派手さから距離を置くOAMC

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AFFECTUS No.316

このブランドを今回のテーマにするかどうか悩んだ。なぜなら、近年取り上げる回数が多く、「またか」と思う人もいるだろうし、自分自身でもそう思ったからだ。しかし、やはり書くことにした。「OAMC」でルーク・メイヤー(Luke Meier)が見せる現在のデザインは、最新コレクションの度に言及したくなる特徴が見られ、それは今回の2022AWコレクションも同様だった。

「モード」という言葉を耳にした時、あなたはどんな服を頭の中に描くだろうか。おそらく多くの方が、非常にデザイン性の強い服を想像するのではないか。好きになる人は「あれが欲しい!」と一瞬にして魅了され、嫌いになる人は「こんな服を誰が着るんだ!?」と怒りを覚える。モードとは極端な感情を見る者に起こす。

では、OAMCにおけるルーク・メイヤーはどうだろう?

僕の感想を率直に言おう。近年のOAMCのコレクションを見た時、僕がいつも初めに思うのは地味さで、2022AWコレクションでは泥臭さも感じるほどだ。喜びにも怒りにも感情が大きく触れることがない地味さ。抑揚のない平坦な感覚が、僕にとってのOAMCとなっている。だが、誤解しないで欲しい。OAMCの地味さに僕が物足りなさを感じているわけではない。むしろ、その逆だ。味わい深く、徐々に胸の奥に染み込むようにじっくりと浸透する感覚に、僕は惹かれている。

シルエットは基本的にはオーバーサイズだ。しかし、極端にビッグサイズ化して強烈さを訴えるほどではない。実際に着るとかなりボリューミーなアイテムもあるが、発表される多くのシルエットは凡庸と称した方がよく似合う。

メンズウェアの王様、テーラードジャケットから痺れるようなエレガンスは感じられない。巨大な分量感で身体を誇張するでもなく、布と皮膚の間にわずかな隙間も許さない強烈な細さでもない。例えるなら1サイズ上のジャケットを着ているような、ほんの少しだけの主張が感じられるシルエット。ラペルにしてもそうだ。テーラードジャケットにおいて、ラペルは顔と呼べるディテールであり、ラペルの幅やゴージラインの位置など、一目で心を鷲掴みにされるジャケットにはラペルに非凡なデザインが見られる。だが、OAMCの姿勢はラペルにおいても同様で、ラペルの幅は太くも細くもなく、ゴージラインの位置も高くも低くもなく、凡庸な印象を植え付ける。

このように、モードの代名詞と言える強烈なデザイン性がテーラードジャケットだけでなく、他のアイテムにも貫かれているのが現在のOAMCだ。もちろん、派手な要素が全くないわけではない。2022AWコレクションでは、イエローとグレー味がかったグリーンの2色を、身頃で大胆に切り替えたクルーネックニット、キャンバスに描かれた抽象絵画のような色彩と模様を描くテキスタイルなど、素材面においてダイナミックなデザインが発表され、過去のコレクションでも、往年のジャズレコードのジャケットを連想させるグラフィックがシャツやスウェットに使われ、視覚的にインパクトを放つデザインは幾度も登場している。

それでも、だ。僕はやはり今のOAMCには凡庸さを感じてしまう。シルエットだけでなく、ワークウェアを基盤にしたアイテムが多く登場することも、僕がOAMCに凡庸さを抱く要因になっている。ワークウェアというよりも作業着と表現する方が適切か。作業着をクールにスタイリッシュに仕上げているわけではない。白地の布には黒いステッチ、黒地の布には白いステッチ、青系の生地には同色のステッチをしているが、ステッチ糸の色味は生地よりも少し濃くするなど、作業着が持つディテールをささやかに強調するデザインが見られ、作業着の持つ地味さを壊さずに尊重する。ルーク・メイヤーが見せる控えめな姿勢は、モードとは対極に思えてくる。強い個性のデザインがあっても、それを上回る地味なデザインのボリュームがOAMCをモードの常識から遠ざける。

だが、僕は逆にこうも思えてくるのだ。これだけ地味さを訴えてくることもモードではないかと。たしかに強烈なデザインではないが、抑制された渋いデザインを幾度も目にしていくことで、次第に「これはいいのではないか……」と心境に変化が起きる。世の中には極上の美しさの他に、渋い美しさもあるのだとルーク・メイヤーは訴える。

モードに顕著な派手さとは距離を置くことで、別軸の価値観を文脈に刻む。ルーク・メイヤーがOAMCで行なっていることは、モード本流のデザインとは逆の方法でモードをデザインするという手法だ。憎い。心憎い。渋い。実に渋い。古着ではないが、古着のような味わいが今のOAMCにはある。この味わいを次のシーズンも僕は感じたい。

〈了〉

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