アメリカ映画を愛するダイリク

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AFFECTUS No.239

僕がモードファッションの世界を知り、その魅力に足を踏み入れたのは今から23年前。20年以上も時間が経過すれば時代が変わるのは当たり前で、それはモードブランドにも当てはまる。特に日本ブランドに変化を実感する点があり、それはデザイナーが持つ世界観の投影度が弱くなったことである。世界観と称するよりも、デザイナーが体験してきたカルチャーの投影度と言った方がいいだろうか。

ここで述べるカルチャーとは、デザイナーが生まれ育ってきた文化を指す。どんな場所で生まれ、どう育ち、どんな価値観や美意識が育まれてきたのか、デザイナーが人生の過程において体験し、体得してきた感性といったデザイナーのカルチャーがコレクションに色濃く投影されることで唯一無二の個性を放ち、それが世界観となって消費者を惹きつけてきたのが僕が20年以上前に知ったモードだった。僕がファッションデザイナーと類似した職業として他業界のデザイナーではなく、作り手の文学性が如実に表現される漫画家や小説家をあげるのも、カルチャーを投影する特徴が理由でもある。

僕がカルチャーの投影度の弱さを実感するようになったのはいつからだったろうか。振り返ってみると、「コモリ(Comoli)」や「オーラリー(Auralee)」が市場で人気になり始めたころかもしれない。両ブランドは、デザイナーが自身のカルチャーを投影させて服をデザインするというよりも、自身が理想とする服をデザインするというプロダクト面からのアプローチを強く感じる。だから、僕は毎シーズン発表されるコモリやオーラリーのビジュアルを見ても、デザイナーがどのようなカルチャーを持っているのか、デザイナーの人間像が捉えづらく感じている。

オーラリーのデザイナー岩井良太はインタビューで素材について言及することが多く、そのことが服をプロダクト的にデザインしている僕の印象を一層強める。ラフ・シモンズ(Raf Simons)が自身の影響を受けてきたカルチャーを語るようなシーンが、岩井良太のインタビューから感じられたことが僕にはあまりなかった。

これは良い悪いの意味ではなくデザイナーのタイプの違いであり、カルチャーの投影度が弱いからと言ってブランドの魅力が劣るわけではない。そのことは現在のコモリやオーラリーの人気が証明している。SNSによって人々が自分を表現するようになった現代では憧れよりも共感が重要であり、デザイナー個人の世界観が強く表現されたコレクションはむしろ押し付けがましく感じられるかもしれない。デザイナーのセンスやクリエイティビティを、服のプロダクト的価値を高めるために使ったコレクションの方がむしろ現代にはマッチしているだろう。

そんな中、現在の若手日本ブランドにはいわばオールドタイプと言える、カルチャーの投影度が強いブランドが現れ始めた。前回の「クードス(Kudos)」がそうであるし、「ケイスケ・ヨシダ(Keisuke Yoshida)」、僕が2020AWシーズンにコレクションテキストを執筆した「フジ(Fuji)」と言った若手ブランドたちは、デザイナーが体験してきたカルチャーの投影度を強く感じる。

前置きがだいぶ長くなったが、今回のテーマである「ダイリク(Dairiku)」もいわば古くも新しいブランドだと言えよう。ダイリクはデザイナーの岡本大陸がバンタンデザイン研究所在学中にスタートさせたブランドであり、2016年に「Asia fashion collection」でグランプリを獲得したことを契機に、2017年2月のニューヨークファッションウィークでランウェイ形式でのコレクション発表を経て、現在では卸先セレクトショップも40店舗弱にまで増やしている。

僕がダイリクのコレクションに惹かれたのは1980年代的懐かしさを感じたからだった。コレクションに登場するルックは、僕が子供だった80年代の空気に包まれたカジュアルウェアというフレーズを浮かばせ、昔懐かしい時代の空気をアグレッシブかつユーモアに服としてデザインしている。1994年生まれの岡本大陸にとって、80年代はリアルな世界ではないだろう。けれど、ダイリクのコレクションから80年代的香りが感じられるのはなぜだろう。

それは彼が体験してきたカルチャーにあった。岡本は、映画が好きだった父親の影響で、小学生のころから映画館やレンタルビデオショップへ頻繁に連れて行かれていた。とりわけ岡本を魅了したのがアメリカ映画だった。彼が好きな映画の一つにあげている90年代に公開された『ホームアローン』はまさにアメリカを代表する映画であり、ダイリクのコレクションから感じられる空気を連想させる。

岡本は『カッコーの巣の上で』『イージー・ライダー』『卒業』といった60年代や70年代のアメリカ映画からの影響も言及し、数多くのアメリカ映画から得られた感性がダイリクのDNAとなっている。ダイリクのルックからアメリカの古着というイメージが感じられるのも、岡本が体験してきたカルチャーが所以だろう。ダイリクから覚えた昔のアメリカ映画に通じる空気、それらがまとまって僕には1980年代的に感じられたのかもしれない。

先日、渋谷の「417EDIFICE」にて発売がスタートしたばかりのダイリク2021SSコレクションを実際に見てきた。一目見てすぐさま浮かんできた言葉が、まさに「古着」だった。ラックに掛かっていたスウェットやシャツ、コートから感じられたのは上質な高級感ではなく、昔懐かしい時代にトレンドだった服たちの匂いである。

素材や仕様に特別な高級感は感じられず、誤解を恐れず言えばチープでもある。しかし、ダイリクのカルチャーを服へ投影するにはチープであることこそが重要なのだと僕は思う。一般的に上質感や高級感が感じられることは良い服だとされる。だが、それは一般論であって、すべてのブランドに当てはまるわけではない。とりわけデザイナーのカルチャーを色濃く投影するブランドにあっては、高級感と上質感が必ずしも正解ではない。一番大切なのは、ブランドにとって最もふさしい空気を持つ要素は何なのかということ。

商品としてクオリティがキープされることはもちろん重要であり、その水準をクリアしているなら、必要以上に上質な高級感を重視して服を見ることはブランドの魅力を見誤ることに繋がる。

アメリカ映画への愛があふれるダイリク。デザイナーが体験してきたカルチャーが強烈に投影されたブランドには、僕の好き嫌いを越えて惹かれていくパワーが迫ってくる。プロダクト的側面にフォーカスしたデザインも一つのファッションであり、僕はそれを否定するわけではない。しかし、一方で僕がモードに魅了されるきっかけとなったカルチャー投影度の強いデザインが、もっと見てみたいというのも本音だ。

理性的に合理的に作られたよりも、感情的に情緒的に作られた服に惹かれてしまうのが僕という人間なんだろう。オールドタイプのニューデザイナーを、僕は今こそもっと多く見たいと思う。

〈了〉

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