エディ・スリマンが変わらないことで売れていく理由の考察

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AFFECTUS No.85

エディ・スリマンがファッション界へ戻ってくる。その時がいよいよ来月に迫った。残り1ヶ月である。2018年9月28日20時30分(現地時間)、エディによる「CELINE(セリーヌ)」のデビューショー、2019SSメンズ&ウィメンズコレクションがパリコレクションで発表される。

エディの突然のファッション界復帰が報じられたのは今年1月。前職の「SAINT LAURENT(サンローラン)」のクリエイティブ・ディレクターを2016年4月に退任してから、2年も経たない内での復帰となる。想像以上に早い復帰だった。

今最も注目されるのはフィービー・ファイロの後任として、エディはどのようなデザインを発表するのかということだ。多くの人たちの予想は「変わらない」だろう。「Dior Homme(ディオール・オム)」やサンローランでおなじみの、ロックでエッジでスキニーなスタイルが再び披露されるはず。

その予想はおそらく当たる。しかし、これまでよりもルーズな雰囲気とボヘミアンな要素が、これまでよりも濃く滲み出る可能性が高い。

なぜそう思うのか。

それが今回のテーマにつながる重要なキーとなっている。

エディは自身のスタイルを変えない。それがディオールであれサンローランであれ、発表するコレクションは同ブランドなのかと思うほど、どれも酷似している。もちろん厳密に言えば変化はあるし、デザインは異なる。ディオール・オムよりもサンローランの方が、妖艶さは増しているし装飾性もアップしている。しかし、エディのコレクションは、ロックなイメージとスキニーなシルエットがどのブランドにおいても変わることがないのだ。

いや、ブランドだけにとどまらない。トレンドがビッグシルエット全盛になろうとも、身体に張り付くほどと形容してもいい極細シルエットを止めることはない。ディオールやサンローランといった伝統を誇るラグジュアリーブランドを、その遺産を生かすのではなく自身のシグネチャーブランドのようにエディカラーに染め上げる。ロックでエッジでスキニー。そのスタイルが、いつどのブランドどのトレンドであっても一貫している。

ファッションでは変化が重要だ。とりわけビジネスにおいては。商品に新鮮味を打ち出すことで、消費者の購買意欲を刺激し、売上を伸ばす。それを毎シーズン、毎年継続させていく。ファッションビジネスにおける王道のアプローチといえる。しかし、エディはその王道の真逆を行くアプローチ「変わらないこと」で、ブランドのビジネスを爆発的に伸ばしてきた。

ステファノ・ピラーティがサンローランを率いてた2011年当時の売上高は、3億5370万ユーロだった(WWD JAPAN 2012年3月5日号より)。その後、エディがピラーティの後任として2012年にクリエイティブ・ディレクターに就任してからの4年、サンローランの売上高は2016年には12億ユーロまで増大した( WWD JAPAN 「ケリングが『サンローラン』売上高倍増計画発表」より)。そして、エディが就任したセリーヌは、売上高の倍増(10億ユーロ→20億ユーロ)を計画している。それが、エディなら実現可能とセリーヌの経営陣は考えているのだ。

エディ・スリマンというデザイナーは、世界有数のブランドを稼がせるデザイナーだ。彼は「スタイルを変えないこと」で売上を伸ばしている。なぜ、エディ・スリマンは変わらないことで売れていくのか。なぜ、ファッションビジネスの王道に反したアプローチで売れるのか。その理由を、今回は考察していきたい。

今言えるのは、エディはデザイナーやクリエイティブ・ディレクターという呼称よりも、マーケターという呼び方がふさわしいということである。売れる商品を作り、その商品を売れるようにしていく。エディの行動を見ていくと、その目的を実現させるマーケターのようだ。ただし、精緻な数字分析を必要としない感覚派マーケターだと思える(果たしてそれが、マーケターと言えるのかと批判を受けそうだが)。

ファッションはクリエイティブが魅力であるが、ビジネスでもある。エディの行動を改めて見ていくと、ファッションビジネスの王道には反してもビジネスの王道には忠実だった。だからこそファッションビジネスの常識に抗っても、他のデザイナーを圧倒するビジネスの結果を残せてきたと僕には感じられた。

その詳細について以下で述べていきたい。

エディによるサンローランのラストショーは、2016年3月にパリで発表された2016AWになる。だが、そのコレクションはウィメンズのみの発表だ。メンズコレクションが最後に発表されたのは、その1ヶ月前、2016年2月。場所はパリから遠く離れた地、アメリカはロサンゼルス。そこで開催されたメンズ&ウィメンズの2016AW合同ショーこそ、私はエディの根源をフルに発揮した実質的なラストショーだと捉えている。

2016AWコレクションと、エディが自身で撮影した写真をアップするウェブサイト「HEDI SLIMANE DIARY」で、2016AWコレクションの制作期間であったと思われる2015年10月から2016年1月までにアップされた写真と比較することで、エディの「変わらないことで売れていく理由」の秘密が見えてきた。

パリの代名詞といえるサンローランの最新コレクションを、ロサンゼルスで発表することに驚いた人たちも多いだろう。私も驚いた。このコレクション、今改めて見てみると、エディスタイルの完成形と言えるほどにデザインが磨き上げられている。天井を走る煌めく贅を尽くしたライト。享楽的な音楽。その贅沢を謳歌するようなスキニー&クールでありながら、クリーンとは対極を成すデコラティブなスタイルで、フロアを交差していく男女のモデルたち。パリとは異なるラグジュアリーの姿がそこにはあった。

まるで1980年代のディスコのギラつきをキープしたまま、そのスタイルを当時のビックショルダーといった誇張されたシルエットではなく、ミニマリズムなフィルターを通してシルエットをスキニー化し、だけど、そこに装飾性強い素材と挑発的な色でコーティングしたようなファッション。一見すると下品に見える。しかし、ある特定の人間たちの欲望を満たす美しさを備えたファッションだと今の僕には感じられた。

このコレクションが制作期間中であったと思われる時期に、エディは何を写していたのか。2015年10月から2016年1月の間、「HEDI SLIMANE DIARY」にアップされた写真を私は全て見てみた。そこにあったのは、2016AWコレクションのプロトタイプと言える若者たちの姿だった。

ライブで音楽に陶酔する多くの若者たちが写されていた。男女問わず皆一様に身体が痩せていて、何年も着込んできたような古びた服を着ている。もちろん服のシルエットは細い。女たちは胸元を大胆に晒すトップスや、蛇や豹をモチーフにしたアニマルプリントのライダースを身にまとい、男たちは幾何学模様のシャツや首元がヨレていないTシャツとノースリーブカットソーを着て、その上にはジャケットやライダースを羽織り、女たちよりもスマートな佇まいであった。しかし、この若者たちが醸す空気は同じだった。享楽的で色気がにじみ出ており、自由を謳歌している。

エディは、ロックに陶酔する若者たちが身にまとう服をベースに、その服の特徴をさらに磨き上げ、若者たちの欲望を表現するにふさわしいスタイルを作り上げていた。素材、柄、ディテール、シルエット。それらの要素に「新しさ」を盛り込み、若者たちが見慣れているはずの服が、若者たちがそれまで着たことのない贅沢さと豪華さを備えた服へと変貌させていた。それがサンローランの2016AWコレクションだった。

エディはターゲットが明確だ。ロックに陶酔する男女の若者。身体は痩せていて、カジュアルな服を好み、細いシルエットが大好き。でも、新しい服を綺麗に着こなすのではなく、古着をクールに着ることを好む。ライブへ通い、そこで踊り、楽しみ、喜ぶ。これがエディのペルソナだと私は考える。

エディはペルソナの具体化ができていて、ペルソナの観察を積極的に行う。それがフォトグラファーとしての活動だ。エディはライブ会場へ自ら足を運び、彼がペルソナとする若者たちの姿を、大量に膨大に写し続ける。その過程で、若者たちと話をすることもきっとあるはず。

エディは街を歩く若者に自ら声をかけてモデルをスカウトするぐらいだ。若者たちの声に耳を傾けることは容易だろう。そうやって消費者インサイトを天才的に掴む。そういった行為の連続で、ターゲットのニーズを掴み、そのニーズをさらに予想もしない方向へ磨き上げ、ターゲットの前に提示する。

「こんな服があったのか!これが俺の欲しかった服だ!!」
「え!?何あれ!?私の着たい服がなんであそこにあるの!?」

それがエディ・スリマンのデザインだと僕は考える。

このアプローチを見ていると、エディはマーケターと呼ぶにふさわしい。明確にマーケットとターゲットを設定し、ターゲットが頻出する場=ライブへ足を運び、資料を収集し(写真撮影)、ターゲットの行動をリサーチ(ロックに陶酔する若者たちが着る服の調査)をする。彼はそれを何年も繰り返してきた。

それだけじゃない。エディはターゲットたちが住む街=ロサンゼルスに自ら住んでいる。日常的にターゲットの行動を把握しているのだ。そこで捉えたニーズを元に、そのままの服を作るのではなく、その服の中で若者たちが好きであろう要素をピックアップ&グレードアップさせ、見たことのある服を見たことのない服へ変貌させる。その結果が、ターゲットを熱狂させ、売上を増大させてきた。

ここまでの行動をするデザイナーが他にいるのだろうか。しかも、世界最高クラスのラグジュアリーブランドのディレクターという立場で。

つまりエディが変わらないのではなく、若者たちが変わらないのだ。エディはターゲットとする若者たちのスタイルが変わらなければ、コレクションで発表するスタイルをきっと変えない。

需要に対して適切な供給を行う。エディはビジネスの王道を実践していた。だからこその、変わらないことで売れていく理由だと私は考えた。

前半で僕はエディがセリーヌで発表するコレクションついて、こう述べた。

「これまでよりもルーズな雰囲気とボヘミアンな要素が、これまでよりも濃く滲み出る可能性が高い」

ここまで読まれた方なら察知した方もいるだろう。つまり、エディが写す若者たちのスタイルに、そのような変化が見られるからだ。

僕は「HEDI SLIMANE DIARY」で直近の写真を確認した。2018年7月にアップされた写真だ。そこに写る若者たちは、相変わらずスキニーな服を着ているのだが、以前なら見られなかったルーズなシルエットが散見されるようになり、放浪的な匂いが醸され始めていた。それだけじゃない。現在の重要トレンド「ダサさ」も見られたのだ。

白いタンクトップをジーンズにタックインする若い男がいる。彼の着るタンクトップはルーズなシルエットで、それは穿いているジーンズもルーズであった。そのジーンズをふくらはぎあたりまでロールアップし、そこから覗くのはkappaの白いソックス。靴はどこのブランドか僕には判別できない黒いスニーカー。以前のエディが写す若者たちには見られなかったスタイルだ。

こういったダサさをエディは捉え始めている。エディのこれまでのデザインを見ていると、この「ダサさ」がセリーヌのデビューコレクションで反映される予感が僕にはしている。僕の予感が当たるのか、それとも外れるのか。早くエディのセリーヌが見たい衝動に駆られている。

エディ・スリマンは最先端モデルのファッションデザイナーと言える。これが、世界の最前線に位置するデザイナーの現状位置だ。エディはターゲットに忠実なだけである。エディは誰よりもターゲットを観察している。

アイデンティティの発見やアイデアの発想スキルを磨いているだけでは、今のファッション界でデザイナーは成功は収められない。マーケティング的な視点が、今後ますます必要になる。クリエイティブとマーケティング。その二つを、極端に行ったり来たりすることのできるスキルを備えることが、ファッションデザイナーの未来形。「モダンなデザイナー」とは、きっとその姿のことを言う。

〈了〉

参考資料
HEDI SLIMANE DIARY
Saint Laurent | Fall Winter 2016/2017 Full Fashion Show | Menswear
VOGUE RUNWAY 「Saint Laurent FALL 2016 MENSWEAR」

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