マーク・ボスウィックが写したバレンシアガ

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AFFECTUS No.13

「バレンシアガ(Balenciaga)」が発表した2016AWコレクションのキャペーンビジュアルを撮影したフォトグラファーは、あのマーク・ボスウィック(Mark Borthwick)だった。マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)のコレクションを撮影していた人物として世界的に名が知られる人物だ。そんなボスウィンクの撮影したバレンシアガのビジュアルを初めて見た時、僕は「これは新しい美しさかもしれない」と心の中で呟いていた。

コレクション発表時にも感じたが、デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)が発表したバレンシアガのウィメンズウェアは、強烈な違和感を抱くデザインだ。特に、人工的で硬いシェイプのコートには異物を感じる。だが、ショーからかなりの時間を経た今、ボスウィックのビジュアルを通してコレクションを改めて見てみると、あまり違和感を感じず、むしろこの硬くて異物だと思ったはずのデザインが今では「あり」なのではと意識が変化し始めていた。

美しいとは思わなかったヴァザリアのバレンシアガは、ボスウィックのカメラによって美しいコレクションに変わっていた。ここまで自分の感覚を大きく転換させたヴィジュアルに、私は恐怖を抱くようになる。もう一度、言おう。ヴァザリアのバレンシアガは、違和感が拭えないウィメンズコレクションなのは変わらない事実だ。しかし、同時に新しい美しさも今の僕は感じ始めている。

僕は、この奇妙な服が発表されたバレンシアガ2016AWコレクションのショー映像を再び観てみることにした。やはり印象は変わらない。初めてこのショー映像を観たときとまったく同じで、デザインから感じる違和感はとてつもなく大きく、ポジティブな感情が生まれてこない。しかし、違和感に襲われる服を、再びボスウィックが撮影した日常風景に溶け込ませたキャンペーンビジュアルを通して見てみると、やはり新しい美しさを感じてしまう。

なぜ、こうも印象が変わるのか。いったい、なんなんだ、この感覚は。僕は困惑を覚えていく。

今度は、映像ではなく写真で比較して確かめることにした。バレンシアガのツイッター公式アカウントに、2016AWコレクションの別ビジュアルがアップされており、背景にシルバーの布のようなものを使い、その布らしきものの前でモデルがポーズを取って立っている非日常的な写真だった。すると不思議なことに、その写真を何度眺めても、ボスウイックが撮影したキャンペーンビジュアルで感じた「新しい美しさ」は一向に感じられなかった。

つまり、同じ写真でも、ボスウィックのようにリアルな日常風景を背景にすると、癖が強いバレンシアガの服が肯定的に感じられるということだった。服そのものではなく、背景によって服の感じ方が変わる。これは面白い発見だった。

違和感を覚えるデザインの服を、日常の風景を背景にして写すことで、そのデザインに違和感ではなく「新しさ」というポジティブな感情を感じさせることができる。そういうデザインスキルがある。非日常×非日常なら「否」が多くなるが、非日常×日常なら「賛否」が混じり合う。

僕は「賛否」が入り乱れたものに、人間は新しさを感じると思っている。つまり見た人たちの心境を、そういう「賛否」が入り乱れた状況へ持っていけば、人が「新しい」と感じる可能性は高まる。まさにこれはデザインスキルだと言えよう。

たとえば、次のような使い方もあるのでは。

ある人物は、自分の制作した作品がすごく好きだった。だが、自分はこんなにも好きな作品なのに、どうやら他人から見たらおかしな作品らしく、否定ばかりされる。そんなとき、自分は好きでも他人から否定される作品を、日常のありふれた風景と同化させたビジュアルやプレゼン資料を作って発表する。するとそのデザインに賛同してくれる人たちが増え、新しいという評価が得られるかもしれない。

作品そのものが本当に新しいかどうかは、ここでは関係ない。制作した作品を新しいと感じてもらうための方法が重要なのだ。人間が新しさを感じる際の感情は、アートやデザインの歴史を振り返ると、概ね賛否入り乱れた状況であることが多い。賛否両論混じる状態に、人々の感情を持っていくための見せ方を作り上げれば、その作品は新しいものになる。

僕は「ヴァザリアのバレンシアガは新しくない」と言っているわけではない。正直、私はヴァザリアのバレンシアガをうまく掴みきれていない。ただ、少なくとも今の僕には「ヴェトモン(Vetements)」よりも、バレンシアガの方が見ていて面白い。2016年7月12日公開「ヴェトモンの服」にも書いたが、僕にとってヴァザリアのバレンシアガは村上春樹的魅力が潜む魅惑のデザインで、いずれヴェトモンよりバレンシアガの方が、影響力を拡大させるのではないかと予測している。

ボスウィックのキャンペーンビジュアルから感じたデザインスキルは、もちろん確実に成功する方法とは思わない(そもそも成功を100%約束する方法なんてないだろう)。しかし、かわいい作品や面白い作品を作ろうとするのではなく、作品そのものは自分の好きなように全力で作り、そして完成した作品を、人が「かわいい」や「面白い」と感じた時の心理状況を把握し、その心理状況を生み出す見せ方で発表すれば、自分の作品を狙い通りのポジティブな評価へ持っていくことが可能なのかもしれない。

今回はボスウィックが撮影したビジュアルから、従来の僕では発想できないデザインスキルの可能性が感じられる面白い体験を得た。超一流のクリエイターの作品に触れ、そこで自分が何を感じたのか、なぜそのように感じたのか、それを考える大切さを改めて知る機会になった。

〈了〉

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