AFFECTUS No.26
カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)は彼女のことを「クイーン・アン」と呼んだ。女性デザイナーの名は、アン・ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)。2013年、伝説のアントワープ6のメンバーでもあるドゥムルメステールは、自身が創設したシグネチャーブランドのデザイナー辞任を発表し、ファッション界から去ってしまった。前触れもない突然の出来事だったが、颯爽とした去り方は実にドゥムルメステールらしいものだった。
彼女がデザインする服の色は常に黒だ。黒を使用しないシーズンはなかったのではないか。そう思えるほど、黒=アン・ドゥムルメステールというイメージが定着している。彼女が使う黒には、他を寄せ付けないとか、他を圧倒するとか、そういう類の強さを感じさせるものではなく、どこまでも繊細で、その繊細さゆえに惹かれてしまう魅力を秘めていた。
素材感にも優しさが滲む。ドゥムルメステールの服には、時間の経過を感じさせる。それは、人が何年も大切に着てきたような空気だ。彼女の使う素材には、温もりと暖かさが備わっている。服のシルエットも同様である。ほどよいボリュームを含み、服は身体に付かず離れずの距離感を保って、布は着る人の身体を優しくなぞっていくようなシルエットを描く。その姿がとても美しい。
ドゥムルメステールの作る服は、どこまでも人間に優しい。僕は一時彼女の服を熱心に見ていた。表参道ヒルズにオープンしていたブランドショップには何度も足を運んだ。結局買わず、ただ見るだけの客なので、ショップからしたらいい客ではなくて申し訳なかった。ドゥムルメステールの服は他のショップでも見ることはできる。しかし、僕はあの表参道ヒルズの、ドゥムルメステールの世界観が表現されたショップで見たかった。あの空間で見ること。それが僕にとっては大切だった。
なぜ、あの時、彼女の服にあんなにも惹かれたのだろう。もちろん、デザインが好きで、それを見たいという気持ちがあったのは確かだ。パターンや縫製も見て、自身の勉強のためという意味もあった。
だが今思うと、それらだけでは理由としては何か物足りないように感じる。なぜ、アンの服に惹かれてしまったのか。やはりそれは結局のところ、彼女の服には優しさがこれでもかというぐらいに、溢れていたからなんだろう。
あの優しさを感じたくて、僕は彼女の服を見たくなっていた。大げさな言い方すれば、心が救われるような優しさだ。染み込むような感覚を感じさせてくれる。ドゥムルメステールの服を着ることはできなくてもいい(僕には似合わない)。ただその場にあるだけで、心を救ってくれる優しさに満ちた服なんだ。それは服というより、小説を読んだ後に訪れる感覚と同じ感覚を僕にもたらした。小説のように、心へ深く届いてくる服が「アン・ドゥムルメステール」というブランドの真髄である。
ブランドの魅力とはなんだろう。デザイン?パターン?素材?僕はそのどれも答えではないと思っている。ブランドの魅力は世界観に凝縮される。ブランドが創造した世界観へ浸る心地よさが、ブランドの魅力だ。いわば服は、人々をブランドの世界観へ渡らせる橋なのだ。ドゥムルメステールの服は、ファッションデザインの歴史において何か革新的なことをやったのかというと、そんなことはない。それは、アントワープ王立芸術アカデミー時代に、ドゥムルメステールのクラスメートであったマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)の服と比べるとより強く実感する。
ドゥムルメステールのデザインは、服そのものに革新性をもたらしたわけではない。彼女は何も特別なことはしていない。ただひたすらに、自分の好きな世界を描いてきただけだ。パティ・スミス(Patti Smith)に憧れ、ダークでロマンティック、繊細で詩的な世界を描いてきただけだ。服はドゥムルメステールにとって彼女が理想とする世界を描く筆と絵の具だったように思う。ドゥムルメステールが作っていたのは服ではなく世界そのもので、ファッション界は彼女が理想とする美しさを具体化するためのキャンバスだった。
自分の好きを突き詰める。これがファッションデザインにおいて重要なのだが、ドゥムルメステールはその見本とも言えるぐらいに、自分の世界を突き詰め続けてきた。トレンドが彼女のデザインとマッチしない時代になろうと、彼女は自分の世界をひたすらに貫いてきた。ドゥムルメステールの生き様に僕は憧れを覚える。一言、カッコいい。
僕は音楽に対する造詣は浅く、洋楽を聴くこともほぼない。ゆえに、パティ・スミスの名前は知っていてもどんな曲を歌っているのか全く知らなかった。だが、ある日YouTubeでパティ・スミスが歌う姿を見る機会があった。
「カッコいい」
その言葉しか頭の中には浮かばなかった。とにかくカッコいい。そしてすぐに続けて「アン・ドゥムルメステール」という名前が浮かんだ。ああ、ドゥムルメステールの服はパティ・スミスのために作られた服だったんだ。歌うパティ・スミスの姿はドゥムルメステールの世界そのものだった。
ドゥムルメステールはパティ・スミスに憧れ、パティ・スミスの世界を描くために服を作ってきたのか。自分の好きな世界をここまで濃く深く、20年以上に渡って探求してきたドゥムルメステールを称する言葉は「カッコいい」以外に見つからない。
アントワープ王立芸術アカデミーを卒業したドゥムルメステールは、すぐに家を買う。彼女が23歳のころだ。ル・コルビュジエ(Le Corbusier)が設計した家だった。お金はなかったけれど、どうしてもコルビュジエの家が欲しくて手に入れたい。そのために、ドゥムルメステールは必死に働く。コルビジェの家に住む心地よさを、ドゥムルメステールは『ハイファッション(high fashion)』2006年8月号で、こう述べている。
「あの家から、今まで私はどれだけインスピレーションをもらったことか。ファンタスティックで、まるで詩の中に住んでいるようなのよ」
そして、そのインタビューでアンは次のようにも述べている。その言葉を改めて読んでみて、僕は僕を信じたくなった。たとえこの先、どんな苦境に喘いだとしても、その先までたどり着ける。そう思えるほどに。
「本当に欲しいものは手に入る」
〈了〉