デムナ・ヴァザリアの現在地

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AFFECTUS No.289

ファッションを見て、怒りを覚えることが快感になっていた。こんな特異な体験を味わえたデザイナーは、彼が生まれて初めてだった。デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)のことだ。2014年、デムナは弟のグラム・ヴァザリア(Guram Gvasalia)と共に「ヴェトモン(Vetements)を設立する。当初は、2000年代の「マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)」を現代化したコレクションを発表していたが、デビューから3シーズン目の2015AWシーズン、デムナは覚醒する。

ストリート×アグリー×マルタン・マルジェラ=ヴェトモンスタイルという方程式を確立し、世界をストリート旋風で覆い尽くし、ファッション界のキングと言える熱狂を創出するまでに至った。2015年にはパリの伝説「バレンシアガ(Balenciaga)」のアーティスティック・ディレクターに就任し、とうとうラグジュアリーの世界にまで上り詰めた。世界はデムナの手の中にある。当時の勢いはそう語る以外の表現が思いつかないほど、時代はデムナと共にあった。

トレンチコート、テーラードジャケット、フーディ、MA-1ブルゾン。デムナは誰もが知っているベーシックアイテムをデザインのベースにし、人間の身体を誇張する表現を取り入れたエクストリームなシルエットを発表することで、ファッションコンテクストの更新を図った。コンクリートの壁や、アメリカンフットボールのプロテクターの上からジャケットを着たような、圧力ある奇妙なパワーショルダーは、ジャケットというベーシックアイテムがリアリティとアヴァンギャルドを同時に感じさせる異様な迫力に満ちていた。

デムナが見せたコレクションは、抽象的かつで迫力ある造形で衝撃をもたらす従来のアヴァンギャルドとは全く異なる「リアルアヴァンギャルド」と呼べる新しいデザインだった。デムナの登場以降、以前のアヴァンギャルドスタイルが古臭く感じられるほどの影響力が、ファッションの歴史に及ぶ。

ヴェトモンで世界の覇権を手に入れたデムナだったが、2020年に突如としてヴェトモンを去ってしまい、バレンシアガの仕事に注力していく。以降、彼のデザインは時代の変化と共に緩やかに変化を遂げていく。

当初のバレンシアガでは、ヴェトモンと同様に歪で奇妙なエクストリームシルエットを、バレンシアガのDNAに沿うエレガントスタイルに乗せて発表していた。だが、ストリートの勢いがひと段落すると、デムナはトレンドがエレガンスへ舵を切り始めた時代の変化を敏感に捉え、彼が得意とするアグリーな感性は生かしたまま(その特徴は主にシルエットに現れる)、よりエレガンス濃度を高めたコレクションを発表するようになり、テーラードジャケットやドレスの発表頻度が増加していった。

この頃から僕は、デムナのデザインに怒りを覚えることがなくなっていく。以前のデムナは「これがファッションなのか?これが美しいのか?」と疑問渦巻くコレクションを次々発表し、その怒りで僕を快感で満たしてくれたが、時代がエレガンスに振れ、僕はバレンシアガのみでコレクションを発表するデムナから怒りを覚えることがなくなった。怒りを感じなくなったのは、デムナのアグリースタイルに見慣れてきたことも一因だろうが(慣れは恐ろしい)、スマートな印象のデザインに移行したことが最も大きな理由だと考えられる。

怒りを覚えなくなったデムナに、僕の興味は薄れていくのか。確かにそういう一面はあったが、今秋発表されたバレンシアガの2020SSコレクションで、僕は新たな楽しみを手に入れた。デムナがようやくエレガンスを手懐け、新しいステージに上ったのだ。デムナ流エレガンスの開眼である。

2020SSコレクションのウィメンズウェアで目立つのは、稀代のクチュリエだったクリストバル・バレンシアガが発表したドレスを発想源にしたであろうドレス群である。デムナが発表したシルエットを女性の身体の外へと拡張するデザインは、まさにクリストバルそのものだが、デムナが素材の色に多用するブラックはクリストバルと違うダークな空気が滲み出ていて、また癖が個性となっているモデルの選択も重なり、気品あふれるクリストバル時代のバレンシアガとは違う、アンダーグラウンドなバレンシアガドレスが誕生した。

同時発表されたメンズウェアに目を向ければ、過剰に肩を誇張したパワーショルダーは健在で、オーバーサイズのテーラードジャケットが幾つも見られた。今やデムナのメンズスタイルは、スーツを中心にしたエレガンスが軸だ。もちろん、上品で品格に満ちた伝統のエレガンスをそのまま踏襲しているわけではない。自分の身体とはフィットしない、オーバサイズのクラシックアイテムを着たストリートな男たち。それがデムナのメンズエレガンスであり、自分の色に伝統のスタイルを染め上げる。

ファッションは生鮮食料品と同じで、鮮度が命だ。コレクションに鮮度を宿らせるのは、時代との一体感である。変わってしまった時代の美意識(トレンドとも文脈とも言える)を、自分には合わないと切り捨て、コレクションをデザインするデザイナーに未来はない。変わってしまった時代を、たとえ自分の感性とは合わないとしても、自分の解釈で、自分の世界観で染めた現代のスタイルへと転換できる技術を持つことが、次々に新しいブランドが生まれ、変化することが当たり前のファッション界で生き残る術だ。自分のスタイルを、変わらずに変えていく。この矛盾を可能にするデザイナーだけが生き残る。

激しい感性がほとばしっていたデムナはとうに去った。今、彼から見られるのは巧みなテクニックである。クリストバルの遺産を、デムナのDNAと言うべきアグリー&ストリートと一体化させ、ストリート以降の流れの一つであるエレガンスに乗せて現代の時代感とも一致させる解釈を僕らに見せる。以前ほど強烈な圧力がコレクションにあるわけではなく、物足りなさを覚えるのは事実だが、聡明な巧みさを披露し、同じデムナがディレクションするバレンシアガでも、以前よりも現在のバレンシアガに惹かれている僕がいる。デムナ・ヴァザリアはエレガンスという新たな武器を手にし、自らを変えることなく変えることに成功した。

〈了〉

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