クリストバル・バレンシアガという高貴な響き

スポンサーリンク

AFFECTUS No.288

「私の服を着るのに完璧も、美しさも必要ない。 私の服が着る人を完璧にし、美しくする。」

なんとも傲慢な言葉だ。そう思った方もいるだろう。しかし、この言葉を発した人物を、エルザ・スキャパレリ(Elsa Schiaparelli)に強烈なライバル心を燃やし、クリスチャン・ディオール(Christian Dior)のニュールックに激しい怒りを覚えた、あの誇り高いココ・シャネル(Coco Chanel)は以下のように評している。

「ドレスのデザイン、裁断、縫製を一人ですべてこなせる本物のクチュリエは彼だけだ」

ココ・シャネルにここまで言わせるクチュリエ、それがファッション史に輝く巨星クリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga)その人だ。

クリストバルが発表してきた数々のドレスを見れば、彼の言葉が傲慢でもなんでもなく、単なる事実でしかないことを知る。自分のことを自ら天才だと述べる人物がいれば、人々から反感を買うだろう。だが、仮にクリストバルが自身を天才だと自ら言ったとしても、それは許される。それだけの才能をクリストバルは持っていたのだから。

ファッションの歴史を紐解くと、女性の身体の美しさをどこまで強調して表現できるか、それを競い合う歴史だったように思う。わかりやすい例として、19世紀半ばから20世紀初頭にかけて登場するクリノリンとバッスルがあげられる。

クリノリンはウェストからヒップへのライン、バッスルはヒップといったように、女性が元来持っていたボディラインを、誇張して生まれた形だ。たしかにクリノリンとバッスルの形そのものは過剰かつ大胆で、現代の人々から見れば奇異に見える。だが、決して女性の身体から完璧に逸脱したフォルムではなく、あくまで身体を過剰に表現したコスチューム的な服として完成されている。

時代をさらに進ませよう。1946年に発表された、クリスチャン・ディオールのニュールックは、クリノリンスタイルを当時の価値観にモダナイズしたデザインとも言える。同時代、クリスチャン・ディオールと対極の文脈に位置していたのがココ・シャネル(Coco Chanel)だ。ココ・シャネルは誇張したフォルムからは離れ、女性のボディラインをナチュラルに見せることに心血を注いでいた。ジャージ素材の使用、パンツルック、シャネルジャケットと、いずれの服も現代の僕らからすれば見慣れた、シンプルでベーシックな形に作られている。

オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)と共に世界を魅了するエレガンスを発表したユベール・ジバンシィ(Hubert De Givenchy)は、文脈的に言えばディオールとシャネルの中間に位置するだろう。女性のボディラインを強調はするが、ダイナミズムは抑えて華やかに演出する。ジバンシィに過剰なフォルムは見られず、抑制の効いた美しいドレスが印象的だ。

このようにファッションの歴史には、ダイナミックであれ、ナチュラルであれ、作り出された服のフォルムは女性の身体のラインをイメージさせるデザインが多い。この歴史の流れに、新しい流れを作り出しのがクリストバルだった。

例えばバルーンシルエットのドレスは、バストやヒップ、ウェストのシェイプという、それまでファッションデザインの基盤にあった女性の身体を忘却の彼方へ追いやる。クリスバルのドレスを着れば、バストやヒップの形、身体のラインなど意味をなさない。人間の身体の美しさは、もっと別の場所にある。そんなメッセージを想像するほどに、着用する人間の身体の外へ拡張していくクリストバルのフォルムは、新しい人間の身体を作ろうとしているかのようだった。

しかも、一見すると特殊な形だと言うのに、ファッション伝統の気品高い空気が備わっている。クリストバルは抽象的なフォルムだけでなく、伝統に則ったドレスデザインを織り交ぜながら発表している。それがエレガンスを帯びさせる要因になっており、彼が発表したウェディングドレスは、簡素なデザインながらも見る者をその美しさでで酔わせる力を持っていた。

クリストバルが残してきたドレスを見ていると、アヴァンギャルドという表現が浮かんでくる。ドレスから感じるイメージはエレガント。しかし、ドレスの造形はアヴァンギャルド。彼は独自の文脈をファッション史に刻んだ。

現代のブランドで、クリストバルと同じ系譜だと感じるブランドがある。それは「コム デ ギャルソン(Comme des Garçons)」だ。着用するモデルの存在を消してしまうほどに、布のオブジェと呼ぶにふさわしい迫力のコレクションは、クリストバルと同様の抽象性が感じられる。違いはフィニッシュに見られる。コム デ ギャルソンはアヴァンギャルドな造形をアヴァンギャルドなイメージへ、クリストバルはアヴァンギャルドな造形をエレガントなイメージへ。この違いが両者に存在し、同じ文脈に位置しながら枝別れるように、異なる道を歩んでいる。

ファッションとは解釈の創造性を競い合うゲーム。その側面はヨーロッパモードにより強く現れている。歴史に新解釈を刻めたデザイナーだけが、後世に名を残す。伝統の美しさと異端の迫力を併せ持つ至高のクチュリエ。その高貴な名の響きを口にするたび、美しく力強く立脚するドレスが脳内で再生される。彼は自らの才能が極上であることを証明した。エレガンスに酔いたければ、クリストバル・バレンシアガのドレスを見ればいい。

〈了〉

スポンサーリンク