ラフ・シモンズのメンズ

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AFFECTUS No.7

「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)」との非競争契約が今月7月末で切れると言われているラフ・シモンズ(Raf Simons)。その噂が本当なら、これまた噂になっている「カルバン・クライン(Calvin Klein)」との契約について来月以降、何らかの動きが見られるはず。

シモンズの新しい活躍の場が見られそうな今、改めて彼のデザインを振り返ってみたくなった。今回はメンズ、特に98〜99年ぐらいの時期に僕自身がリアルタイムで体感したシグネチャーブランド「ラフ・シモンズ」を中心に、シモンズのデザインの魅力について考えてみたい(以下、デザイナーを「シモンズ」、ブランドを「ラフ・シモンズ」と表記していく)。

記憶があいまいになっているところもあり、事実と違う可能性もあるがそこはご容赦願いたい。伝えたいのは事実よりも、シモンズのコレクションから当時の僕が感じた何か。それがなんとか伝わるようにしたいと思う。

僕はファッションに興味を持った時期が高校卒業後と遅いスタートで、時期的に言うと1997年だった。「ヘルムート・ラング(Helmut Lang)」がきっかけとなってモードに本格的な興味を持つようになった僕が、情報を入手する手段して当時最も役に立ったのはファッション誌だった。現在ほどインターネットが発展していなかった時代に、ファッション誌が果たした役割は今よりも大きく、影響力も強かった。

モードを知った僕は、瞬く間にその世界に熱中していく。当時はメンズウェアにしか興味がなかったため、僕の関心はメンズモードにだけ向いていた。そんな時期に知ったブランドがラフ・シモンズだった。

きっかけは「メンズノンノ(Men’s Non-No)」で、当時のメンズノンノはヨーロッパモードを読者にわかりやすく伝える重要な役割を果たしていたと思う。誌面に頻繁に掲載されていたブランドがラフ・シモンズだったのだが、毎号のようにメンズノンノに掲載されていたラフ・シモンズの服がとにかくカッコよく、気がついたら魅了され、その服をいつか手に入れたいと思うようになった。

とりわけ熱望したアイテムが、毎シーズン素材を変えて発売されていた1つボタンの細いラペルの黒いテーラードジャケットだった。このジャケットは当時としてはとてもスリムなシルエットで、実際に着用するとアームホールの狭さにも驚いた。今着用するとアームホールにそこまで細さを感じず、むしろ思った以上に袖が太いことに気づく。

しかし、クールでエレガントという言葉が本当に似合う、ラフ・シモンズの代名詞にふさわしい名品だった。入手することを願ってやまなかったジャケットを、とうとう入手する日が訪れる。ラフ・シモンズというブランドを知った時から、6年ほどの歳月が経ったころだ。2004年、2004AWシーズンにウール素材で仕立てられたジャケットをようやく手に入れたのだ。そのジャケットは、僕が今持つ服の中でも最も大切な服になっている。

何がそんなにラフ・シモンズの魅力だったのか。

もちろん服は確かに魅力的だった。しかし、それ以上にコレクションから発せされるイメージが鮮烈で強烈だったのだ。シンプルな白いシャツにグレーのワイドパンツというスタイルはスクールテイストという表現が似合う。しかし、非常にスリムな白いシャツとワイドなシルエットのグレーのパンツというシルエットのコンビネーションは、一般的な学校制服では絶対に作られない非現実的シルエットであり、それが素晴らしく美しく、僕は一瞬にして虜となった。

そして先ほど述べた通り、服以上にラフ・シモンズというブランドが作り出すイメージ、これがとても重要だった。ブランドサイトが現在ほど普及していなかった当時、何がブランドイメージを作り出していたかと言えば、ショーがイメージを発信する重要な役割を担っていた。ファッション誌に掲載されるショー写真はもちろんのこと、日本初の民放衛星放送テレビ局「WOWOW」では当時はミラノとパリのコレクションを放送するダイジェスト番組を放送されていて、番組内で紹介されるラフ・シモンズのショー映像に僕は毎回痺れていた。

僕が初めて認識したラフ・シモンズのコレクションは1998AWコレクションだった。黒髪をオールバックにしたモデルが赤いシャツに黒いネクタイ、チャコールグレーのパンツをスタイリングして歩く姿が異様な雰囲気を放つ。服そのものはシンプルでなんてことない。どこにでもあるような、誰もが見たことあるデザイン。しかし、そのありふれたデザインの服を着たモデルたちから放たれる空気感のカッコよさに僕の視線は釘付けになる。

赤いシャツに黒いネクタイ、そしてチャコールグレーのパンツを着用したルックは、音楽好きの方ならすぐにわかるだろう。ドイツが生んだテクノポップのパイオニア「クラフトワーク(Kraftwerk)」のスタイルから引用されたものである。僕は音楽への関心が薄く、特に洋楽はまったく聴かないため、赤いシャツと黒いネクタイのルックを見てもクラフトワークからの引用と気づくわけもなかったが、そんな背景を知らなくとも、一目見ただけで痺れるカッコよさがあったのは事実だった。

僕にとって最も印象に残るラフ・シモンズのコレクションは、1999SSコレクションである。服はいつもと変わらずシンプルなデザインだ。誤解を恐れず言えば「普通」だと言える。今までに何度も見たことのあるベーシックアイテムとスタイリングばかりが登場した。だが、そんなありふれたデザインであっても、その服を着たモデルたちから感じられる空気は、ありふれたスタイルとはまったく違うものだった。

ボトムは、グレーもしくはブラックのワイドパンツがベースのスタイリング(時折レッドやブルーも差し込まれる)がコレクションの大部分を占める。グレーのワイドパンツにスリムなグレーのVネックニットを合わせ、パンツと同色のグレージャケットを羽織ったセットアップスタイルはとても美しく、ロングTシャツの上にノースリーブのロングベストも合わせたルックも美しかった。ノースリーブのロングベストは、テーラードジャケットと同じく当時のラフ・シモンズの代名詞と言えるアイテムだった。

ハイネックのスリムな白いカットソーの裾を、ワイドパンツにインしたスタイルは、なんてことのないスタイルだが、スリムなトップスとワイドなボトムというシルエットのコントラスト、そして足元に白いスニーカーを持ってきたスタイルはありふれているのに強烈なインパクトで僕の心を打つ。コレクションに登場したスタイルは、いずれもいつかどこかで見たことあるようなスタイルばかりなのに、過去に見たことのないカッコよさにあふれ、モデルたちが一列に整列して歩く姿は憂いを帯びた美しさがあった。

1999SSコレクションはショー演出も素晴らしかった。ショーを映すカメラは、はるか遠く、遠方で歩くモデルたちの姿を横向きで捉える。ラフ・シモンズのコレクションを纏い、列を成して歩くモデルたちの横顔を映した映像は悲しみを帯びていて、その風景は今でも僕の記憶に美しい映像として残っている。

1999AWコレクションも強烈だ。ショーの始まりと同時に、スリムな白いシャツを第一ボタンまで留めて、ワイドパンツにシャツの裾をインしたシモンズのシグネチャースタイルが登場する。少年とも大人とも言えない雰囲気の男性モデルたちは、大きな旗を両手で持って歩く。このショー冒頭の演出が、これまた繰返しの表現になってしまい申し訳ないが、とてもカッコいい。発表された服も、前シーズンと同様でデザインに大きな変化はない。唯一、黒いケープが新しいアイテムだと言っていいぐらいだったが、会場の照明が落ちていき、黒いケープを着たモデルたちにだけほのかに光が注がれる演出は、死の儀式が行われているような厳格な美しさがあった。

僕がリアルタイムで体験した1999年前後のラフ・シモンズは、至ってシンプルで、毎シーズン大きな変化があるわけでもなく、シーズンをまたいで同じデザインを何度も発表していた。だが、不思議なことにショーで発表されたルックを見ると、似たデザインであるはずなのに、同じデザインが発表されている印象を受けなかった。同じ服なのに、同じ服に見えない。毎シーズンまったく異なるカッコよさが間違いなくあったのだ。シモンズのデザインは服の造形をダイナミックにして新しさをもたらすものではなくて、シルエットをアレンジし、そのシルエットを組み合わせることで新しさを作り出していた。シモンズのシルエットに派手さはないが、とても美しい。

そしてショーによるイメージの創出が、ラフ・シモンズのカッコよさの源泉だった。もし当時のラフ・シモンズがショーを開催しなかったら、僕はまったく違う印象を抱いていた可能性がある。それほどに、シモンズの作り出すイメージは突出していた。シモンズはイメージ作りの天才だ。もし、「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)」におけるブランド全体のイメージ作りの全権を彼が担っていたら、まったく違うディオールが生まれていたかもしれない。

男性の繊細さにフォーカスしたことがシモンズのデザインに特徴を生んでいたが、それを当時のメディアでは「少年性」という表現で多用されていた記憶がある。男性の強さではなく弱さに焦点をあてる。そこにも男性のカッコよさがある。シモンズの新しいメッセージだった。

シモンズが作り出したスリムなメンズウェアは、現在男性が当たり前に着るスリムスタイルの原型となっている。同じスタイルを作ったデザイナーに、エディ・スリマン(Hedi Slimane)の名が挙げられるが、男性のスリムで繊細なスタイルを先に発表したのはシモンズだ。その後、スリマンがシモンズのスタイルをさらに押し進めた印象を私は持っている。シモンズが開拓したまったく新しい道、その道を舗装して綺麗に整えて、さらに幅広くして多くの人が通れるようにしたのがスリマン。そんな印象である。

また、シモンズがフォーカスした男性の繊細さが少年性という「男性」の枠内だったのに対し、スリマンの繊細さは女性的領域にまで拡張したとも言える。ちなみに、二人とも同じ1968年生まれで、ファッションの専門教育を受けたことはなく、スタートもメンズウェアからという似たキャリアを持つ。加えて言うなら、ディオールと「サンローラン(Saint Laurent)」という、創始者のデザイナーたちが師弟関係にあったブランドのディレクターに、シモンズとスリマンが就任したのは同時期だった。

僕はマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)の全盛期を1989年から1998年ごろまでと個人的に定めている。その時期をリアルタイムで体験できていないことは、今でも残念だ。一方、シモンズの才能が最高に研ぎ澄まされていた1998年から1999年ごろのコレクションを、しかも僕自身が18から20歳という、まさにシモンズがイメージしていた男性像の年齢に近い時期に、リアルタイムで体験できたことは非常に幸運だったと思っている。当時のラフ・シモンズの服が僕に強く響いたのは、年齢も理由だったのではないか。もし、今の僕がラフ・シモンズの1998AWコレクションを初めて見たとしても、どこまで感動するか。「マーガレット・ハウエル(Margaret Howell)」のような服を好む今の僕とは、ずいぶんと距離の遠い服だと思う可能性もあるだろう。

人生、何かを得られなかったと思えば、別の何かを得ている。そんなものなのだから、何か上手くいかなくても悲観する必要はないのかもしれない。

カルバン・クラインでシモンズの新しいデザインが見られるなら、僕は嬉しい。特にウィメンズデザインを見られるなら、非常に喜ばしい。僕はシモンズの真の才能はウィメンズデザインにあると思っている。だが、できるならそのウィメンズの才能を、どこかのブランドのディレクターとしてではなく、シモンズ自身の感性を純粋に発表できるシグネチャーブランドで見てみたい。ラフ・シモンズのウィメンズがスタート。そんなニュースが聞かれる日を楽しみに待ちたい。

〈了〉

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