからになる。まだ彼らのコレクションは二つしか発表されていないが、彼らがディレクションするジル・サンダーのデザインについて今回は書いていきたい。

僕がジル・サンダーを知って約20年。その間にディレクターは何度も交代してきた。創業者のジル・サンダー本人、パリのセレクトショップ「コレット」の創業メンバーでありバイヤーでもあったミラン・ヴィクミロビッチ、天才ラフ・シモンズ。ラフ退任後に再びジル・サンダーがディレクターとなったが、またすぐに辞めてしまい、彼女の後任となったロドルフォ・パリアルンガ。彼らのコレクションを見てきて思うのは、ディレクターが誰になってもブランドの方向性が一貫していたということ。誰がディレクターになっても、ジル・サンダーは常にピュアでクリーン。見た瞬間、「ああ、ジル・サンダーだ」と思えるデザインに完結している。ディレクターの交代によってブランドのデザインが大幅に変わるようなことはない。

ブランドには強靭なコンセプトがあり、それが顧客に支持され続けてきた証拠とも言える。ルーク&ルーシーの新生ジル・サンダーも、それは同様だった。

ジル・サンダーのアイデンティティ・カラーとも言える黒と白をベースに、これまたアイデンティティ・アイテムともいえる白いシャツをバリエーション豊富に見せながら、シンプルなコーディネイトで綺麗に潔くデザインされたコレクションだ。

ただし、これまでのジル・サンダーにはあまり見られなかったニュアンスがあった。なんと言ったらいいのだろう。とても東洋的な香りだった。「禅」の精神で作られた西洋の服とでも呼べばいいのか。それはデビューシーズンとなった2018Resortから感じられた。

黒いロングコートのシルエットは膝下まで伸びるロングレングスで、シルエットが緩やかなAラインを描いている。その姿が僧侶を連想させて、そのイメージを西洋の服で表現されているところに新しさを僕は感じた。基本的にシルエットが緩い。身体にフィットするシルエットは少なく、身体の体型=人間の個性と捉える西洋の価値観的服とは異なる空気を放つ。スタンドカラーのシャツや衿のないノーカラーコートが多いことも、僧侶を連想させたのかもしれない。

正直、ルーク&ルーシーが東洋を意識してデザインしたのかはわからない。彼らがまったく意識していなかった可能性も大きい。この東洋的香り、僕が思うに、夫であるルークのテイストではないだろうか。ルークはストリートのカリスマ「シュプリーム」の元ヘッドデザイナーであり、現在では自身でモードなストリートブランド「OAMC」も手がけている。ストリートの服には、身体を締めつけないルーズなシルエットが多い。その流れが、ジル・サンダーにも持ち込まれたデザインだとニューコレクションを見ていて僕は感じた。

おそらく、この東洋的香りは偶然の副産物ではないかと思う。ルークのルーズシルエットをジル・サンダー的解釈で持ち込み、白と黒をベースに表現して生まれた結果の偶然の副産物。その偶然が、これまでにないジル・サンダーの新しい魅力を作り、ファッションデザイン的に見ても面白い文脈に位置するデザインが生まれた。

身体を締め付けないオーバーサイズのビッグシルエットは、現代のトレンド。そのトレンドの始まりは、言うまでもなくデムナ・ヴァザリア率いる「ヴェトモン」が引き起こしたもの。

通常ファッションデザインは、主流となったデザインへの反動から逆に振れることが多い。現在のケースで言えば、ビッグシルエットからスリムシルエットへ移行するタイミングがそろそろやってくると僕は思っていた。しかし、そのタイミングはまだこないようだ。いや、むしろ新しい流れが始まっている。今は新しいビッグシルエットの模索が始まっている。

完璧にスリムシルエットへ振れる前にワンクッション入ったような形で、しかし、そのワンクッションが新しい方向へ時代を導こうとしているかのよう。ビッグシルエットのスリム化とも言える現象が見られる。それは単純にボリュームダウンを意味しているわけではない。ボリューム感をベースにしながらも、身体のどこかでミニマムな量感と身体の体型を匂わすラインが混在している。それはまるで西洋的価値観と東洋的価値観がミックスされたようで、ウェブとSNSが発達して価値観が多様化し、ブームに時差がなくなってきた現在の世界を表しているかのようだ。

服は時代を着ることだと僕は思っている。現在のモードは、まさにその時代感を表現している。その流れの中で発表されたルーク&ルーシーのジル・サンダー2018Resortは、現代の流れを絶妙に捉えた服だと思え、そして東洋的な香りがする西洋の服という新鮮な文脈を作ることになった。

その流れはランウェイデビューとなった2018SSでも継続されていて、とても好印象なコレクションだった。ただ、個人的には2018Resortの方がデザインはよかったと僕は思っている。2018SSはいささかコンセプチュアルな匂いが強すぎるように感じた。特にジル・サンダーということを考えると。ジル・サンダーはモードではあるが、リアルであることも重要。その点、2018Resortはリアルなアイテムの残像をうまく残しながらデザインされていた。

ルーク&ルーシーのジル・サンダーは期待値が大きいが、その点が一抹の不安でもある。コンセプチュアルな方向に振れ過ぎてしまわないか、そこが不安だ。小難しい服になるとビジネス的にうまくいかなくなる。それはフセイン・チャラヤンの現状を見ると感じてしまう。チャラヤンは素晴らしい才能を持っているが、どうしてもビジネス的にはうまくいっている印象がない。

話は戻る。この「東洋的な香りの服」という意味で、モード史で見逃せないのがイッセイミヤケが1973年に発表した「一枚の布」だ。平面的な「布」を思わす形でありながら、人間の身体を包む服。この系譜を受け継ぎ、現代的な形で解釈した服としても、ルーク&ルーシーのジル・サンダーは位置付けられる可能性がある。それは今後のコレクション次第であるが、彼らのコレクションがどこへ向かっていくのか、とても興味深い。

また、その「東洋的香りのする西洋の服」という意味ではオートクチュール黄金期の1950年代にも見られた。クリストバル・バレンシアガだ。彼の服は他のクチュリエたちとは一線を画す。他のクチュリエが、女性の身体のラインを強調し綺麗に見せる服を作っていたのに比べ(ココ・シャネルは少し異なるが)、クリストバルは女性の身体を曖昧にするシルエットの服を作り出していた。あの身体の体型を抽象化するクリストバルのデザインは、その後のイッセイミヤケの「一枚の布」にも繋がるデザインに思え、身体を抽象化する服、それは巨大な布のオブジェとも言えるコレクションを発表する現代のコム デ ギャルソンにも繋がるだろう。

モードとはいったいなんだろう。ジル・サンダーを見ていると、その思いは強くなる。ディレクターが誰になっても、ジル・サンダーの服はピュアでクリーン、かつシンプルなデザインだ。しかし、シンプルなデザインといってもその服の空気は、日本で人気の「ベーシック」とは似ても似つかぬ強烈な空気を放っている。それは服を「今ここからさらに先へ」と押し進める力強さを感じる。その力強さがモードを感じせる。服が奇抜だからモードなのではなく、今の服を様々な視点から解釈して、次の時代の服へと挑戦的に押し進める行為。それがきっとモードだ。

禅の精神で作られたかのようなルーク&ルーシーの新生ジル・サンダーにもモードな空気が漂う。そこには、東洋の香りのする西洋の服という新鮮な価値が感じられたからだろう。次回のコレクションでどのような姿を見せるのか、とても楽しみだ。その日を待ちたい。

〈了〉

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