AFFECTUS No.35
30代になってから、自分が着る服の好みが変わってきた。モードについて書いているにも関わらず、モードな服が苦手になってきたのだ。デザイン性が強く、強烈な世界観の服を着ることがどうにもこうにも重く感じられて、モードに心地よさを感じることが難しくなってきた。
ミラン・ヴィクミロビッチ(Milan Vukmirovic)が「ジル・サンダー(Jil Sander)」のクリエイティブ・ディレクターを務めていたころ、映画『時計じかけのオレンジ』からインスパイアされたシングルのライダースを発表した。シーズンビジュアルにも登場したレアなライダースを、僕は今も所有している。30代になって数年が経過したある日、僕はそのライダースを着てみた。鏡に映る自分の姿を見て、こう思ってしまう。
「きついな……」
モードを着ているおじさんがいて、その姿を見て「痛い……」と思ったことはないだろうか。それとよく似た感覚だった。自分自身でこの感覚を味わうことになるとは。いやはや、まったくもって面白い。デザインは好きなのに、自分には似合わない服になってしまった。好きなデザインゆえに売る気にはなれないし、かといって積極的に着る気分にもなれない。非常に悲しい現実が訪れた。
苦いモード体験をいくつか経て、僕は「無印良品」を着る機会が増えていく。モードに比べれば手頃な価格、ベーシックなデザイン、ナチュラルなテイストが気に入っていた。店舗を歩いていたらお客に在庫を尋ねられるほど、僕は無印良品に溶け込む。しかし、頻繁に着るからといって、無印良品に対して完璧な満足を得ていたわけではない。物足りなさを最も感じた点はシルエットだった。幅広い世代をターゲットにしているせいか、シルエットにキレがない。凡庸なのだ。
「ナチュラルなテイストで、デザインはベーシック、それでいてシルエットにキレのある服。そんな服がないだろうか」。
あった。それが「マーガレット・ハウエル(Margaret Howell)」だった。
もちろんハウエルは昔から知っていた。しかし、20代の私はハウエルの服に興味が持てなかった。デザインが物足りなく感じたのだ。若い頃はどうしたって、刺激を求めてしまう。モードに熱中していた僕に、ハウエルの良さを理解することは難しかった。
だが、前述したように僕の趣向は変わっていく。今から数年前のある日、渋谷にあるハウエルの路面店を訪れた。そこで1着のジャケットを購入する。価格はたしか4万半ばだったと思う。リネン100%の裏無し、一枚仕立ての2つ釦ジャケットだ。色はやや暗めのライトグレーなのだが、後染めで染められたグレーではなく、糸を先に染めて織られた、先染めのグレー生地だった。後染めよりも先染めの生地の方が色に深みが出るため、僕は先染めの方が好きだ。
糸の色の濃度も均一ではない。濃いグレーと薄いグレーに染められた糸によって織られている。糸に施された濃淡の違いが、生地の表面に豊かな表情を生み出し、まるで極小のチェックが消えては浮かんでいるようにも見える無地の生地が、なんとも味わい深い感覚を僕に与えてくれる。
生地に触れてみると、本当にコットンが混ざっているのかと思える柔らかさを感じた。しかしコットンとは異なる、リネン特有の弾力ある素材感もたしかにある。ああ、なんと味わい深い。
パターンを見てみよう。バックスタイルはノーベントで、背中心に切り替えがないことで全体のフォルムに柔らかさを生み、身体は優しく包み込まれ、気持ちは穏やかになっていく。縫代は折伏せ縫いで、5mmのステッチが入っている。上衿とラペルの端には、裾の身返し部分までコバステッチが続き、身頃裏のアームホールの縫代は、グレーのバイアス生地によってパイピングで始末されている。派手さはないが、シンプルで丁寧な仕事だ。
以前、ハウエルと同様にナチュラルテイストが持ち味の「ヤエカ(Yaeca)」のジャケットを着た際、全体的に丸みが強すぎて僕の好みとは違うと感じた。しかし、同じナチュラルでもハウエルは、リラックス感がありながらもどこかにスリムなラインが潜んでいて、そのデザインが僕の好む感覚と一致する。ただ、一つ問題があった。サイズのバランスである。
180cmを超える身長の僕がハウエルを存分に堪能するためには、Mサイズのジャケットを着るべきだろう。しかし、いざ僕がMサイズのジャケットを着てみると、シルエットが思った以上に大きく感じられて、自分の好みとは違うことが判明した。そこで今度は、1サイズ下のSサイズを着てみることにした。
「これだ」
理想のシルエットが、鏡に映し出されていた。1サイズ下のSサイズを着たことによって、ジャケットのボリュームが自分の理想に近づく。
Sサイズのため、Mサイズより袖丈がやや短く感じられたが、それはたいした問題ではない。リネンの素材感と袖口が切羽の仕様でなかったので、袖口は二度ほど軽く折って、春先か秋に着るつもりだった。僕はハウエルのジャケットを、着込むことでリネン特有のシワ感を楽しみ、シャツを着るようにカジュアルに、かつ味わい深く着たかった。
ジャケットから得られた体験すべてに満足し、私は購入を決意する。リネン製の裏無し2つ釦ジャケット、色はうっすらとチェックが浮かぶようにも見える無地のライトグレー。それが僕にとって初めてのハウエルだった。
彼女のデザインは優しい。服を着た時に感じられる、あの優しさは独特だ。ささくれ立った心も、忙しなく焦る心も、完璧に抑えてくれるとは言わないが、丁寧に静めてくれる。あの優しさ、穏やかさ、すべてがいい。自分を飾り立てることなく、ありのままでいていい。自然な姿でいることが、あなたの魅力になる。そんなハウエルのメッセージが、服を通して伝わってくるかのようだ。
ファッションの魅力は、自分を変えてくれることだ。たいていそれは、飾ることによって成立する。事実、そのようなデザインがファッションにはあふれている。しかし、ハウエルは逆のアプローチを取る。飾り立てない。そもそも魅力とはなんだろう?飾り立てた自分に、魅力を感じられても嬉しいのか?もし、ありのままの自分に魅力を感じてもらえるなら、それはとても幸せで心地いいことではないか?日常の心地よさを実現してくれる服、自然な佇まいの中にあるエレガンスを見つけてくれる服。それがマーガレット・ハウエルなんだ。
ちなみにここまで語っておいてなんだが、僕が所有するハウエルはそのジャケット1着だけだ。
〈了〉