美しくない服を着ることで現れる個性

AFFECTUS No.24

メイドインジャパンを特集したGINZA最新号。その中で僕が最も印象に残ったページは、メインであるはずのメイドインジャパン特集ではなく、女優の木村佳乃さんがヴェトモンを着ていたファッションフォトだった。その写真には、僕がこれまでテレビドラマや映画で何度も目にしてきた木村佳乃さんの姿よりも、ずっと魅力的な木村佳乃さんが写っていた。

彼女が着ていたヴェトモンの服は、身体のラインを綺麗に見せるとは真逆のビッグシルエットで、フェミニンな要素なんてまったくない。例えばオートクチュール黄金期に端を発する王道エレガンスと照らし合わせれば、決して美しいとは言えない服だ。けれどそんな服を着た姿が、とても魅力的だった。そこには、可愛さや綺麗さとは別の、木村佳乃さんだけが持つ「何か」が立ち上がっていたように感じた。そして同様のことを、僕は今のセリーヌからも感じている。

近年のセリーヌは、もはやトレンドセッターではない。現在のフィービー・ファイロのコレクションは、クロエ時代やセリーヌ初期のような「着たい!欲しい!」という感性へストレートに訴えかける服を作っていない。今のセリーヌは、時代のニーズを捉える服ではなく、例え否定されてでも新しい価値感を提案しようとするアヴァンギャルドなブランドに変貌した。

2017RESORTを見た時、僕は驚いた。そこにあった服は1980年代のメンズスーツのシルエットだったからだ。誇張されたショルダーラインのジャケット、ボリューミーなタックパンツ。日本ではバブルと呼ばれていた時代のシルエットだ。この服を、現代の女性が着る提案がなされている。他のルックにしても、あえて「異物」を取り入れたようなデザインが多い。一目見て素直に美しいとは思えない服だ。

ヴェトモンとセリーヌの服を見て、服を着る女性の個性をより強く濃く立ち上がらせるには、美しさや可愛さを感じさせる服ではいけないのではないかと僕は感じた。異物のある服こそ、女性の魅力、その女性しか持ち得ない魅力を最も強く濃く引き出すのではないだろうか。

そういう服は、ファッション史を振り返るとヴェトモンやセリーヌ以外にも存在していたことがわかる。代表的な服は、コムデギャルソンのコブドレスだ。ただ、個人的にはコブドレスはその造形が強烈すぎるがゆえに、着る人の個性を霞ませているように感じる。異物を取り入れながらも、着る女性の個性を霞ませずに立ち上がらせる服。その服として僕が一番だと思うのは、1989年春夏でマルタン・マルジェラが発表した袖山を詰めたジャケットだ。ファッション史に残る名作。そのジャケットだけではない。初期のマルタン・マルジェラの服には、異物を取り入れたリアルな服が多い。そしてその服を着たモデルたちがやたらカッコいい。

そのモノが持つ要素とは真逆の要素を持ってくると、そのモノが持つ本質が魅力的に立ち上がる。世界にはそんなルールがあるようだ。お汁粉やスイカに塩をかけると、より甘さが際立つように。それは服も例外ではないことは、「初期(あえて強調)」のマルタン・マルジェラの服が教えてくれる。

綺麗さや可愛さを感じずに、服を着た自分の姿を見て「なんだかいい」と思える服。やっかいな服だ。そんな複雑なことを考えず、単純に可愛い、綺麗と感じる服を着ればいい。そうも僕は思う。いや、その一方で、綺麗さや可愛さといった従来の服の価値観から離れた服を着たいんだ、見たいんだ、とも思ってしまう。

ウェブの進化とSNSの登場で、遠くへの憧れよりも自分の価値観と共感できるモノやヒトと共にすることが楽しく心地いい現代。そういう現代には、美しくない服を着て、自分にしかない何か=個性を立ち上がらせることを試みてもいい。新しい時代の、新しい価値観で服を着てみる。そんな服の楽しみが、これからの時代にはあってもいい。

〈了〉

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です