PPCMは緩くてカッコいい

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AFFECTUS No.377

「PPCM(ピーピーシーエム)」という日本ブランドをご存知だろうか。たとえ知らなかったとしても不思議ではない。1994年に設立されたブランドで、誕生から30年近くが経ち、すでに今は存在しないブランドなのだから。おそらく、PPCMを知っている人は、現在40代のモードファンに多いのではないかと思う。

今回は、いつものようにPPCMのデザインについて多く語るわけではない。語りたいのは、PPCMのブランドとしての在り方と言えばいいだろうか、それについて述べていこうと思う。今改めて思い出してみても、PPCMの姿勢に私はカッコよさを感じてしまうのだ。

まずはPPCMがどのようなブランドなのか、もう少し詳しく触れていこう。ただし、メディアでの露出がそれほど多いブランドではなかったので、判明する情報は限られてしまっているが、私の知りうる範囲、調べた範囲でわかることを述べたい。

アルファベットが4つ並び、そのまま発音するだけという、とても不思議なブランド名だが、この名前に特別な意味はない。アルファベットをただ適当に並べただけなのだから。しかし、PPCMを運営する会社名には意味があった。会社名は「マウス・デザイン・プロダクションズ(M-A-W-S Design Productions)」と言い、「M-A-W-S」はブランド設立者4人の頭文字から名付けられた。

おそらく「A」を表す人物が最も有名で、知っている方も多いはずだ。世界的にも人気のブランド「カラー(Kolor)」のデザイナー、阿部潤一のことである。他の3つのアルファベットは、森田晃功、渡辺拓、曽我(フルネームが不明)の3人のことであり、彼らは皆、文化服装学院アパレルデザイン科の同級生で、「イッセイ ミヤケ(Issey Miyake)」「コム デ ギャルソン(Comme des Garçons)」「エヴー(Et vous)」で企画・デザイナー・パタンナーとしてプロフェッショナルのキャリアを積んだ人物たちだ。

そんな4人が集まり独立した会社がマウス・デザイン・プロダクションズであり、ブランドがPPCMだった。ちなみに曽我はデザインに関わっておらず、当時は「3人のデザイナーによるブランド」という説明が一般的だった。

今、このように設立者たちの出身ブランドを述べているが、それだけで興味を引くものがあるかもしれない。しかし、PPCMが活動当時、出身ブランドは公表されておらず、設立者4人の名前も非公開だった。前述の情報はすべて、PPCMが解散した2004年以降、明らかになったものだ。

もちろん、当時はPPCMの卸先であったショップ、取引先の生地会社や縫製工場、様々な情報が集約するメディアには、PPCMのバックグラウンドを知る人々はいたかも知れないが、PPCMのシークレットな姿勢は徹底しており、ブランドの背景が公になることはなかった。

ここまでくると、「デザイナーには言葉はいらない。服がすべてを語る」という寡黙で孤高なデザイナーのようなイメージを抱かれそうだが、PPCMはそういうブランドではなかった。メディアに登場する回数は少なかったが、決して取材を完全拒否していたわけではない。積極的には出ないが、取材の申し込みがあって、なんとなく気分で「今回は、ま、いっか」みたいなノリで受けている印象を抱くぐらいには、メディアの取材は受けていた。ちなみに、毎回デザイナーたちの顔写真は一切掲載されない。

そして私は、誌面に掲載されるPPCMの言葉が非常に好きだった。語られるのは、服づくりの考え方、ブランドの在り方であり、派手な言葉や過激な言葉もはないが、読んでいて私はとても心地よかった。

ここに1冊のファッション誌がある。私が最も愛したファッション誌『ミスター・ハイファッション』の2000年10月号である。このファッション文学と称されたファッション誌は、毎号ブランドのアトリエを訪れて、アトリエの風景写真と共にデザイナーの言葉を紹介する企画ページがあった。文章のクオリティが素晴らしく、写真もモノクロだが、絶妙なカッコよさだった。今、私の手元にある2000年10月号はPPCMのアトリエを訪れた回が掲載された号であり、私が好きなミスター・ハイファッションの一つになる。

ここで、ミスター・ハイファッションに掲載されたPPCMの言葉を少し引用したい。

なぜ、彼らは顔も名前も出さないことにしたのだろうか。

「僕らはそんなかっこいいもんじゃない。湧き上がる感情にまかせてとか、クリエーションしなければ、ということはないんです。会社はサークルではないので、好き勝手はできない。お客さまへの責任上、アイテム数も必要だし」
『ミスター・ハイファッション』2000年10月号より

なんとも真面目な言葉だ。面白味に欠けると思われてもしょうがない。だが、私はこの言葉が服づくりに実直に向き合う姿勢が感じられて好きだ。

デザイナーがスターである必要はない。そんなブランドがあってもいい。

「ラディカルな存在にあこがれるのはわかるけれど、それを作っていく過程にうそが見えちゃう。もう独裁者もカリスマもいらないと思う。反体制でなければ、新しいものはできないとかって固定観念に縛られるのはいや。今のシステムのいいところを取り込んだほうがいいんじゃない」
『ミスター・ハイファッション』2000年10月号より

既存の方法論に疑問を感じながらも、怒りを覚えて戦うわけではなく、いいところは受け入れてやっていく。それがPPCMらしさ。この新しさを目指しながら、どこか力の抜けた自然体が私はとても好きだった。

それはPPCMのクリエーションにも現れている。毎回送付する展示会インビテーションは、遊び心が仕掛けられていた。1番面白いのは、1999AWコレクションのインビテーションで、『週刊新潮』にPPCMの展示会広告を出し、その本をインビテーションとして配った。

どうだろう。このインビテーションでも、PPCMのものづくりに対する姿勢が感じられるのではないだろうか。真面目なんだけど、どこかおかしい。それがPPCMだった。

服もそうだ。一見するとシンプルなシャツやパンツ。だけど、何かが違う。素材なのか、ディテールなのか、シルエットなのか。私たちが知っているベーシックな服が、どこか違う服に見えてしまう。その感覚が新しいと感じられてくる。例えるなら、現在のカラーをもっとシンプルにした服だろうか。PPCMは決して派手な仕掛けはしない。さりげなくさらっと。毎シーズン、コレクションのテーマを発表することもなく、自由気まま。

「どう?面白いでしょ?」

そうPPCMは微笑みかける。

デザイナーはキャリアを明らかにしないし、顔も名前も出さない。だけど、時々メディアの取材は受けて、自分たちの姿勢は丁寧に語る。それ以外の時間のすべてを服づくりに費やす。PPCMは、ファッションを作るでのなく服を作る。

近年は、深刻で重い出来事ばかりが立て続けに起きる世の中だ。こんなことが続けば、疲れてしまう。私は心がほっと緩んでしまう面白さが欲しいし、それが今の私にとってのカッコよさになっているかもしれない。シャープでクール、ストイックでストロング。それはちょっと、もう重くなってしまった。

今こそ、PPCMのカッコよさが欲しい。

〈了〉

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