イッセイ ミヤケ メンが見たい

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AFFECTUS No.183

新年を迎え、モードファンが待ち望むコレクションシーズンの時期が近づいてきた。今月下旬にはパリメンズコレクションの発表が迫っているが、先月にはパリメンズコレクションの公式スケジュールが発表され、そのリストの中に私がショー発表を待望していたブランドの名があって嬉しくなった。

「イッセイ ミヤケ メン(Issey Miyake Men)」である。

2020SSパリコレクションでは同ブランドのショーは開催されず、代わりにショー形式で発表されたのは「オム プリッセ イッセイ ミヤケ(Homme Plisse Iessey Miyake)」であった。プリッセ初のショーは、緑の豊かな樹々が生い茂るパリの公園で開催され、男性モデルたちが軽やかに楽しげに舞い踊り、ファッションの自由と喜びが感じられるショーだった。とてもいいショーではあったが、高橋悠介がメンズラインのデザイナー就任以降、ショーの発表を毎シーズン楽しみにしていただけに、正直なところ僕は残念な気持ちになっていた。

しかし、今回は違う。2シーズンぶりにイッセイ ミヤケ メンがショーを開催する。僕はこの事実を歓迎している。残念ながらショーでの発表とはならずビジュアルのみでの発表となったが、2020SSコレクションを見ても高橋悠介の秀逸な手腕が披露されている。

真っ先に思うのはシルエットのモダニティである。今ファッション界はかつて時代を席巻した超巨大なビッグシルエットの時代は過ぎ去り、シルエットのスリム化が始まったのは確かだが、身体を過剰に細く見せるシルエットに傾いているかというとそうではなく、ビッグシルエットの名残を残す豊かなボリュームをキープしながらのスリム化が主流となっている。

髙橋悠介はその時代感覚を的確に捉えている。彼の作るシルエットは適度な布の量感を作り上げ(それはイッセ イミヤケのDNAでもある)、その量感が実に美しい。現在のイッセイ ミヤケ メンを見ているとエレガンスを感じるが、その雰囲気はメンズウェアというよりもウィメンズウェアに近い軽やかさに包まれている。

イッセイ ミヤケが誇るDNAに、日本の伝統技法によって作られた素材がある。ろうけつ染めや絣(かすり)といった日本の職人たちが受け継いできた技法を駆使して作られた素材には、西洋が誇る整えられた調和の美しさとは異なる、枯山水(かれさんすい)にも見られる日本の美意識「不均衡の美しさ」が素材のテクスチャーに表現され、確固たる存在感を放つ。日本の伝統が生み出した素材を西洋の衣服の形態に乗せ、豊かなシルエットで表現された服が僕にとっての髙橋悠介がデザインするイッセイ ミヤケ メンだった。

だが、僕はこうも思う。確かに日本の伝統で作られた素材と洋服の一体化には西洋のデザイナーたちが発表する服にはない価値と魅力があるが、素材の持つ個性があまりに強く、僕が髙橋悠介のデザインで最大かつ最高に魅力を感じているシルエットの美しさを霞ませているように見えてしまう。

もしかしたらこれは、僕だけが感じることなのかもしれない。しかし、感じるがままに、僕はこの感情を書いてみたいと思う。

ファッションデザイナーとブランドの相性は極めて重要だ。それはラフ・シモンズ(Raf Simons)と「カルバン・クライン(Calvin Klein)」の例を見ると強く実感する。その点で考えれば、髙橋悠介はイッセイ ミヤケと見事な調和を果たし、ブランドをネクストステージに引っ張り上げている。ブランドのDNAとデザイナーのDNAによる融合が成功するとき、ブランドは進化する。イッセイ ミヤケ社が髙橋悠介を起用した選択に間違いはなかった。

しかし、僕はこの見事な融合を詳細に見ていくと、かすかにバランスの崩れを感じた。それが先ほど述べたイッセイミヤケのDNA、日本伝統の技法を生かして作られた素材が持つ存在感の強さだった。イッセイミヤケの素材は外観に視覚表現が施され、強烈なインパクトを生んでいる素材が多い。その強烈なインパクトが、髙橋悠介の作る軽やかなエレガンス匂うシルエットに勝っている印象を受け、それが僕の感じた微妙なバランスの崩れだった。

もちろんこれには僕の趣向も多分に入っているだろう。それでも、こんな想像をしてしまう。髙橋悠介のポテンシャルが最大限に発揮されるデザインとは、素材のクオリティはハイレベルを追求しながらも外観はクリーン&シンプルな素材を用いた時なのではないかと。僕はイッセイ ミヤケ メンのショーを楽しみにしているのは間違いない。しかし、髙橋悠介がイッセイ ミヤケ メンでデザインを続ける限り、僕が見たいと強く願う彼の服は見られないかもしれない。

この矛盾を僕は考え続ける。

〈了〉

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