一枚の布で世界を変えた三宅一生

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AFFECTUS No.357

「え、マジに……」

ニュースの見出しを見ると自然に、一人声に出して呟いていた。8月9日、「イッセイミヤケ(Issey Miyake)」の創業者であり、世界を舞台に活躍したファッションデザイナー、三宅一生が肝細胞がんで亡くなったことが明らかになる。84歳だった。2020年10月に亡くなった高田賢三に続き、日本ファッションの巨星が亡くなった。この訃報に驚かない方が無理だ。

三宅は1973年にイッセイミヤケを創業すると、1973年にパリコレクションに初参加し、「一枚の布」というコンセプトを発表する。このコンセプトによって生まれた服が、ファッションの文脈を更新したのだった。では、一枚の布とはどのような服だったのだろうか。ファッションの主流である西洋の服と比較しながら、三宅の成したデザインの価値について語っていきたいと思う。

ここで述べる西洋の服とは、主にパリで生まれた服のことだと考えてもらえたらと思う。まずは基本的な服の歴史の流れに触れていこう。それが、三宅一生の価値を分かりやすくしてくれる。

三宅登場以前、服とは人間の身体を立体的に表すものだった。たとえば、1947年にクリスチャン・ディオール(Christian Dior)が発表したニュールックは、当時の服に対する概念を最も端的に表したデザインだと言える。コンパクトなショルダーライン、絞られたウェストライン、そしてウェストから花が咲き誇るように広がるフレアシルエットのスカートで構成されたニュールックは、女性の曲線的ボディラインが持つ美しさを立体的パターンで強調するデザインだった。

コルセットでウェストの細さを限界まで細くし、クリノリンでスカートのシルエットを膨らませた時代があるように、ヨーロッパでは理想のシルエットのためには身体に負荷をかけることも厭わなかった。ディオールと同時期に活躍したクリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga)も身体を立体的に表現したドレスが特徴だったが、彼の場合、身体に負荷をかけるのではなく、バルーンシルエットやエッグシルエットのように身体にストレスを与えないようにしながら、迫力あるフォルムを作り出し、それまでの文脈に「身体を解放した立体造形」という新しい解釈を刻む。

ただ、パリの中にもボディラインを強調する伝統の価値観に疑問を抱き、新しい文脈を作り出したデザイナーもいる。ディオールの登場以前では、女性をコルセットから解放するハイウェストドレスを考案したポール・ポワレ(Paul Poiret)、バイアスカットを武器に布地の伸縮性を活かして、女性のボディラインを自然に柔らかく美しく表現したマドレーヌ・ヴィオレ(Madeleine Vionnet)といったデザイナーたちがおり、ココ・シャネル(Coco Chanel)は下着に使われていたジャージ素材を用いたり、当時は男性のための服で、女性が穿くことは異端だったパンツを取り入れたスタイルを発表するなど、ポワレとヴィオネがパターンテクニックで解放シルエットを作り出したのに対し、シャネルは素材とアイテムのチョイスで解放シルエットを生み出す。このように解放シルエットの文脈でも更新が行われていた。

ディオールやバレンシアガが活躍したオートクチュール黄金期の1950年代の次に訪れたのは、スポーティでフューチャリスティックな1960年代だった。その主役はアンドレ・クレージュ(André Courrèges)とマリー・クワント(Mary Quant)が担う。パリのクレージュとロンドンのクワントは、スカートの丈を短くするという手法=ミニスカートを発表することで女性の脚を動きやすくし、解放シルエットの現代化を図る。シャネルのスタイルはコンサバだったが、クレージュとクワントのスタイルはもっと活動的でスポーティで、若々しくフレッシュな装いだった。

もはやウェストを急激に絞るシルエットは前時代のものになる。しかし、シャネルやクレージュ、クワントによる解放シルエットは、スカート、ジャケットなど洋服の形をキープした中で行われた、あくまで立体的な洋服という枠組みの中で行われた解放だったと言える。

その流れに異端のアプローチを見せ、解放シルエットの大幅な更新を成功させたのが三宅だった。これまで述べてきた通り、それまでの西洋の服は、人間の身体に添わせて立体的に作られたものが常識だった。しかし、三宅が発表した「一枚の布」は日本の着物のように平面的な衣服から発想し、平面である布の形を生かしたまま服へと仕立て、人間の動作と共に布が軽やかに舞う美しさをデザインする。

西洋の服は「身体=個性」だとも言える。元来女性が持つ曲線的ボディラインの美しさを最大化させるアプローチが行われ、ヴィオネやシャネルは逆に女性の曲線的ボディラインを誇張するのではなく自然に見せることで、ありのままの美しさを訴え、クレージュやクワントのミニスカートも脚が主役と言え、パリを中心に生まれてきた服は身体そのものが主役となっていた。

一方、日本を中心にしたアジアの服は平面的で、パターンも直線の形状が多く、西洋の服に比べて立体感に乏しい。しかし、それが別の価値を服にもたらす。直線の形状が多いパターンは布に近い形状が作られるために、身体に沿った立体感の代わりに身体と布の間に空間を生み出す。そうして作り出された空間は女性の身体の動きに合わせて、布は揺れ、たわみ、流動的な表情を見せる。

歩くという動作ひとつとっても、一人ひとり歩幅や腕の振り、姿勢は異なる。人間は身体そのものだけでなく、身体の動作にも個性が表れている。三宅は、西洋の「身体=個性」とする価値観から「身体の動作=個性」とする服の価値観の大転換を起こしたとも言え、西洋の文脈にまったく新しい解釈を刻んで、更新するのだった。

より正確に言えば、三宅より早く1970年にパリにデビューした高田賢三の役割も重要だった。彼のブランド「ケンゾー(Kenzo)」は、花柄を用いた豊かな色彩、和の美しさと民族衣装から着想を得た優雅なシルエットと装飾を武器に、日本と西洋の美的感覚が融合するファッションをパリモードに確立し、高田は三宅に先んじて直線的な解放シルエットを世界に発表した。その後に登場した三宅は「一枚の布」というコンセプトが示す通り、より直線的な布の形状に近いシルエットで、解放シルエットの更なる進化を促した。

このように三宅は、ファッションの中心であるパリで育まれてきた伝統の価値観に対し、日本の伝統から発想した服で全く逆の新しい価値観を提示し、ファッションの歴史を大きく変える偉業を成し遂げ、三宅はファッション界の偉人となる。

駆け足で述べてきたが、三宅一生というデザイナーの功績が少しでも伝わってくれたなら、僕は嬉しい。服が変わることは人間の行動を変え、人間の行動が変わることは暮らし方が変わっていくことになる。暮らし方が変われば、世界は変わる。スマートフォンが世界中の人々の生活習慣を一変させたように。

現在のファッションは世界の中心産業ではないかもしれない。だが、服には人間を変えるパワーがまだ潜んでいる。と、僕は信じたい。三宅のような世界の歴史を新たに変えるデザイナーが、再びここ日本から生まれることを願って終わりとしたい。

〈了〉

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