アレキサンダー・マックイーンについて語ろう

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AFFECTUS No.303

僕が長らく書くことを避けてきたデザイナーが、アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)だった。それはなぜかと理由を問われると、僕が好むデザインとはあまりにかけ離れており、どう書いていいのか、どう述べていいのか戸惑ってしまうからだった。何せ僕はヘルムート・ラング(Helmut Lang)やジル・サンダー(Jil Sander)をきっかけに、モードへの興味を持ち始めた人間で、劇画的なマックイーンに興味を持つという方が難しかった。

しかし、デザインが自分の好みとは違くとも、これまで書いてきたデザイナーはいる。その一人が川久保玲だった。迫力抽象造形の極地である「コム デ ギャルソン(Comme des Garçons)について、僕は幾度となく書いている。川久保玲のコレクションは「ミニマリズム」「クリーン&シンプル」とは完全に断絶しており、僕からすれば、全くの異世界ということになる。だが、何度も僕はコム デ ギャルソンについて書いてきた。

マックイーンとの違いは、どこにあるのだろう。

それは歴史的か否かにある。マックイーンのコレクションに、僕は中世ヨーロッパ服装史の影を感じていた。特にそれをシルエットに感じることが多く、メンズウェアで言えば肩が弓形に盛り上がったコンケープドショルダー、ウィメンズウェアで言えば急激なウェストのシェイプから、裾に向かって開花した花のように広がるシルエットのドレスなど、身体の特徴を強調するテクニックに、クリノリンやコルセットなどを用いた中世ヨーロッパファッションのテクニックに通じるものを覚えた。

正直に述べれば、僕はその時代の服が苦手だ。人間の身体の特徴を過剰に強調するテクニックに性的表現を強く感じてしまい、そういった生々しさがあまり感じられないファッションが好きな僕にはどうしても苦手で、だからマックイーンのコレクションに強い関心を抱けなかったのだと思う。

コム デ ギャルソンも身体を特異な形にデザインした造形を発表している。しかし、僕は川久保玲の造形デザインに、性的表現を感じることはほぼない。川久保玲は「人間にとって現在の造形が本当にベストなのか?」「人間の暮らしと行動を思えば、現在の人間に適したより良い他の身体の造形があるのではないか?」といった疑問を投げかけるように、人間の体の可能性を模索するタイプのデザインを特徴とし、セクシーやグラマラスといった形容とは断絶したコレクションが作り出されている。

今まで僕が書いてきたデザイナーやコレクションと比較してみると、マックイーンになぜ惹かれなかったのかが見えてくると同時に、逆に僕が惹かれなかったデザインがまさにマックイーンの特徴だというのが実感できる。

「ドラマティック」の一言に、マックイーンの才能は凝縮される。彼のコレクションには歴史が感じられ、世界のファッションの中心であるヨーロッパで、その歴史を彩ってきた服装の特徴をすくい上げ、クラシックなエレガンスを保ったまま現代の感覚へ調節した麗しいファッションがデザインされている。同タイプのデザイナーにジョン・ガリアーノ(John Galliano)の名があげられるが、マックイーンは同じドラマティックでも、ガリアーノに比べるとリアリティが強く、例えるならガリアーノが映画のための衣装ならば、マックイーンは夜宴のためのドレスやタキシードといったところか。同じ歴史をモチーフにしたデザインでも、マックイーンはガリアーノと比較すると現実世界により近いデザインである。

ロンドンで言えば、ヴィヴィアン・ウェストウッド(Vivienne Westwood)も中世ヨーロッパから発想を得た歴史的コレクションを発表するが、ウェストウッドはパンクテイストが強く、マックイーンはウェストウッドよりも色気の成分が強く現れ、グラマラスな魅力を持っている。

歴史を背景にしたコレクションでも、こうして比較して考えてみると、各々に違いが感じられ、ファッション文脈におけるマックイーンのポジションがわかりやすくなる。彼のデザインに近いと言えるのは、1950年代のオートクチュール黄金期のドレスではないだろうか。

女性の美しさと新しい生き方を表現するファッションが、ストイックなまでに探求されたあの時代のオークチュールのドレスと同じ匂いを、僕はマックイーンのコレクションから感じる。言うなれば、マックイーンはクリスチャン・ディオール(Christian Dior)やココ・シャネル(Coco Chanel)の現代版デザイナーと呼べる。

パリでマックイーンは、ディオールの弟子だったユベール・ド・ジバンシィ(Hubert De Givenchy)のメゾンでオートクチュールを手がけていた。1997SSシーズンに発表された「ジバンシィ」のオートクチュールは、マックイーンの劇画性がより強く表れたコレクションで、黄金色に輝く豪華な刺繍が施されたペムラムジャケット、見事な羽根飾りとパフスリーブが組み合わさり、タイトシルエットを描くミドルレングスドレス、贅沢と豪華が至る所に散りばめられたルックの数々はマックイーンの才能が爆発を起こしていた。

このオートクチュールコレクションでは、マックイーンの劇画性はガリアーノに近づく。しかし、それでもガリアーノに比べれば現実味が強い。マックイーンは身体の造形の特徴を強調するが、誇張はしない。ガリアーノは誇張と言えるほどに、過剰で大仰なシルエットをデザインすることが多い(現在の「メゾン・マルジェラ(Maison Margiela)」では当時よりもリアルだが)。マックイーンはバスト、ウェスト、ヒップ、ショルダーといった身体のディテールを「強調する」範囲内の造形に留め、リアリティを持たせ、現実と夢をつなぎ合わせてモードの舞台で形とした。そのアプローチは、やはりクリスチャン・ディオールやココ・シャネルに近しいものを感じる。

僕は素直に感嘆する。

ジバンシィは演劇的と美しさを放っていた。マックイーンのジバンシィを着れば、その場がどこであってもスポットライト当たる舞台へと変わる。空間の意味を変えてしまうのが、彼のジバンシィだった。

今回のマックイーンに関する僕の語りは以上になる。

振り返ると、今回はジバンシィへの言及がメインになってしまった印象だ。もし今後マックイーンについて書くことがある際は、シグネチャーブランドのコレクションについて書きたい。やはり、シグネチャーにこそマックイーンの才能が最も強く現れているはずだから。

マックイーンについて語ると言いながら、シグネチャーのコレクションに触れることを気がつくと避けていた。やはり僕にとってアレキサンダー・マックイーンというデザイナーは、一筋縄ではいかない存在だ。

〈了〉

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