マルタン・マルジェラとエルメス

AFFECTUS No.3

「ファッションの歴史上、最も偉大な天才は誰か?」

こう問いかけられたら、僕の答えは決まっている。影響を受けた好きなデザイナーはヘルムート・ラング(Helmut Lang)で、ジル・サンダー(Jil Sander)も素晴らしいし、ラフ・シモンズ(Raf Simons)とアン・ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)も好きだ。日本では柳田剛の「ナイーマ(Naiyma)」に僕は魅了されていた。

しかし、冒頭の問いかけに対する僕の答えは上記に挙げた好きなデザイナーたちではない。マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)の名前一択になる。しかし、それは限定的だ。マルジェラがデビューした1989年春夏から1998年頃までのマルジェラ、この時期のマルジェラこそがファッション史において最も偉大なデザイナーだった。

なぜそう思うのか?

それを聞かれると曖昧な答えになってしまう。圧力を感じるから。情けない話であるが、こうとしか答えられない。この時期のマルジェラの作品写真を見ていると、圧力を感じる。それはファッション界への怒りとも言えるような圧力。けれどその怒りには熱はなくて、どこまでも冷え切っている。マルジェラの初期の作品を見ると、この人は当時のファッション界にそうとうな怒りがあったのではないかと思えてくる。だが、マルジェラのこの時期の服を写真で見ると、その怒りには熱はあまり感じず、代わりにもっと冷めた冷たい怒りのようなものが感じられてくる。冷めた視線でファッション界を皮肉っているかのようだ。

これが1998年以降、特に2000年代に入ってからは怒りが一巡して落ち着いたように「これからはさー、もうさー、面白いことやるかー」といったノリの軽さを覚える(コレクションを見る限り、デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)がデザインのベースにしているのはマルジェラの2001SSコレクション)。

2000年代半ばになると、コレクションから圧力はほとんど消えてしまう。もちろんあくまで僕の主観であるが、見ていてそう感じる。デビューの1989年から1990年代のマルジェラは眩い光を、大きすぎるぐらいの光を放っていた(その時期をリアルタイムで見られなかったことが悔やまれる)。

最新ファッションが問われるパリコレで、トルソーを型取ったトップスを出す。過去の自分のコレクションをグレーに染め直しただけの服を最新コレクションとして発表する。過去の誰かが作った服に手を加えず、そのまま最新作としてパリコレで発表する。それはパクリとは違う次元の、モードの場であるパリコレで試みたことに価値がある、マルジェラ流の解答。「コム デ ギャルソン(Comme des Garçons)」は造形力で「服とは何か」という問いへの解答を出してきた。しかし、マルジェラは同様の問いに対し、造形の前段階、概念的なところであの手この手であらゆる角度から揺さぶった。

それは服だけにとどまらなく、若くて美しいモデルの代わりに白髪の年配の女性をモデルに起用し、「美しさとは何か」と揺さぶり、倉庫のようなおよそショーを開催するのにふさわしいとは思えない場所でショーを行い「華やかな場所で発表することがファッションなのか」と揺さぶり、ショー以外の方法によって最新コレクションを発表することで「ショーだけが発表形式なのか」と揺さぶる。ファッションのあらゆるものを、概念的なところであらゆる角度から揺さぶり続けてきた。それはマドレーヌ・ヴィオネ(Madeleine Vionnet)やクリスチャン・ディオール(Christian Dior)、ココ・シャネル(Coco Chanel)、クリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga)など伝説のクチュリエでもやってこなかったことである。

マルジェラが秀逸なのは、コレクションテーマとなった概念を実際の服にデザインした時、分かりやすい形へフィニッシュさせたことだった。もし、マルジェラが造形的に複雑怪奇でインパクトの強い服を発表していたら造形の迫力に目を奪われ、マルジェラの魅力であるコンセプチュアルな面白さを堪能できなかった。コム デ ギャルソンが「これまで見たことのない服を作ろうとする」のに対し、マルジェラは「これまでにあった服を作り変える」ことに主眼を置いていた。

いつかどこかで見たことのある服に、これまでと違う何かが入り込んでいる。だから疑問を抱ける。何をしているんだ、と。先述のトルソートップスにしてもこれは服ではないのだが、ある意味誰もが見たことのある服。それを人間が着られるデザインにしたことで、その服の背後にある概念が気になり始める。マルジェラは服の背景への関心を呼び込むために見たこともない服ではなく、どこかで見たことのある服をベースにデザインしていたが、時には服以外のどこかで見たことのある「モノ」もベースにデザインしていた。トルソートップスがまさにその好例だと言える。

初期のマルジェラはコム デ ギャルソンとは違うベクトルで、衣服に革新性をもたらしている。あくまでベースはベーシックでリアル。そこを立脚点として革新性を出そうとしている。そして、マルジェラの恐ろしいところは自身のコレクションで見せたように、概念的なところでデザインできる技術と、エレガントな服を作れるというファッションセンスを共存させていたところだ。

かつてマルジェラが手がけた「エルメス(Hermès)」には色気があった。

女性特有の曲線を大切にするというのは、身体にフィットさせる服を作ることではなく、布の量感やラインで女性特有の曲線ラインを想起させるという意味である。このセンスが抜群だったのがマルジェラという人であり、そのセンスのみにフォーカスし、最大限に発揮されたのがマルジェラのエルメスだった。マルジェラのエルメスは、極めて普通なのに極めて美しい。「美しさ」よりも「永遠」という言葉がフィットする。エターナル。この言葉こそが、マルジェラのエルメスを形容するのに最もふさわしい。

世界を変えるのは美しさではなく価値観。マルタン・マルジェラを見ているとそう思う。彼の価値観は、ファッション界にとどまらず幅広く広がった。

ノームコアを経て、モード性が強くなっている現代。それはかつてマルジェラが活躍した1990年代を彷彿させる。ただし、1990年代は服の至る所で服のすべてでデザイン性を強めていたが、今はベーシックなアイテムやスタイルをベースにして服のあるポイントに絞り、そこをエクストリームして(例. 袖丈を極端に長くする)デザイン性を表現している。

デザインアプローチが1990年代と現代では決定的に違う。僕には、今の時代こそが、マルジェラの才能が最も発揮される時代のように思えてしまう。この時代にマルジェラならどんな服を作るのだろうか。もう叶わない願いだろうが、僕は見てみたかった。そしてさらに言えば僕の希望は、マルジェラのエレガントな才能のみにフォーカスした、彼が作る現代の服が見たいということ。叶わない願いなのが悲しい。

〈了〉

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