イザベル・マランの旨味を味わう

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AFFECTUS No.300

主張の強さで、人の注目を集める。それはある意味、着用者の周囲を楽しませる服と言ってよく、そういった服の代表例として、光沢の陰影を上質感を持って浮かび上がらせるテキスタイルで仕立てたスーツ、ボディラインが美しく映えるシルエットにトレーンを引く真紅のドレスを僕は思い浮かべる。一方で、全く逆のベクトルを持つ、他者の目に触れることが限定的で、自分の部屋で着ることを自分だけが楽しむ服もある。いわゆるルームウェアであったり、ナイトウェアがそれに該当するだろう。

このブランドを僕が本格的に書くのは、今日が初めてだった。なぜイザベル・マラン(Isabel Marant)を書こうと思ったのか。それは冒頭であげた二つの要素を同時に感じさせるデザインを、マランの2022リゾートコレクションに見たからだった。

このコレクションで発表されているのは、外出時に着用する服ばかりだ。ダブルブレストのロングコート、ややワイドなシルエットのホワイトパンツ、チョークストライプのジャケットに同素材のショートパンツを合わせたセットアップ、フロント中央にギャザーを寄せ、交差する肩のストラップが印象的な青いドレスも見られ、どのアイテム、どのスタイルも決して自宅の部屋で安らぎを得るための服ではない。

シンプルではあるがミニマムな印象は受けない。袖口をほんのりと膨らませたディテールや、花々あるいは抽象的モチーフを柄に仕立てた青や紫を用いたプリント素材が、コレクションにミニマリズムを寄せ付けない。装飾的ディテールがほとんど見られないデザインに、クリーンな空気は漂っているが、ミニマムブランド特有の緊張感はなく、例えるなら美しい気怠さがゆったりと流れている。

間違いなく外で着るための服が発表されている。けれども、僕が感じるのはルームウェアのようなリラックス感で、外出着を自宅で寛ぐ際の第一選択肢として着る女性の暮らしを、見せられているかのような感覚に陥る。

このイメージを感じさせる効果を果たしているのは、モデルの背後に写る部屋の風景だ。ルックを見るなり、僕の頭の中にすぐさま浮かんできたイメージはこうだった。殺風景な内装の部屋を借りて、最小限の家具だけを置き、好きなポスターだけを壁に貼り付け、ファッションが好きで楽しんでいる女性。ハイブランドだけにファッション予算を費やすのではなく、ハイブランドは本当に気に入ったアイテムだけを揃えて(資金的には無理をしない)、古着やファストファッションも気に入れば買い集めてファッションを謳歌する女性。それがマランのコレクションから僕が捉えたイメージだった。

「ファッション通信」のインタビューだったか、それとも「ハイファッション」のインタビューだったか、どこで聞いた(読んだ)かは今では記憶が定かではないが、山本耀司が「自分の好きな人を思い浮かべてボタンを縫い付ける」といったようなことを話していた。

僕はとてもいい言葉だと思った。自分が大切に思う人のことを思い浮かべ、服を作る。ファッションを作ることの原点が、山本耀司の言葉にはあった。僕はマランのリゾートコレクションには、自分の楽しみをファッションに集中させてはいるが、生活の全てというほどの情熱ではなく、余裕を持ってファッションを楽しむ女性のために、マランが素材をチョイスし、シルエットを考え、仕様を決めて、服の一着一着を作っていったように感じられ、それがとても心地よいカッコよさを僕に感じさせた。

複雑な味わいのソースはなるだけ使わず、シンプルな味付けで、素材の旨味を引き出して美味しさを演出する。そんな料理に通じる旨味を、僕はマランが完成させたコレクションから味わう。

服は大胆さ、複雑さだけが価値ではない、一目見てどう作られているか、パターンが全く想像できない。それだけがファッションデザインの魅力ではない。手数は必要な数に留め、服の完成に要する時間も最小限にとどめるため、仕様はなるだけ簡潔に。少し色とプリントを足して、フリルやギャザーもほんのりと加える。そうしてデザインされ、作られた服にも人々の心を揺らす美しさは宿る。

ささやかにデザインされた服がモード性を獲得するために、マランが行ったことは服を着る目的をズラすことだった。ピークドラペルのジャケットやプリントドレスを、部屋で寛ぐために着る。イザベル・マランは、服そのものではなく、服の選択にモードな姿勢を表す創造性を示した。

〈了〉

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