AFFECTUS No.2
物語が進むにつれ、いくつもの謎が増えていく。終盤に近づけば近づくほどその謎は加速度的に増えていく。この謎がどう解明されるのか、それが気になってページを繰る手が止まらなくなった。だけど、そのたくさんの不思議な謎は全く解明されないまま物語は終わってしまう。謎が謎のまま終わってしまった。そのときの読み終わった後の心地悪さは、それまで読んできた小説の中で圧倒的に一番だった。
「なんだこれ!?」
記憶が定かではないが、たぶんそんなふうに思った。とにかく心地悪かった。
けれど読了後、時間の経過と共にその心地悪さに変化が現れ始める。心地悪さが心地良くなってしまったのだ。あんなに苛立ったはずなのに、その苛立ちが楽しくなっていて、苛立ちが消えることに物足りなさを感じていた。『海辺のカフカ』の特殊な感覚を知った日以降、心地悪さが心地良くなる体験を何度もしたくなって、僕は村上春樹の作品を貪り読むようになってしまった。
なぜこんな話をしたかというと、村上春樹から感じた心地悪い心地良さを、ファッションでも感じていたことに気がついたからだ。それが「ヴェトモン(Vetements)」、正確に言えばデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)のデザインだった。パリオートクチュールの初日、ヴェトモンの2017SSコレクションが発表された。そのコレクションを見て僕は、これはヴェトモンのベストコレクションだと確信した。
これまで見たことのある服を、これまで見たことのない服へ。今、ファッションデザインの最先端はその手法だと僕は考えている。ウェブの進化とSNSの出現、そしてフラットデザインによって、これまで見たことのない服を作ることは、インパクトはあっても、そこに新鮮味は感じられない時代になった。そういう服が受ける時代ではなくなったのだ。
現代の最先端ファッションデザインを実践し、現在世界で最も影響力のあるデザイナーはヴァザリアで間違いない。そして、ヴァザリアがデザインした2017SSコレクションは時代のトップへと躍り出る。
クラシックなスタイルを構成するスタンダードアイテムを、ブランドのアイデンティティともいえるビッグシルエットで大胆に崩してスタイリングすることで、クラシックなスタイルにこれまでとは違う風景を見せることに成功している。
ヴァザリアが2017SSコレクションで用いた手法は、最近のヴェトモンでよく見られるアメフト選手のプロテクターを使って肩を人工的に誇張する手法ではなく、極めて普通だった。ヴァザリアは何を行ったかというと、それは「袖丈を長くする」ことである。
「それだけ?」
そう思われるかもしれない。しかし、このシンプルな手法がクラシックウェアのイメージを書き換えるほどの大きな効果を発揮していたのだ。
たしかに袖丈は長くなったが、その長さが極端だった。手を完全に覆い隠すほどに袖丈は長い。しかしこの袖丈を長くするという、ただそれだけのことを極端に行う=エクストリーム化することで大きな効果をコレクションに生んでいた。スーパーレングスの袖はショルダーラインを大きくずり落とすというフォルムを引き出し、結果的にヴェトモンのアイデンティティである肩の強調につながっていた。こうしてヴァザリアはエクストリーム化した袖丈のパワーで、クラシックスタイルを新しく作り変える。
そして、これまた極端に長くなった=エクストリーム化した超ロングブーツ(もはやブーツというよりもパンツ)を男性モデルと女性モデルの双方に穿かすことで、ジェンダーの境界を曖昧化する。性別で着る服を分けないコレクションは、すべての価値のフラット化が進む現代の空気も盛り込む。従来のストリートスタイルも継続していたが、ビッグシルエットばかりだったヴェトモンはスリムシルエットも発表し、ヴァザリアは自身のデザインに変化を起こす。
一度見ただけで、素直にカッコいいと思えた。それが、ヴェトモンの2017SSコレクションだった。
けれど、だ。このコレクションを見てから20時間近く経ったとき、僕は一つのことに気がつく。自分の気持ちがやけに落ち着いているのだ。ざわつくものがない。僕は、ベストコレクションだと思ったヴェトモンのニューコレクションに、物足りなさを感じていた。理由はすぐに判明する。
ショルダーラインを露悪的に誇張したデザインに代表される、あの心地悪い心地良さが2017SSコレクションにはなかったのだ。僕はヴァザリアのデザインに、いつからか心地悪い心地良さを求めていたようだ。自分の感情を苛立たせるデザインを見られないことに、こんなにも物足りなさを感じるとは予想外だった。そういう意味では、先月発表された「バレンシアガ(Balenciaga)」のメンズコレクションの方が大きく心を揺さぶられ、断然に面白かった。
カッコよさや美しさを感じなくても、苛立ちを感じて心が揺さぶられるなら、そのデザインも僕にとっては面白いデザインになるとわかり、ここにきてファッションの新しい楽しみが一つ増えた。
〈了〉