ヴェトモン、デザイン、エレガンス

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AFFECTUS No.5

デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)による「バレンシアガ(Balenciaga)」 の2016AWウィメンズコレクションでメイクを担当したのは、インゲ・グロニャール(Inge Grognard)だった。マルジェラのメイクも担当していたメイクアップアーティストだ。バレンシアガのメイクについて、アントワープシックス時代を振り返りながらグロニャールはこう語っている。

「今回はあの頃よりフレッシュで生っぽいメイクを再現しないといけないと思ったの。今は皆フォロワー数獲得のためにアプリで加工したり、リアルさを失っているでしょ。そこが当時とは違うところ」『VOGUE JAPAN』 2016年8月号より

モード性が強くなっている今は1990年代に近いと言われることがある。もちろん90年代と現代では違いはあって、90年代のように、シルエット、ディテール、素材と服の至る所、服の全てでデザイン性を強める方法は今の時代にフィットしない。ウェブの進化・SNSの出現・フラットデザインが浸透、それらの影響により人は遠くにある憧れよりも、自分の価値観に共感できるものを求めるようになった。

リアリティこそが今の時代に必要なもの。リアルをベースに強くデザインするというのは、時代が求めていること。だが、その方法自体は決して珍しくない。今まではトラッドやミリタリーなど世界の共有財産ともいえるスタイルを、まるでアーカイブから引用するようにデザインする方法が主流だった。例えば、伝統的なトレンチコートをベースにして、シルエットや素材をブランド流にアレンジするといった方法である。

しかし、ノームコアを経てデザイン性の強いものを求め始めた今の時代背景を考えると、ダッフルコートやジーンズなどアノニマスなスタンダードアイテムやスタイルから引用というのは、これからの時代を考えるとデザイン性の面で少々弱い。

今注目すべきデザインは、何かのスタイルから引用する時、元々から個性のあるスタイルをベースにする方法だ。その発端となったのがヴァザリアだった。「ヴェトモン(Vetements)」のデビューコレクション、2015SSコレクションを初めて見た時はヴァザリア自身の個性であるストリートがまだ影を潜めており、マルジェラをモダナイズしたブランドという印象が強かったが、デビューから3シーズン目を迎えた2015AWシーズンにヴァザリアは覚醒する。

彼は「マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)」2001SSコレクションをベースに、自身のストリートスタイルを組み込むことで、時代最先端のデザインを誰よりも早く具体化した。またヴァザリアは、翌シーズンの2016SSコレクションで、国際的ロジティクス企業「DHL」のユニフォームをベースにしたアイテムを発表し、世界的に認知された企業=個性のあるブランドと捉えたデザインも行なった。

デザインのベースをリアルな無個性(ミリタリー、トラッドなど)からリアルな個性(マルタン・マルジェラ、DHLなど)へ。リアルな個性にデザイナー自身の個性(デムナ・ヴァザリアの個性)を乗せていく。この手法が現代のファッション界に、モダンデザインとして現れ始めている。

実はこのモダンデザインを、ラフ・シモンズ(Raf Simons)もシグネチャーブランドで、ヴァザリアよりも早くに実践していた。「ラフ・シモンズ」2011SSコレクションがそうで、シモンズ自身もそのことには言及していた。この2011SSコレクションは、マルジェラのデビューコレクションである1989SSコレクションからの引用もあるとシモンズは語っている。ヴァザリアと比較すると、シモンズの2011SSコレクションは、彼の世界観で色濃く染められている印象が強く、メインカラーをマルジェラの象徴である白を用いている以外は、ヴァザリアほどわかりやすく目立つマルジェラからの引用というのはそこまで確認できない。

ただ、そもそもマルジェラのデビューコレクション自体の資料が少なく、現時点ではその全てを把握していないという僕自身の課題もあり、シモンズの引用について判断しづらい面もある。僕にとっては、マルジェラのデビューコレクションのショー映像が最も観たいショー映像だ。

トラッドやミリタリーといったスタンダードスタイルではなく、ハイファッションの歴史上にあるデザイナーのモードスタイルを、後年のデザイナーが独自に解釈してデザインする。一見すると珍しくないこの手法が、ヴァザリアの手によって新たな価値を持ち、時代の最先端に躍り出た。

ノームコアを経た今、モード性が強くなっていると言われるが、業界人が期待していたほど強くなっていないようにも感じる。いまだリアリティあるデザインが主流である。そういう意味では、リアルベースの今のファッションデザインを「つまらない」「面白くない」と言ってしまうのは、とてももったいない。今起きていることは、デザインの手法と歴史という点で見ればファッション的にはとても面白い時期だと言える。

しかし、現在のファッションデザインが外観的に面白いのかどうかとなると、話は別になる。ハイファッションに詳しい人ならば、いわゆる元ネタがわかるがゆえに、物足りなさを感じるだろうし、新鮮さを感じないかもしれない。疑問を呈する人もいるだろう。オリジナリティを重視する価値観が世の中にはあるし、例えモードに関する豊富な知識を有してなくても、現代ならばインターネットで調べれば、デザインの源流がどこにあるのかを見つけることはそう難しいことではない。

デザインの源流が未知に感じられれば、より面白さを感じる性質が人間には少なからずある。もちろん、僕自身にも言えることだ。

「いったい、このデザインはどうやって発想したんだ!?」

そんなふうに想像の源が未知に感じることは、強い興味を生み出す。

しかし、歴史上のデザインを、発想源が未知に感じられるまったく新しい姿へ変えることができたなら、そのインパクトは大きい。このデザイン手法(なんと呼べばいいのだろう?)には旧来の価値観を揺さぶる力が備わっているのではないだろうか。

また、デザインを見るときには個人の好みの問題も生じる。それがヴァザリアの場合、顕著になる。例えば、僕の場合はこうだ。ヴェトモンはデザインの方法自体は前述のように新しい時代の新しい方法で面白いと思うのだが、服のデザインそのものは、正直に言えば僕の好みではない。特にバレンシアガはそうだった。ヴァザリアのデザインはシルエットの作りが硬く感じる。

ダーツや切り替えといった布を立体的に作るテクニックを活かしてシルエットを作るというより、パットのような異物で極端に誇張したシルエットを作っていて、そのシルエットにはなだらかな曲線を持つ人間の身体には合わない硬さを、僕はどうしても覚えてしまう。それでは、自分はどういったものが好きなのかと言えば、エレガンスが感じられる服になる。

僕が言うエレガンスとは、1950年代オートクチュール黄金期の服から感じられる香りを指す。女性の身体を、直線と曲線を巧みに使い分けた布地のカッティングで、柔らかく強く表現した服から感じられる香り。そんなエレガンスに僕は惹き込まれていく。

そういう意味では、クリステル・コーシェ(Christelle Kocher)の「コシェ(Koché)」には魅力を感じる。コーシェの手法はアノニマスなストリートスタイルがベースということで、旧来の手法ではあるが、シルエットやボリュームにエレガンスが備わっており、Tシャツやデニムの微妙な量感が美しいコレクションだ。「ハーモニー・パリ(Harmony Paris)」もいい。ここもアノニマスなトラッドスタイルがベースだが、服のシルエットとボリューム、そしてその服を着た人間の佇まいが非常に美しい。

話は変わるが、ヴァザリアはバレンシアガでかなりマルジェラにこだわっている。バレンシアガ2016AWコレクションのビジュアルはマーク・ボスウィック(Mark Borthwick)が撮影し、ショーでは冒頭で述べたようにメイクをグロニャールが担当し、どちらもマルジェラと一緒に仕事をしていた人物たちだ。ヴァザリアがマルジェラを投影させるのは服のデザインだけでなく、スタッフの起用にも及んでいた。いったいヴァザリアは、なぜここまでバレンシアガでマルジェラにこだわるのか。この疑問を、どこかのメディアがヴァザリアにインタビューして解き明かしてくれないだろうか。

話を戻そう。

僕が1950年代のエレガンスが好きということは、自分の好むエレガンスとは王道の伝統的エレガンスということなのだろう。シモンズのウィメンズデザインは、伝統的な王道エレガンスにあえて違和感を挟み込んで新しさを表現している点がとても好きだ。しかし、逆に違和感ばかりにあふれたエレガンス、例えばヴァザリアのバレンシアガだと僕は抵抗を覚えてしまう。

僕がシモンズのエレガンスを好み、ヴァザリアの提案するエレガンスに抵抗を感じるのはそれらが理由だ。これは個人の育った環境や嗜好で育まれる極めて個人的な感覚で、もちろんヴァザリアのエレガンスを好む人もいるだろう。

1980年代から王道エレガンスとは違う新しいエレガンスを作り続ける挑戦をしているのが、「コム デ ギャルソン(Comme des Garçons)」である。川久保玲のコレクションを見てカッコよさを感じることは何度あっても、胸が熱く高揚する興奮を覚えたことはない事実が、僕という人間のタイプを証明している。コム デ ギャルソンと同じように新しいエレガンスを作ろうとし、その後、王道エレガンスで新しさに挑戦する方向性へシフトしていったのが「ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)」だ。

僕はヨウジヤマモトのコレクションには熱くなることが多く、オートクチュール期間中にプレタコレクションを発表した2003SSコレクションは、僕が最も愛するヨウジヤマモトのコレクションで、山本耀司のエレガンスが頂点に達した瞬間だった。あのコレクションを見たときは、それほどの高揚感があった。

僕は伝統や王道に乗りながら、これまでとは違う要素を入れて静かな革新を作るファッションが好きなタイプの人間で、全てを革新して破壊して新しくするデザインを好むタイプではない。そんな自分だから、世の中の熱狂ほどにヴァザリアのデザインに魅力を感じないのかもしれない。

しかし、ヴァザリアのデザイン手法は非常に興味深い。彼の手法で作られたデザインには色々と批判も生まれるが、「見たことのあるもので作るのは本当にダメなのか?」と、これまでの価値観に根底から揺さぶりをかけているようで、安易には否定できない。

それにいくら自分の好みではなくても、世界中でこれだけ熱狂的に受け入れられているのは事実なのだから(こんな現象は久しぶりだ)、その事実をちゃんと見つめてみたい。自分の価値観とは異なるものはいつだってどうしたって現れる。そしてそれが、時代の主流になることは珍しいことではない。その時は無視するよりは、正面からちゃんと見ることの方が面白い。

〈了〉

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