AFFECTUS No.178
ファッションは生鮮食品に例えられるほど、新鮮であることが重要視される。過去に発表されたファッションデザインについて詳細に語られることは滅多にない。「今」こそがファッションにとっての命。しかし、どれだけの年数が経とうとも眩ゆい光を放つデザインは存在する。そんなデザインについて語っていくのも、僕は重要なことではないかと思うし、語っていきたいと思っている。例えそのデザインについて語る人間が、世界で僕一人だったとしてもだ。
だから、今回僕は語りたい。
今日語るデザイナーの名はクリス・ヴァン・アッシュ。モードファンの間で、彼の名を知らない人間はいないのではないか。そう思えるほどの知名度を誇るデザイナーだ。現在は、2018年に就任したフランスのシューズブランド「ベルルッティ」のクリエイティブ・ディレクターとして、ウェアラインを軸に名門ブランドの刷新を図っている。
ベルルッティ以前は、2007年から2018年までクリスの師でもあるエディ・スリマンの後任として「ディオール オム」のアーティスティック・ディレクターを11年間務め、メゾンをエディの世界観から脱却させ、ネクストステージへと引っ張り上げた。
しかし、今回僕が語るクリスのコレクションは、ベルルッティでもなければディオール オムでもない。時代は遡り2005年。クリスは自身の名を冠したシグネチャーブランド「クリス・ヴァン・アッシュ」をスタートさせる。今から14年前にクリスが発表したデビューコレクション2005AWシーズンこそが、僕にとって今も語り、これからも語り継いでいきたいデザインだ。
クリス・ヴァン・アッシュのデビューは業界から大きな期待が寄せられていた。クリスは「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」のメンズラインとディオール オムというフランスが誇るグランメゾンで、時代の寵児となったエディ・スリマンのアシスタントとしてコレクション制作の一役を担ってきた人物だった。そのキャリアゆえ、デビュー前から注目が集まり、期待度がこれでもかというほどに高まっていた。
「いったい、どんなコレクションが発表されるのか」
しかし、発表されたデビューコレクションを見て、当時の僕は物足りなさを感じる。
悪くない。テーラリングを軸にグレー&ブラックに白を織り交ぜた静謐なカラーパレットで構成されたスタイルは、自らの存在を声高に主張するのではなく、態度でもって主張するダンディズムを誇る男の佇まいがそこにはあって、その姿はたしかに美しかった。
だが、エディがロックを背景に迫り来る圧力をスキニー&アグレッシブなデザインで、アンドロジナスな匂いも絡ませながら表現し、僕らを非日常の世界へ誘(いざな)っていたのに比べ、クリスのデビューコレクションはあまりに現実的で非日常性が乏しく、エディが残してきたインパクトほどの圧倒的力学は働かず、代わりにあったのは男たちの装いを美しくしようとする美学だった。
「期待された男のデビューコレクションは、この程度のものなのか」
僕は失望感に襲われる。しかし、当時の僕は理解していなかった。インパクトだけがモードではないことに。時間の経過を経て、魅力を浸透させるデザインの存在を感知することができなかった。だが、クリスがデビューコレクションで披露した美学は僕に教える。時間が価値を根づかせるデザインの面白さを。
端正なジャケットとパンツ、シャツにネクタイを合わせたスーツスタイルは男の服装の原点。そのスタイルは力強く美しい。だが、厳格なシルエットは男を硬直的に見せることもある。そこでクリスは脱力したエレガンスを持ち込み、軽やかなイメージへとスーツスタイルを転換させる。
重要な役割を担ったのはパンツだった。クリスのパンツは歩くたびに布が美しくたわみ、まるで第二の皮膚のように脚に張り付くエディが描いたスキニーシルエットとは異世界のシルエットで、男をリラックスとエレガンスでくるむ。
ウェストを落として腰で穿くパンツ、足に映える白いスタンスミス。クリスが提案した男性像は、現代のストリートマインドに通ずる匂いもある。2017AWシーズン、キム・ジョーンズは「ルイ ヴィトン」のメンズラインで「シュプリーム」とのコラボコレクションを発表し、世界を驚愕させた。このコレクションはシュプリームとのコラボに目が奪われがちだが、キムが発表したストリートマインド匂うスーツスタイルは伝統と異端を一体化させた男の新スタイルでもあった。
今にして思えばクリスのデビューコレクションは、キムが発表したこのコレクションのプロトタイプとも呼べる先進性がある。ただし、キムよりもずっとエレガンスとダンディズムの匂いを強く濃く添えて。
人は強烈かつ大胆な視覚表現に心が動かされ、その心の揺れ幅が感動だと捉える。しかし、世界には存在する。時間の経過によって、心を静かにゆっくりと揺らす類の感動が。その感動は、見た瞬間に気づくものではないかもしれない。ゆえに見落とすことはあるだろう。だが、知った瞬間知ることになる。こんなにも味わい深く、愛でたくなるものがあるのかと。
一瞬の印象に心奪われる体験だけでなく、時間の経過を経て美しさを感じられる暮らしを僕は楽しみたい。インターネットとテクノロジーによって息つく暇もなく世界が変化し、スピードが重視される今だからこそ、時間をゆっくりと感じられる贅沢をこの手に。
〈了〉