アルベール・エルバスが見せた極上のエレガンス

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AFFECTUS No.256

驚きのニュースという表現が用いられる時、そこには二つの可能性がある。ポジティブとネガティブの二つである。ポジティブな驚きを感じられるニュースなら喜ばしいが、残念ながら今回は後者だった。4月24日、アルベール・エルバス(Alber Elbaz)が亡くなった。享年59歳だった。まさか。そう言うほかない、まったくの想像外の出来事だ。死因は新型コロナウィルスによるもので、エルバスは感染してからパリの病院に入院中だったようだ。

2015年に「ランバン(Lanvin)」のディレクター退任後、エルバスは「コンバース(Converse)」とのコラボなどいくつかの仕事をこなしながら昨年11月に新ブランド「AZ Factory」を設立し、今年1月にパリ・オートクチュールウィークでデビューコレクションを発表するなど本格的活動がスタートしたばかりの矢先に、このような結果になるとは誰が予想できただろうか。

もう二度と、エルバスの極上のエレガンスを堪能することはできなくなってしまった。

僕が彼の存在を初めて知ったのは、約20年前、エルバスがまだ「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ(Yves Saint Laurent rive gauche)」でウィメンズラインのデザイナーを務めていた時だった。当時、イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュのメンズラインをエディ・スリマン(Hedi Slimane)が担当しており、今にして思えば奇跡の組み合わせと呼べるものだ。その頃の僕はウィメンズに対する関心がほぼなかったため、エルバスのデザインに関して覚えていることは布が優雅に揺らめく、そういう類の美しさが感じられるデザインだったということぐらいである。

その後、1999年に「グッチ(Gucci)」グループの傘下にイヴ・サンローランが収まることになり、グッチの再生を果たしたトム・フォード(Tom Ford)」がリヴ・ゴーシュのメンズ・ウィメンズ両ラインのディレクターに就任することが決定し、押し出される形でエディとエルバスはイヴ・サンローランを去ることになった。

しかし、ここからエルバスの黄金期が始まる。一見すると苦境に思えることが、黄金期が始まるきっかけになるとは人生とはわからないものだ。2001年、ランバンのアーティスティック・ディレクターに就任し、彼の極上のエレガンスが花開く。

僕の中でエルバスとはランバン時代のことを指す。エルバスのランバン在籍期間は、2001年から2015年までと長期に渡ったが、僕が最もエルバスの才能が輝いていたと思えるのは2005年から2008年の3年間である。異なる意見はもちろんあるだろう。しかし、僕にとってこの3年こそが、エルバスのエレガンスが生涯において極上の輝きを放っていた期間だった。

僕はエルバスのデザインが好きで、毎シーズン欠かさずランバンのコレクションをチェックしていたが、2009年以降になるとそれまでの熱が嘘のように徐々にランバンに対する興味を失っていった。2005年から2008年までの3年間の輝きが僕にとっては、あまりに眩しく、鮮烈だった。

エルバスは伝統のエレガンスを、世界で最も美しく表現できるデザイナーだと言える。ファッションの文脈の根底にあるのは、これまで何度も繰り返し述べてきた通り、第二次世界大戦後の1950年代に訪れたオートクチュール黄金期にあると僕は考えている。

オートクチュール黄金期のエレガンスこそが、ファッションの根底を成すエレガンスであり、そのエレガンスに対して、さまざまなデザイナーが新たなる解釈によるエレガンスをカウンターとしてモード史に刻み続けてきた行為の連続が、現代ファッションに繋がっている。

デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)がアグリー(醜い)という価値観を提示し、世界を席巻したのも、ファッション伝統のエレガンスが前提とあったからだ。美意識は対比があってこそ、その価値や新しさがわかるもので、エルバスはそんなファッション伝統のエレガンスを、ランバン時代に最高レベルで表現してみせたのだ。

僕がエルバスのランバンで最も好きなコレクションを紹介したい。それは2006AWコレクションになる。このコレクションは伝統のエレガンスにモダニティが融合したコレクションと呼ぶにふさわしい。先ほど述べた通り、エルバスのデザインの根底にあるのは古典的な美意識であり、その美意識でデザインされたコレクションは美しく、ランウェイで歩く女性モデルたちの姿は淑女と表現すべき抑制された上質な品格を纏っている。

しかし、エルバスのランバンに欠けているものが一つあるとすれば、それはセクシーだった。もちろんランバンに色気はあったが、その色気は刺激的で挑発的というセクシーではなく、控えめに匂わすタイプだった。ランバンに刺激のあるセクシーはいらないとも言える。だが、クラシカルな美しさに現代的なセクシーがミックスされたら、どんなスタイルが生まれるのだろう。それを実現したのが2006AWコレクションだった。

ドレスのレングスは膝上になり、シルエットはウェストを強くシェイプし、女性のボディラインを強調する。バストの形状を強調するカットも施され、オートクチュール黄金期の色気とは異なる、それはニューヨークの女性たちが見せる都会的ファッションの美しさが伝統のエレガンスと一体化されているようであった。都会的であり古典的、クラシカルでモダン。対極の美しさと色気を一つのコレクションに閉じ込め、エルバスは自身の才能が格別であることを世界に証明する。

ファッションは新しさを作っていくものだ。しかし、伝統に変わる何かを作り出すばかりが新しさではなく、伝統を引き継いでデザインのクオリティを最高級にまで高めることができるなら新しさを生み出すことができる。エルバスはそのことを明らかにした。以前、友人とエルバスが「シャネル(Chanel)」のディレクターに就任したらという話になったことがある。それを想像した時に一瞬にして心の高鳴りを感じた。コンサバティブなスタイルがDNAのシャネルなら、エルバスはきっと相性がよかったはず。一体どんなデザインができるのか。僕らは空想を楽しんだ。

だが、もうそんな空想も楽しめなくなった。アルベール・エルバス、彼は伝統のエレガンスを最高級にまで高め、極上の輝きを僕らに見せてくれた。ファッションは夢であることを教えてくれた彼に感謝したい。ありがとう。

〈了〉

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