AFFECTUS No.63
とうとうキム・ジョーンズの後任が発表された。新しくルイ・ヴィトンのメンズアーティスティック・ディレクターに就任したのは「オフホワイト」のヴァージル・アブローだった。ディオール・オムのディレクターを辞任したクリス・ヴァン・アッシュが後任になるのではという予想もあったが、蓋を開けてみれば驚きの人選だった。
しかし、よくよく考えてみると、キム・ジョーンズ後の「ヴィトン・メンズ」を考えれば、ストリートのヴァージルは適任だろう。
僕はヴィトンにはメンズ・ウィメンズの両方において、シグネチャースタイルがないと常々感じている。それはヴィトンの歴史を見ればしょうがないことだろう。鞄のブランドであったヴィトンがウェアラインを始めたのは、マーク・ジェイコブスがディレクターに就任した1998年。元々服の歴史がないがゆえ、シグネチャースタイルの確立は簡単ではない。それは、ウェアラインがスタートして20年経過した今でも言える。天才ニコラ・ジェスキエールでさえも確立できていないと僕は感じている。
「これぞルイ・ヴィトン」
そう思えるスタイルを、ヴィトンからすぐに浮かべることはできるだろうか?
しかし、メンズに関しては言えば、シグネチャースタイルの萌芽が生まれ出したように感じる。キム・ジョーンズの力によって。キムの果たした功績は大きい。彼はウェアラインにおけるヴィトン史上最大の功労者と言えるのでは。
その契機となったのは、やはりシュプリームとのコラボコレクションが発表された2017AWだ。ストリートとラグジュアリーのフュージョン。このスタイルの醸す匂いが、旅行鞄という伝統を持つヴィトンの「贅沢と自由」にようやく近づいたと思えた。ヴィトンはただラグジュアリーなだけでなく、エレガンスが全面に出るでもなく、開拓精神とも言える自由さが漂う美しさと贅沢さが似合うように僕は思う。その空気をストリートはもたらし、エレガントでラグジュアリーなストリートスタイルを作り上げた。
それまでのヴィトンの顧客にはこの美しさ香るストリートスタイルがどう思われたのかはわからないが、ヴィトンの顧客ではない僕から見ると、新しくも核になり得るスタイルに感じられた。
近年のその流れを見れば、ヴィトンがキムの作ったストリートスタイルを継続するのは極めて自然な選択だろう。ビジネス的にもクリエイティブ的にも。
そこで気になるのは、ヴァージルによるヴィトンメンズのデビューコレクション。ヴァージルはいったいどんなコレクションを発表するのだろう。
ここからはその予想ではなく、僕の願望を語っていきたい。予想するのは、ありきたりになりそうでつまらなく思えたから。こういう視点で語るのも良いのではないだろうか。
結論から言いたい。
「パイレックスビジョン」みたいなストリートど真ん中を、ヴィトンで派手にやってみて欲しい。
パイレックスビジョンはオフホワイトの前身となるブランドで、ネルシャツやフーディ、ショーツ、マイケル・ジョーダンの背番号「23」をベースにグラフィックデザインを施した、現在のオフホワイトよりもストリートの匂い強烈濃厚なデザインだ。
それをハイファッションの王道パリコレで、その王道の中心にいるラグジュアリーのヴィトンで「かましてやろうぜ!物議醸そうぜ!」の精神で思いっきりやってみて欲しい。
現在のオフホワイトは、数シーズン前からエレガンスが強くなり始めた。それ自体はスマートな判断だと思う。ストリートからのカウンターとしてエレガンスが来るのは確かで、その流れを汲んでコレクションを作り上げてきたのは秀逸と言える。2018AWウィメンズではダイアナ妃をテーマにするなど、エレガンス色をいっそう強めている。
そういうエレガンスへの移行があったからこそ、ヴィトンとの親和性が高まり、ヴァージルがディレクターに選ばれた側面はあると思う。
いや、しかし、だ。ヴィトンでもそのままエレガンス色の強いストリートスタイルを発表しても面白くない。エレガンスへの流れが来ている今こそ、あえてストリート色全開でコレクションを作ってみて欲しい。
僕がそう思う一因はベルルッティにあった。ハイダー・アッカーマンがディレクターに就任したが、わずか3シーズンで退任となってしまった。彼のコレクションはベルルッティのスタイルを作ろうと奮闘して、とても真面目な作りに感じて好印象だった。しかし、真面目過ぎて、面白みに欠けるように思えたのも事実。
ベルルッティもヴィトン同様にシグネチャースタイルはない。だったら、ハイダーは自分のシグネチャーブランドみたいにベルルッティを思いっきり自分色に染めてしまえば良かったのではないかと思えた。ハイダーならではのオリエンタルな匂いを全開にしてベルルッティを作り上げてしまう。
物議は醸すかもしれない。顧客は反発するかもしれない。しかし、話題にはなる。人間の特性の一つに「慣れ」がある。最初違和感を感じても、時間と経過と接触頻度の増加で、次第にその違和感に違和感を感じなくなる特性がある(常にではないが)。その人間の特性を利用して、物議醸すコレクション発表してブランドへの注目を集め、メディアでもブランドサイトでもSNSでもそのニュースタイルを何度も発信して、人々とブランドの接触頻度を高める。そうしてコレクション発表から半年後に商品をリリース。その戦略をやれば、ハイダーのベルルッティはまた違う結果をもたらしていたようにも思えるのだ。もちろん失敗してた可能性もあるが、ただ、その方が人々の関心を呼ぶ「面白さ」があったように思う。
その意味では、デムナはバレンシアガで実践したことはかなりうまい。どこまで計算して行ったのかは不明だが、戦略としてはうまかった。
僕はヴァージルもヴィトンで、デムナみたいに反発呼ぶぐらいに「自分色」を出してみれば良いのではと考える。その方が断然に面白い。エレガンスとラグジュアリーとストリートのうまい融合なんていう優等生的コレクションは作らず、派手にぶちかまして欲しい。
そんなモードな姿勢が見てみたい。それでビジネスを成功させたらカッコいいじゃないか。真のカリスマの誕生だ。
今回はいつもよりも好きに語らせてもらった。大人しく書くことに自分自身つまらなさを感じていたから。
ヴァージルによるデビューコレクションは来月6月に発表される。かなりの注目を浴びるだろう。その日を楽しみに待ちたい。
〈了〉