AFFECTUS No.161
6月に発表された2020SSメンズコレクション。その中で僕が最も強烈なインパクトを感じたコレクションは、パリで披露されたコム デ ギャルソン オム プリュス(以下、プリュス)だった。1920年代の女性を連想させるウェーブのかかったボブヘア、テーラードジャケットを軸にフリルやギャザー、ティアードスカート、ワンピースといったウィメンズウェアの歴史を彩ってきたディテールやアイテムを融合させたコレクションに、僕は頭が混乱する。
外観は強烈な特徴を備えた女性のための服。しかし、発表の場となったのはパリメンズコレクションであり、登場するモデルたちは全員男性。そのギャップが混乱に陥らせた。
「いったい、なんなんだ……」
心の中でこう思わずにはいられない。ルックを次々に見ていくと、ますます加速する混乱。
ジェンダーレスがファッションデザインの必須科目となった今の時代、ウィメンズウェアのディテールやアイテムをメンズウェアに取り入れるデザインや、ウィメンズウェアを男性モデルが着用するコレクションは珍しくない。近年、そのようなジェンダーレスなコレクションは毎シーズン登場している。
しかし、見慣れているはずのジェンダーレスデザインにもかかわらず、これまで見てきたジェンダーレスデザインには感じられなかった異様で異質な迫力が2020SSシーズンのプリュスにはあった。
そう思った要因はどこにあるのか。いったい川久保玲は何を仕掛けたのか。その理由を探っていきたい。
まず今回のコレクションの背景について述べようと思う。
コム デ ギャルソンは2019年12月に上演されるウィーン国立歌劇場150周年記念公演のオペラ『オーランドー』で舞台衣装を担当することが決定している。今回のメンズコレクションはそのプロジェクトの一環と言えるもので、コレクションテーマも『オーランドー』であった。9月に発表される2020SSウィメンズコレクションも同様に『オーランドー』がテーマである。
『オーランドー』とはイギリスの女性小説家ヴァージニア・ウルフが1928年に発表した作品であり、特異な内容の小説だ。主人公のオーランドーは16世紀に生まれたイギリスの青年貴族。彼はエリザベス1世から寵愛を受けるほど美しい容姿を持つ青年だった。しかし、17世紀に入ったある日、オーランドーは7日間の昏睡状態に陥る。目覚めるとオーランドーは、男性から女性に性別が変わっていた。女性へと変身したオーランドーはイギリス社交界で活躍し、自ら執筆した詩集で賞も受賞することで文学的にも成功、女性としても結婚と出産を経験するという人生を歩む。オーランドーは性別を変えて300年間生き、1928年の時点でも36歳の若さであった。
なんともアヴァンギャルドな小説である。現実世界の常識は完璧に破壊されている。しかし、『オーランドー』の荒唐無稽で破天荒な世界観は、文学とファッションの違いはあれど、コム デ ギャルソンの世界観と通じるものがある。
今回のプリュスを見たとき、真っ先に思い浮かべたのは1920年代のココ・シャネルだった。当時のパリでは女性が自立して生きることは非常識であり、それが時代の常識でもあった。だが、シャネルは時代の常識に反抗し、新時代の新しい女性の生き方を、自らファッションを通して表現していく。
2020SSコレクションでプリュスが提示した、シャネルが女性の身体で醜い箇所として忌み嫌う膝を隠す着丈のスカートやワンピースと、メンズウェアの象徴であるテーラードジャケットが組み合わさったスタイルは、かつてのシャネルの姿を彷彿させた。男性モデルたちの首元を飾るミキモトとのコラボであるパールネックスレスが、ココ・シャネルの印象をさらに強くする。
では今回のプリュスが古典的な服装なのかというと、そんなことはない。過激で過剰な装飾的デザインが現代性の獲得へと至っている。ちなみにここで言う現代性とは「今」と感じられる感覚のことであり、時代感を捉えて具現化されたファッションとも言えよう。
装飾性を重層的に表現するデザインは現代のトレンド。まずプリュスはその波に乗ることで、現代性を一つ獲得する。加えて、今、装飾性はプリントやロゴなどのグラフィックを中心にした平面性だけでなく、服の形そのもので装飾性を打ち出す立体的デザインも登場し始めた。今回のプリュスは、ジャカードをメインに素材の表面に柄を作り出す平面的装飾性と共に、ジャケットにいくつもの切り替えを挟み込み、タック・フリル・パフスリーブといったウィメンズ要素のディテールをテーラードジャケットと融合させることで、布を使った立体的装飾性も両立させていた。
装飾性を立体と平面で両立することが現代性をさらに押し進める。それだけではない。1920年代の女性を彷彿させるヘアメイクとスタイルで登場した男性モデルたちの多くは、ナイキとのコラボスニーカーを履いていた。エアマックス95をベースにデザインされたスニーカーと、スカートから覗く男性モデルの脚。ボトム部分だけを見ると、まるでハーフレングスのパンツとスニーカーをスタイルとするスケーターのようでもある。
平面性と立体性を共存させた装飾性とストリート。そこに、1920年代と両性具有のオーランドーの世界が重なり合ったジェンダーレスウェア。
ここ数シーズン注目されるジェンダーレスデザインは、ジョナサン・ウィリアム・アンダーソン手掛けるロエベを筆頭に、GmbH、エクハウス・ラッタのようにストリートウェアやベーシックウェアをベースにしたデザインが多い。前回ピックアップしたチャールズ・ジェフリーもゲイカルチャーとナイトクラブという現代の注目カルチャーの体験を投影させたデザインであり、現代性がとても強い。
一方で、17世紀から18世紀の服装を感じさせるヴィヴィアン・ウェストウッドのように、少数ながらも歴史的要素の強いジェンダーレスデザインもある。ジョン・ガリアーノ手がけるメゾン・マルジェラも系統的にはヴィヴィアンと同様のタイプである。トム・ブラウンも男女の性別を超えた服をデザインしているが、アメリカントラッドという現代でも人気の伝統スタイルをベースにしているため、歴史的要素よりも現代性が強くなっている
そのようにジェンダーレスデザインを調べていくと、2020SSコレクションのプリュスが先述のブランドのいずれからも微妙にデザインがズレており、その微妙なズレが積み重なった結果、1920年代というクラシックな香り、ナイキとのコラボスニーカー、晒された男性モデルの脚の3要素がストリートとも融合し、これまでのジェンダーレスデザインとは異なるポジションを示している。
1920年代×装飾性(平面性+立体性)×ストリート=2020SSプリュス
端的に言えばこれが今回のプリュスだった。そしてこれまでのジェンダーレスデザインと異なる特異性を生み出す鍵となったのは1920年代という、時代のセレクトだ。
『オーランドー』がコレクションテーマになったがゆえに、1920年代という現在のファッションデザインではインスピレーション源として決して注目度が高いとは言えない時代をセレクトすることになり、結果的に近年では他のブランドでは見たことのないジェンダーレスデザインを生み出すことに成功している。
「性別とは何か?」
このコレクションを見ていて頭の中に浮かんできた、この問い掛けこそが僕を混乱させた最大の要因だった。
問題をデザインする。それが川久保玲のファッションデザイン。見る者に問い掛けを感じさせるには、混乱させる必要がある。混乱が疑問を生み、その疑問が問い掛けられているような感覚をもたらす。プリュスのコレクションを見たときに僕が感じた感覚の変遷をたどってみると、そのようなプロセスが感じられた。
混乱させるにはどうすればいいのか。結局この答えに行き着く。
「見たことのない服をデザインする」
見たことのない服をデザインをするには、どうすればいいのか。これまでに組み合わさっていない要素同士をつなぎ合わせる。2020SSメンズコレクションで川久保玲が示したように。そのためには、先ほどのマッピングは有効なテクニックになり得る。
このマップは縦軸を「スタイル」とし、横軸を「時代」にした。そのマップの中で先ほどのジェンダーレスデザインのデザイナーやブランドを、僕の解釈で配置してみた。配置場所の決め方は、数値ではなくあくまで僕の感覚値になる。そのため、配置場所に異論を唱えたい方もいるだろうだろう。それでいいと思う。こういう方法があると把握できることで、異なる解釈が生まれていくことが望ましい。
2020SSコレクションのプリュスはウエストウッドよりも時代は新しいが、他のジェンダーレスデザインよりは過去寄りである。テーラードジャケットを軸にしているため、トラディショナルなスタイルに近いが、装飾性の強さが現在のストリート寄りであり、またナイキとのコラボスニーカーがよりストリート色を強めているため、上記のように配置した。
話はズレるが、こうして見たときに注目したのがJWアンダーソン(ジョナサン・ウィリアム・アンダーソン)の位置。以前、僕は川久保玲の後継者はアンダーソンがいいのではないかと述べたが、こうしてマッピングしてみると、ギャルソンに近い位置にいることが感じられ、改めてはアンダーソンがデザインするコム デ ギャルソンが見たくなった。
話を戻そう。
マッピングすることで目に見える形にする。その図に空白地帯が見つかれば、そこが「見たことのないデザイン」になる可能性が高い。そして、見たことのないデザインが完成すれば、見る者に混乱を生じさせ疑問を抱かせるようになり、その結果が「問題をデザインする」ようになる。川久保玲のデザインを通じて実践方法を考えてみた今、僕が思うのはこうだった。
「見たことのないデザインは、見えることで可能になる」
〈了〉