AFFECTUS No.206
一見すると、メルヘン、ガーリー、フェアリーといったファッション形容詞を使いたくなる幼く純潔な世界を体感させる服である。しかし、彼女のデザインを見ていると、それらの言葉を使うことに違和感を覚える。決して詩的で甘く儚い世界だけが、セシリー・バンセン(Cecilie Bahnsen)のすべてではない。
バンセンの象徴はピュアな美しさを讃えるドレス。白にベージュ、黒といったベーシックカラーに絞った色使いはシックに響き、高いウェストラインから開放的に広がる甘く少女的なシルエットに、羽根飾り・刺繍・レースといったオートクチュールに通じる繊細かつ高度な技巧が施されたドレスは、現世に舞い降りた妖精のために人間たちが最高の技術と誠意で迎えたかのような、上品で尊い美しさを放つ。
しかしながら、バンセンのドレスにロマンティックな世界を感じても、そのドレスを着用した女性モデルたちをガーリーと形容することに僕はためらう。バンセンのドレスを纏う姿には「甘いだけの世界を生きてきたわけではない」という辛さが感じられてくるのだ。
その理由の一つに先ほど述べた色使いが挙げられる。少女的なシルエットとは裏腹に、バンセンの色使いは落ち着きが匂う。ピンクのように甘い色や、グリーンやレッドのように鮮烈な色が全面に用いられることはない。あくまでクールにシック。あえて華やかさを控えたような色使いがガーリーシルエットのドレスに上品な佇まいをもたらし、それがバンセンのドレスを纏う女性に苦味も甘みも知る世界をイメージさせた。
もう一つ、バンセンのドレスに辛さを感じさせる要素がある。コレクションに登場する女性モデルたちの足元に注目してほしい。モデルたちは皆、フラットシューズを履いている。そう、バンセンは華やかさを開け放つドレスとは打って変わって、靴にヒールを用いない。スニーカーをはじめとした快活なフラットシューズをモデルに履かせることで、バンセンの甘さと辛さが内包するスタイルが完成するのだ。
バンセンのコレクションは、一人のクチュリエの名を浮かび上がらせる。戦後モードは彼の登場から始まったと言える偉大なる巨匠、クリスチャン・ディオール(Christian Dior)である。ディオールといえばフェミニニティ。ディオールが作り出す女性の甘い美を賛歌するドレスは、当時の女性たちに憧れを抱かせるラグジュアリーなエレガンスであった。しかし、ディオールのドレスもバンセン同様、ただ甘いだけではない。彼のシルエットはニュールックがそうであるように硬質で力強く大胆。そのようなダイナミックなシルエットに、色と装飾の甘さが架け橋となってディオールのドレスはフェミニニティを獲得する。
バンセンはディオールが提示した美意識の文脈上に位置する。僕にはそう感じられるのだ。
ディオールのドレスを、快適さと日常性がより重視される現代のライフスタイルにモダナイズされたニューディオール。それは僕に、もし現代にディオールが生きていたならデザインしたであろう世界を夢見させる。見ることが叶うことのない夢を現実にした人物。僕にとってバンセンはそのような意味を持つデザイナーだと言える。
ファッションは過去から現代にまで繋がっている。セシリー・バンセンは歴史を紡ぐ。
〈了〉