手を伸ばせば届くエミリア・ウィックステッド

スポンサーリンク

AFFECTUS No.368

イギリス王室のキャサリン妃も愛用し、数々のセレブに愛されるドレスを発表する「エミリア・ウィックステッド(Emilia Wickstead)」。ロンドンを拠点に活動する彼女もまた例にもれず、名門セントラル・セント・マーティンズ(Central Saint Martins)が送り出した才能である。

ウィックステッドのドレスは、誤解を恐れず言えば古典的だ。フラワープリントのテキスタイル、フレアシルエットでロングレングスのドレス、ストレートシルエットのミニドレスなど、ドレスという単語を目にした時、すぐさま頭の中に浮かび上がってきたイメージがそのまま現実の服として形になった。それが僕が捉えたウィックステッドだった。

2023SSコレクションでも、彼女が得意とするフェミニンは健在だ。しかし、ショーの冒頭は少々趣が異なっていた。真っ白な空間に現れたファーストルックは、無装飾で真っ白なシャツと膝下丈のフレアスカートは、甘さよりも清廉な空気にあふれ、次に登場したルックも同様のイメージを放つ。肌を透かす白く軽やかな生地で作られたノースリーブシャツと、同じ素材で作られたタック&フレアの膝下丈スカートのスタイリングは、ジル・サンダー(Jil Sander)本人が手掛けていたころの「ジル・サンダー」を思い出すピュアなアーバンスタイルだった。

3番目のルックにして、ウィックステッドらしいイエローのフラワープリントドレスが登場するが、ファーストルックとセカンドルックに登場したホワイトシャツ&スカートルックの印象が強かったせいか、プリントドレスを見ているはずなのに、ミニマリズムのドレスを見ているようなイメージが迫ってくる。だが、その後はプリントドレスの登場が続き、次第にミニマリズム的イメージから、ウィックステッド本来の古典的イメージへと印象が移っていく。

古さを感じたから、ウィックステッドのコレクションに魅力を感じなかったのかというと、それは違う。僕の心を捉えたのはノスタルジーと言える感覚だった。ウィックステッドのドレスを着た女性モデルたちを見ていると、暖かい懐かしさに包まれる。

僕がウィックステッドから感じた古さは、祖母が愛用していた服を孫である女性が着るというタイプの古さであり、そこにネガティブな感情はいっさいない。新しさを常に求めていくモードで、服への愛情と大切な人への思慕をあふれさせたイメージは逆に新鮮だった。

シルエットや素材が古典的に思えたウィックステッドだが、発表されたドレスを見ていくと、シャープなキレのカッティングが混ぜられたデザインがあることに気づく。このモダンテイストのドレス(というよりのディテールと言う方が正しいだろう)を混ぜていることが、ただ古いだけのコレクションと思わせない要因になっている。

ウィックステッドを見ていて、想像外の驚きを体験することはない。だが、ファッションの常識を覆すことだけが、ファッションの魅力ではない。賛否を呼ぶことはない。ほとんどの人々が賞賛するエレガンスが、ファッションにはある。ユベール・ド・ジバンシィ(Hubert De Givenchy)が、オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)の為に作ったドレスの数々は、数十年と時間が経過している為に最先端の新しさを感じることはなくとも、時代を超えて人の心を打つ美しさがある。

エミリア・ウィックステッドは、ファッションの歴史に横たわる伝統のエレガンスを現代に甦らせる。しかし、オートクチュールやレッドカーペットに登場するドレスのように、豪華さや派手さとは距離を置き、もっと日常に近づいたドレスを仕立て、一方で街で着るリアリティからは離れたバランスをデザインし、ドレスを着ることの高揚感を胸の奥から芽生えさせる。

手を伸ばしても届かそうに思えても、しっかりと手を伸ばせば、そのエレガンスは掴むことができる。決して、セレブだけに愛用されるドレスではない。ロンドンが輩出したモダンなドレスメーカーは、現代の人々にドレスを着ることの喜びと幸せを送り届ける。

〈了〉

スポンサーリンク