モードが世の中で果たす役割

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AFFECTUS No.51

ユニクロやザラといったファストファッションが全盛の今、日本では高価格帯でデザイン性が強いモードファッションの存在意義が問われている。その表現は決して大げさではない。モードが好きだと自然と周りにそういう人間が多く集まるし、今でも世の中にモード好きが多いと思うようになる。

事実、昔はそうだった。僕がモードを知った約20年前は。しかし、今は違う。想像以上に、モードが知られていない。モード界のブランドやデザイナーの名前が、世間に本当に知られていない。昔ならブランドやデザイナーのことは詳しくは知らなくても「名前は知っているよ」というケースが多かったが、今では「誰それ?」状態である。人々の間で好きなブランドに、モードブランドが上がることも少ない。それは服飾専門学校という、比較的世の中で服好きが集まっているはずの環境でもそうなっている。学生たちがあげる好きなブランドにファストファッションが多く上がることが、その事実を物語っている。

そして、高価格帯であることがさらにモードを世間から遠ざける。なぜ、こんなにも高いのか。低価格帯で高品質な服、加えてトレンドもうまく乗っている服が大量にある現代なら、その疑問も当たり前だろう。ザラを見ていると、その思いはますます強くなる。

そのような事実を実感することが増えるにつれ、自分は錯覚していたと自覚する。モードに関心のある人々は多い、それは錯覚だと。そんな現状だから、「服にこだわることはダサい」「バカ高いモードを着るのはダサい」という声も聞くようになる。なかなかの頻度で。なるほど、確かにそれはそうかもしれないと、思ったりもする。

じゃあ、モードはもういらないのか?と聞かれると、僕はそれは否定する。モードは必要だ。それは断言できる。モードに興味のない人でも、知らないうちにモードから影響を受けている。モードは世界を前進させるための装置だ。

この1〜2年、街中を歩いているとビッグシルエットのMA-1を着る若い世代を多く見かけるようになった。性別を問わず、男女ともに多い。20代前半ぐらいの若い人々が着ている姿をよく見かけ、MA-1に限らず、ビッグシルエットの服を着る若い世代がとても多いことに気づく。

このトレンドは、あのモードなブランドから始まったものだ。そう、言わずと知れたヴェトモンである。ヴェトモン登場以前、街中でビッグシルエットの服を着る人々は現在ほど多くなかった。しかし、ヴェトモンの登場で(正確に言うとヴェトモンのデザインにストリート色が強くなった時期以降)、世界は一変する。ヴェトモンは世界を変えた。ビッグシルエットは人々の心を掴む。

おそらく今、ビッグシルエットのMA-1を着ている人たちの中で、ヴェトモンのことを知らない人たちもいるだろう。自分たちが着ている服のスタイルを生み出したのがどんなデザイナーなのか、どこから生まれてきたのか知らない人たちはきっとたくさんいると思う。しかし、それでも新しく生まれたスタイルに魅力を感じて、そのスタイルが体感できる服を購入し、身にまとって、街を歩く人たちが生まれていった。

ここで注意したいのはヴェトモンのスタイルが、ダイレクトにマス層の消費者へ響いたわけではないということ。ヴェトモンと消費者の間にはクッションがある。それがアパレルメーカーのブランドや大手セレクトのオリジナルブランド、あるいはODMといった企業が企画生産する服の存在。それら企業の存在がクッションとなり、ヴェトモンのスタイルが消費者に浸透することになった。

一見関係ないモードブランドのデザインが一般的に浸透するのは、アパレル業界の構造が理由でもある。モードブランドは、良くも悪くも先述のアパレルメーカーなどのインスピレーション源なのだ。モード界で流行る現象が目に止まったら、それを取り入れて自社の顧客に合うように商品企画を行っていく。そしてその商品が店頭で販売され、多くの人々の目に触れ、購入されていく。パリコレクションやミラノコレクションのデザインを全く見ないメーカーは少ないだろう。コレクション情報は商品企画において大切な資料となっている。モードブランドだって、互いに見合っている。パリコレでビッグシルエットがトレンドになっていることが、それを証明している。そうでなければ、示し合わせたように、あんなにもたくさんのブランドがビッグシルエットばかりにはならない。

これはファッションデザインの特徴と言える。これをやりすぎると「パクリ」となるし、そのブランドらしい解釈でうまくデザインすると「新しい視点」となる。トレンドというと、売れ筋・流行商品というイメージを抱く方たちは多いだろう。しかし、トレンドはファッションのルールと言える。コンテクストとも言っていい。その文脈に乗ってデザインすることで、ファッションデザインは価値が生まれてくる。

いい服だけど、着たい服ではない。その差を生むのは、トレンドという時代の空気を服に乗せているかどうか。「着たい」という欲を刺激するには、トレンドを捉えて表現しなくてはならない。批判されがちなトレンドだが、トレンドの存在がファッションを面白くしている。以前なら「ダサい」と思って着たくなかった服が、今は魅力を感じて着たくなっている。そんな経験をした方はたくさんいるだろう。価値観が一変する感覚の驚きと楽しさ。これもファッションの魅力だ。

モードは今でも巡り巡って、世の中へ大きな影響をもたらしている。古くはイヴ・サンローランがスモーキングルックを発表して、女性のパンツスタイルを日常化させたり、00年代ではトム・ブラウンが発表したくるぶしを見せる短いパンツ丈のスタイルも男性のファッションを変えた(トム・ブラウンは奇抜なコレクションばかりに目がいくが、新しいメンズスタイルを作ったデザイナーで、彼のモード史への貢献はとても大きい)。

モードは人々の服装を変える。人々の服装が変われば、街の装いは変わる。そして、変わった街の装いを多く目にすると人々の感覚も変わっていく。人間である以上、視覚から得られる情報から完璧に影響されないことは不可能だ。多かれ少なかれ、影響は受けてしまうし、感覚も変わっていく。

毎日使っていた携帯電話がスマートフォンという形態になり人々の感覚は大きく変わり、様々なサービスが生まれ世界中の人々の生活スタイルが激変した。iPhoneが世界を変えたように、日常触れているものから人間はどうしたって影響を受ける。

現在、時代の中心と言える業界はIT業界であることはまちがいなくて、ファッションは今や時代の中心と言える産業ではないし、これまでの習慣や制度が疲労を起こし、問題も多く抱えている。しかし、ファッション、特にモードにはまだまだ世界を変える力がある。ヴェトモンが世界を変えたように。グーグルやアマゾンといった今や世界を支配していると言ってもいい、巨大資本の巨大IT企業がファッション分野へ進出するのはファッションに価値を見出しているからだろう。

モードとは、今ここからさらに先へ新しく前進していくこと。その姿勢はいつの時代になっても必要だ。望む望まないにかかわらず、否応無しに世界は変わっていく。変わっていく世界を生きるには、自らを新しくしていくことも必要だ(変わらないという選択肢もある)。モードはその手助けをしてくれる。それが、今モードが果たす役割だと僕は思う。

人々がこれからの時代に、本当に欲するニーズは何か。そのニーズを先んじて提案していく。モードにはそれを実現する力がある。変わっていく世界を、新しい感覚で楽しみたい。だから、僕はこれからもモードを味わっていきたい。

〈了〉

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