マルタン・マルジェラ 2001SSコレクション

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AFFECTUS No.17

「ヴェトモン(Vetements)」の存在もあり、現代ファッションにおいてマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)の存在がクローズアップされる機会が増えている。ルジェラのデザインの中でも、ヴェトモン時代の現代に最も大きな影響力を及ぼしているのが、極大のビッグシルエットだろう。今ではエクストリームシルエットと呼ぶ方が正しいだろうか。

マルジェラがこのビッグシルエットを初めて発表したのは、今回取り上げる2001SSコレクションではなく、1シーズン前の2000AWコレクションであり、初登場から1年後の2001AWコレクションでもマルジェラはビッグシルエットを継続して発表していた。つまりマルジェラは、3シーズン連続でビッグシルエットをデザインしていたことになる。

僕が惹かれたマルジェラのビッグシルエットは、初登場の2000AWコレクションではなく、3シーズン目の2001AWコレクションでもなく、両シーズンに挟まれる形で発表された2001SSコレクションのビッグシルエットだった。そして今日は、そのマルタン・マルジェラ2001SSコレクションを見たままに、感覚の赴くままに書きたいと思う。

そもそもなぜ、このコレクションに僕は興味を惹かれたのか。それは、ジャケットとパンツというスタイルに理由がある。ジャケットとパンツ、あるいはスーツやセットアップとも表現されるスタイルに僕が抱いていたイメージは、身体を端正に包むスタイルというものだった。人間の身体が持つ輪郭を正確に表現する服だとも言える。そしてマルジェラは、このスーツ(ここではこう呼ぼう)を破壊する。

初めて2001SSコレクションで発表されたスーツを見た際、僕は次のように思った。

「バカげた服を作っている」

あまりに巨大なシルエットの服に「いったいいつどこで、誰が着るというのか」という疑問を抱く。僕が抱いていたスーツの常識から大きく逸脱した服に共感を覚えることは難しく、怒りとは言わないまでも、その類の感情に近い感情を抱くまでになった。

ファッションの歴史上、僕が最も尊敬するデザイナーはマルタン・マルジェラだ。しかし、尊敬するからといって、常にそのデザインに共感してきたわけではない。

マルジェラのデザインに関する自分の記憶を振り返ると、「よくわからない」という曖昧模糊な感情に陥ることが多かった。不鮮明な頭の中が晴れることはなく、霧のかかった世界の中を生かされているような、そんな感覚がずっとまとわりつく。それが僕にとってのマルタン・マルジェラだった。

そういう意味では、マルジェラのビッグシルエットはずっと気になっていたデザインだ。今回改めて見ると、ビッグシルエットが描く輪郭から新しい人間の存在を感じることができた。現代の人間よりも一回り以上身体の大きい人間の存在と言えばいいだろうか。そんな人間のために作られた大きいサイズの服を、現代の人間がオーバーサイズで着ているような印象だ。

そのイメージが生まれた瞬間、「ああ、なるほど」と僕は腑に落ちる。自分にとっての服の魅力とは「人間を作る」ことにあったと気づかされた。まるで、新しい人間が誕生したように、服は着るだけで人間の印象を一変させる力を持っている。人間が生まれる面白さを感じられるからこそ、僕は服が好きだったのだ。

人間を感じられる創作物としては、小説も好きだ。小説には登場人物たちの感情が書かれている。感情とは人間の核を成すものだが、人間は必ずしもすべての感情を口にするわけではない。しかし、小説は違う。胸の内だけで語られる人間の感情も露わになり、読み手である僕たちは登場人物たちの感情を知ることができる。感情を知るということは、人間の存在が感じられるということである。これこそが僕にとって小説の魅力だった。

しかし、小説は言葉のみで創作されているため、その魅力を視覚的に体験することはできず、人間の面白さを最もリアルに感じられるとなると、やはり僕の中では小説よりも服の方が優れていた。

マルタンマルジェラ2001SSコレクションは、人間の身体を端正に表現するスーツをベースにデザインされていたからこそ、マルジェラの描く巨大な人間像が感じられ(僕の勝手な想像ではあるが)、このコレクションのビッグシルエットに惹かれてしまったのだと思われる。

マルジェラのデザインに惹かれる瞬間、そこには人間の身体へのアプローチが見られる。マルジェラのデビューコレクション、1989SSコレクションで発表された袖山が誇張されたジャケットは、まさに僕にとってマルジェラの魅力が凝縮された逸品と言えるだろう。一瞬ではデザインの素晴らしさを理解できず、いったいこの服はなんなのだと頭を悩ます。その瞬間、すでに僕はマルジェラの世界に陥り、魅了されている。

マルジェラのコレクションに、ファッションという言葉を使うことにためらう自分がいる。「服」と称することが、きっとマルタン・マルジェラのコレクションにはふさわしい。彼の服に、僕は何度も心が晴れない体験を味わってきた。そして服だけだけでなく、ファッション界からの去り方にも僕は曇天のような感情を味わう。マルジェラがファッション界から引退したことを私たちが知った時、すでに彼はブランドを去った後で、別れの言葉すらも残されていなかった。マルタン・マルジェラはもうそこにはいない。僕は永遠に霧の中を生きなければならない。あなたは、なんてずるい人間なんだ。

〈了〉

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