自らの規範を崩し、変わるエディ・スリマン

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AFFECTUS No.216

エディ・スリマン(Hedi Slimane)が再び賛否両論呼ぶコレクションを「セリーヌ(Celine)」で発表した。世界中の誰もが予期しなかった新型コロナウイルスの脅威によって、未曾有の対応が迫られた2021SSメンズコレクション。これまでの常識が壊れ始めた時代に、エディは近年発表を続けていたセルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg)をイメージするフレンチシックスタイルから「サンローラン(Saint Laurent)」時代への回帰を思わす、ストリートのエッセンスを組み込んだカジュアルでユースなスタイルを披露する。

この最新メンズコレクションはサンローラン2016SSコレクションとの類似性が指摘され、「変わらぬエディ・スリマン」を印象付けるものになった。たしかに2021SSコレクションと2016SSコレクションの間には類似性が見られる。しかし、僕が初めて2021SSコレクションを見た際に浮かんだのは「エディが変わった」というフレーズだった。一見すると似ているはずの両コレクションの間に感じられた差異。いったいサンローラン時代と何が変わり、僕はエディの変化を実感することになったのか。今回のAFFECTUSは僕が『STUDIO VOICE』2019年3月号に寄稿した「モードコンテクストから読み解くエディ・スリマン論」(以下HS論)を振り返りながら、2021SSコレクションに僕が抱いたエディに現れた変化の正体を探っていきたい。

エディ・スリマンと聞き、浮かんでくるイメージとは何か。スキニーシルエットをエディのデザインとセットで思い浮かべる人が多いだろう。僕はHS論で、エディが『Le Figaro』とのインタビューで次のように語る言葉を引用した。

「ぴったりのジャケットを見つけるのは不可能だった。すべてがだぶついて、箱みたいで。母はパターンなしでジャケットをカットしてシックに作り変えることができる人だった」『フィガロ ジャポン』2019年1月号より

エディにとって身体に張りつくほどに強烈に細いスキニーシルエットは、痩身な自分の身体が満足できるファッションに出会えなかった悩みを母が払拭してくれた、彼にとってのアイデンティティと言えるほど重要なものになっていた。

2014AWシーズンに「ヴェトモン(Vetements)」がデビューし、デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)の登場以降、ストリート発のビッグシルエットがファッション界を席巻していた時であってもエディは頑なにスキニーシルエットを崩さなかった。どれだけビッグシルエットがトレンドを支配しようとも、変わらないスタイルに業界から批判を浴びようとも、スキニーシルエットを変えないエディの姿勢は終始一貫していた。

しかし、2019SSからディレクションを開始したセリーヌで、エディは変わらないはずのスキニーシルエットに変化を加える。その変化が顕著に感じられたのは2019AWメンズコレクションだった。僕はHS論の中で当時のセリーヌについてこう語る。

「彼の代名詞であるスキニーシルエットには幾分かのボリュームが入りこみ、さらに野暮ったいボリューム感のコンビネーションが生じていた。これを些細な変化と判断するのは、私は早計だと考える」『STUDIO VOICE』 2019年3月号より

エディが見せたシルエットの変化を、トレンドからの影響による変化と簡単に捉えることはできない。前述したように、エディにとってスキニーシルエットは自分の苦い体験を母が救ってくれたアイデンティティだったのだから。彼にとってスキニーシルエットとは、単なるシルエット以上の意味を持つ存在なのだ。

しかし、エディはセリーヌでアイデンティであるはずのスキニーシルエットを崩す。しかもストリートブームが鎮静化し、エレガンスへ移行が始まり、ビッグシルエットのスリム化と言えるボリュームダウンが見えてきたタイミングで。

「華美と華飾の80年代が終わり、90年代以降パワーシルエットはミドルエイジの匂いが濃く、若者たちから嫌悪されてきた。しかし、エディは彼が愛する『ロックに陶酔する若者たち』に向け、パワーシルエットとスキニーシルエットを融合させたニューシルエットを発表する」『STUDIO VOICE』 2019年3月号より

HS論の中で僕は当時のエディが見せたデザインをそのように語っている。僕にとってセリーヌ2019AWコレクションは大きな驚きであると同時に、エディのもう一つのアイデンティティであるロックの匂いを薄め、フレンチシックスタイルをベースに見せたニューエディスタイルは、変わらないと言われたエディが披露した新たなる魅力に満ちた変化だったのだ。

セリーヌで初めて現れたスキニーシルエットの変化を、旧スタイルへの回帰にも見える最新2021SSコレクションにおいてもエディは継続する。F1フランスグランプリの開催地でもあるポール・リカール・サーキット(Circuit Du Castellet)を闊歩していく男性モデルたちは、エディシルエットのスキニーパンツを穿くモデルも散見されるが、その多くが洗練と言うには野暮ったくダブついたシルエットのパンツを穿いている。アイテムはデニムも多いが、メンズスーツのトラウザーと呼びたくなるピンストライプやシックなチェックのパンツも多く見られ、それらのパンツが持つ雰囲気は古着屋で眠り続け、数十年前に流行していたトラウザーのような絶妙に洗練されていないシルエットがデザインされている。

このシルエットの野暮ったさは、類似性を指摘された2016SSコレクションとの間に見られた差異だった。サンローラン時代の2016SSコレクションに使用されたパンツは「ディオール・オム(Dior Homme)」よりもボリュームが加味されたシルエットもあるが、2021SSコレクションよりもスリムであることは間違いなく、エディがセリーヌで見せた野暮ったいダブつきのシルエットで作られたパンツは当時のコレクションには1本も登場しない。

このシルエットの変化こそが、僕に今回のエディが新しく感じられた一因になる。たかがシルエットの変化と侮ってはいけない。先ほど述べた通り、エディにとってスキニーシルエットは自分という人間を作り出したアイデンティティなのだから。自分のアイデンティティを崩してまでの変化を加えて得意のカジュアルでユースなスタイルをデザインしたからこそ、僕は「エディが変わった」という印象を抱くことになった。

また、もう一つ2021SSコレクションで感じられたエディの変化がある。それは不調和だ。ディオール・オムやサンローランでエディが発表したコレクションは、ファッションアイテムやスタイルの組み合わせに調和が図られ、統一感が感じられる。

だが、セリーヌで発表した2021SSコレクションは違う。スタイルに多種多様なファッションが混在している。レオパード柄のスポーティなパンツにショールカラーのジャケットを合わせ、リゾートなムードのショートパンツにインディアンテイストのカーディガンを素肌に羽織る。クラシックなチャコールグレーのトラウザーにレオパード柄のショールカラージャケットを着用し、インナーは黒いハイネックをスタイリングして首元はチェーンのネックレスが飾る。今回のセリーヌはファッションに統一が図られた以前のコレクションとは異なり、何とも雑多で雑種なスタイルが作られている。

調和を考えてスタイルを作るというファッション王道の手法を完全無視、バランスなんて知るかと言わんばかりに好きなアイテムやスタイル、色や柄を何でも組み合わせて一つのスタイルとする。これは現代の若者たちを代表するファッションである。

2021SSコレクションは若者たちに人気のアプリ「TikTok(ティックトック)」がテーマであり、ティックトッカーと言われるTikTok上で見られる若者たちのスタイルにエディは注目した。今若者たちが身に纏うスタイルは洗練のファッションが作る伝統のエレガンスではなく、自分の好きをすべて注ぎ込んであえて不調和を生み出したかのような違和感がパワフルな魅力となるファッションが浸透している。

ティックトッカーたちが見せるファッションは、エディがこれまで見せてきた洗練さとは逆のものだ。コレクションの中でレーサーが被るヘルメットがスタイリングされていたが、調和されたエレガンスがデザインされていたサンローラン時代のエディなら考えられないスタイリングだ。しかし、エディは今、自身の美意識を捨て去るように時代の主役である若者たちに近づく。僕はHS論の中で何度もエディは「ロックに陶酔する若者たち」のためにデザインしていると述べた。だが、2021SSコレクションを見た後に改めて思うのはたしかに以前のエディも若者たちのためにデザインしているが、思った以上に調和のエレガンスを重視する傾向があったということだった。

今回のエディはその美意識から距離を置き、もう一つのアイデンティティであるロックという要素すらも薄め、以前にも増してさらに「若者たちのために」という意識が強くなっている。ロックテイストは弱まり、スキニーシルエットにボリュームを加えて野暮ったく見せ、これまで表現してきた自身の美意識も重要視しない。現代の若者たちのために。この意識が以前よりも先鋭化された形になって現れたのが、今回の2021SSコレクションである。

これまでエディのデザインにおいて重要な要素であったスキニーシルエットと調和の美意識が重要ではなくなったコレクションだからこそ、僕は新しいエディ・スリマンを感じることができた。僕がここで述べていることは人によっては些細な変化、もしくは変化があったようには感じられず、2021SSコレクションは既視感を覚える以前のエディと変わらないスタイルに思われるかもしれない。しかし、エディはディレクションするブランドが変わろうとも自身のスタイルを頑なに貫く強固な姿勢を持っているため、些細な変化であってもエディが見せた変化は僕にとっては大きく新しく感じられてしまう。

エディ・スリマンというデザイナーは必ずしも自分の作りたい服を作るわけではなく、決して革新的なデザインをするわけでもない。エディは愛する若者たちが今夢中になっているファッションを、さらにグレードアップさせることで若者たちに届ける。新しさを作るのではなく、既に存在する服を磨き上げるタイプのデザイナーだと言えよう。

エディはカメラを携え、若者たちの生活圏に入り込み、長い年月をかけてロックに陶酔する若者たちの生態を記録し、彼・彼女たちの生活を彩るに相応しいファッションをデザインしてきた。デザイナーというよりもマーケターと呼ぶに相応しい姿勢こそが彼のデザインしてきたファッションが、若者たちを魅了する要因になっていた。エディのデザイン手法について僕は、HS論の中でそのようなことを述べていた。

「エディはどのメゾンでも自分の好きな服しかつくらないと言われるが、それはある意味正しく、ある意味異なる。彼は自分の愛する人々に愛する服をつくっているだけであり、自分の好き嫌いが必ずしも重要ではない」『STUDIO VOICR』2019年3月号より

自分の好き嫌いが必ずしも重要ではないエディの姿勢が、2021SSコレクションは最大限に発揮されていた。彼にとっては自分の愛する若者たちのためなら、自身のアイディンティは重要ではないのだ。

自らの規範を崩してまで、若者たちのためにファッションを作る。そんな姿勢を感じたからこそ、僕はエディに変化を覚えた。エディ・スリマンのセリーヌ、真のスタートはこの2021SSメンズコレクションから始まっていく。

〈了〉

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