ナデージュ・ヴァネ=シビュルスキーは、エルメスを見事に更新する

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AFFECTUS No.249

ファッションブランドが何も変化せず、永遠に顧客から支持を得ることは不可能だ。時代の変化に伴って顧客の趣向も変化し、ブランドは自身のDNAを失わないように変化を強いられていく。変わらずに変わっていく。これを成し遂げてこそ、ブランドは顧客からの信頼と期待を獲得し続け、歴史を積み重ねることができる。「シャネル(Chanel)」や「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)」は、まさに変わらずに変わっていくことを実践してきたブランドだと言えよう。

その両ブランドと同様に、顧客からの支持を獲得し続けるブランドがパリにはある。「エルメス(Hermès)」だ。永遠とも言える美しさを、ファッションを通して提示し続けるエルメスは、良くも悪くも節操がないほどに次の新しさを求めるファッション界の習慣からは距離を置くように、自身の美学を追求するブランドにさえ思えてくる。

メンズ部門のアーティスティック・ディレクターは、1988年から現在に至るまでヴェロニク・ニシャニアン(Veronique Nichanian)が担当しているが、ウィメンズ部門はこれまで幾人ものデザイナーがディレクターを務めてきた歴史を持つ。最も有名なのは1997年から2003年まで担当したマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)だろう。

マルタンのエルメスは装飾性を極限にまでカットし、女性の美しさを布の豊かさでデザインした衣服が特徴で、僕は彼のエルメスを「抑制されたエレガンス」と呼んでいた。マルタンが退任してから20年近く経つ今でも、当時のエルメスはアーカイブ市場で高い人気を誇っている。

マルタンの退任後は彼の師匠でもあるジャンポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)が後任としてディレクターに就任し、2003年から2010年までの7年間を担った。ゴルチエのエルメスはマルタンとは違ってパンクな匂いがあり、ラグジュアリーな成分も強くなったように思う。ゴルチエ退任後の2010年からは、現在は「ユニクロ(Uniqlo)」との協業が人気を博しているクリストフ・ルメール(Christophe Lemaire)がエルメスのウィメンズを手がけた。

ルメールのエルメスは、マルタン期のエルメスをリスペクトするようなコレクションを制作していた。装飾性は可能な限り排除し、身体に纏わせた上質な布が贅沢なシルエットを描くことを第一に服をデザインし、2014年までの4年間を務める。

そして現在のウィメンズ・アーティスティック・ディレクターは、2014年に就任したナデージュ・ヴァネ=シビュルスキー(Nadege Vanhee-Cybulski)である。

ナデージュによるエルメスのデビューコレクションを見た時、僕が率直に思ったのは「硬い」とういうことだった。前任のルメールがドレープ性豊かで、まるでノマドが現代ファッションを着用するかのようなデザインを見せていたが、ナデージュのエルメスは現代の女性が現代ファッションをワードローブとして着用するリアリティと、シルエットそのものもルメールとは打って変わってドレープ性はほぼ消失し、硬質なかっちりとしたタイプのシルエットに変貌していた。そのシルエットは、ライダースジャケットを見た時と同じ感覚のシャープさを覚えるシルエットでもあった。

決してネガティブな印象は抱かず、むしろ好印象なナデージュのデビューコレクションだったが、硬質なシルエットが永遠の時を刻むような優雅なエレガンスを誇るブランドの魅力をやや弱めていないかと、僕はそんな印象を抱いた。

しかし、僕の心配は杞憂に終わる。ナデージュは7年という歳月をかけ、エルメスに新しい魅力をもたらした。最新2021AWコレクションを見て、僕はそう確信する。かつてブランドの魅力を弱めるのではないかと思えた硬質なシルエットは、エルメス・ウィメンズラインの新しい魅力となったのだ。

ファーストルックに登場したのはブルゾンとボトムにデニムを素材として使用したスタイル。ステンカラーにファスナー開きのブルゾンはワークウェアのテイストを感じさせながらも、上品なブルーデニムが上質さを漂わせ、ボトムはデニムが素材ではあるがコンサバなテイストのシルエットとディテールを要したパンツへとデザインされ、カジュアルさからは距離を置いている。

コレクション中盤で登場する、渋く落ち着いたワインレッドのコートは、フロントの中心と前身頃のヨーク部分に用いられたレザー素材が無骨なイメージを掻き立てるが、正統な紳士服を女性が着用したような渋い美しさが女性モデルの佇まいから感じられる。

かつてマルタンやルメールが作り上げたドレープ性あるフォルムを軸にした、豊かで柔らかい服とは一線を画すナデージュのエルメス。だが、抑制されたエレガンスという感覚は共通しており、エルメスの美意識を引き継ぎながら前任のディレクターたちとは異なる、新しい解釈を見せるレベルにまでナデージュのエルメスは到達している。

女性の中に潜むフェミニンではなくマスキュリンを、エルメスというフィルターを通して上質上品に表現した。ナデージュのエルメスは女性のカッコよさを引き出す服なのだが、そのカッコよさは若々しく瑞々しいというタイプではなく、女性の成熟したカッコよさを引き出すタイプになり、例えば「ザ・ロウ(The Row)」のカッコよさとは異なる文脈に位置する「カッコいいウィメンズ」だと言える。

僕がそうであったように、過去に美しさを覚えたファッションを新ディレクターには求めがちになる。しかし、過去に美しさを感じたデザインが、変わっていくこれからの時代にあってもマッチするデザインとは限らない。今、時代は大きく変わった。性別で仕事やライフスタイルを限定するような時代ではない。

男性だけでなく、女性も大きな役割を担う時代になった。そんな時代にあって、マルタンやルメールが見せていた豊かな服は確かに美しいけれども、今の時代ではクラシックな趣が強く、ともすれば前時代的とも感じられてくる。より現代の空気にマッチしたエルメスは、硬質なシルエットを武器にブランドのDNAを更新した服なのではないかと思う。

自分の予想や感覚が外れるモード体験は、楽しさと気持ちの高揚感を覚える。ナデージュは僕にそんな体験をもたらしてくれた。7年という時の歳月を使って。長い、と思われるかもしれない。とりわけ新しさが短期間で強烈に求められるファッションにおいては。けれど、時間の長さが体験の驚きと心地よさを育んだようにも思えるのだ。

抑制されたエレガンスを、ナデージュは見事に更新した。彼女は新時代のエルメスを世界に刻む。

〈了〉

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