語るべき時に語りたいマルタン・マルジェラ

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AFFECTUS No.36

ここにきて、マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)熱が僕の中で再び高まっている。それはアントワープのMoMuで開催中のマルジェラが手がけた「エルメス(Hermès)」時代の服を網羅した回顧展や、2017年末に公開予定のマルタン・マルジェラのドキュメンタリー映画『We Margiela』と同名の書籍の販売決定、来年2018年3月にはパリのガリエラ宮・モード&コスチューム博物館で大回顧展が開催されるといったマルジェラ関連の激しい動きに、大きい影響を受けているのは間違いない。

なぜ今、これほどにマルタン・マルジェラがフォーカスされるのか。現在、世界中で旋風を巻き起こしている「ヴェトモン(Vetements)」の影響はあるだろう。だが、それ以上に来年2018年でブランド設立30年という節目が関係しているのではないだろうか。『メゾン・マルタン・マルジェラ』が、ブランドの歴史をスタートさせたのは1988年になる(デビューシーズンは1989SS)。

マルタン・マルジェラという名前を目にする機会が以前にもまして増え、そのことが自分の中でマルタン・マルジェラの服の魅力について、また語りたいという強い感情へと繋がっている。2016年7月12日公開「マルタン・マルジェラとエルメス」で、マルジェラのデザインについて自分なりの解釈を書いた。このタイトルで、自分の中でマルジェラのデザインについて語りつくしたという気持ちがあり、これ以上は何も言うことがないのが正直なところだった。

ただ、まだまだマルジェラには語ることのできる魅力があるように思えた。僕自身が感じるマルタン・マルジェラの魅力が、もっとたくさんあるはずだと。今だからこそマルジェラから感じる何かが、あるのではないか。そう思えてきたのだ。今回のタイトルは大げさだが、マルジェラについてもう自分の好きなようにただただ語るという極めて個人的な欲求の充足を目指した、それだけが目的のテキストになる。

前置きが長くなった。今回は1着のジャケットに焦点を当て、書いてみたい。以後はブランドというより、マルタン・マルジェラという個人へフォーカスするという意味も込めて、「マルタン」と表記する。

僕にとって一番好きなマルタンのコレクションは、デビューシーズンの1989SSだ。しかし、僕はデビューシーズンの全ルックを見たことがない。いかんせん、デビューコレクションの資料が断片的にしかないのだ。フルのショー映像を目にした機会もない。世界のどこかにフルのショー映像はあるのかもしれないが、僕は未だそこにたどり着けていない。

それでも、数少ない写真から見られるデビューコレクションのデザインに、僕は興味を惹かれる。強烈なインパクトがあるわけではない。思った以上にシンプルな服。けれど、ただのシンプルな服からは感じられない、冷静な狂気とも言える違和感が迫ってくる。

マルタン特有の違和感を最も強く感じるデザイン。それは代表作といっても過言ではない、袖山が異様に盛り上がった2つ釦のジャケットだ。このジャケットが異様な魅力に満ちている。僕はこのジャケットの実物を見たことがないため、これから述べることは本来の形状とは異なる点があるかもしれない。そこはどうかご容赦願いたい。写真で見る限り僕が感じたことを可能な限り、余すことなく語ってみたい。

このジャケット、最初に写真で見たときは特異な袖山が目につくとはいえ、ベーシックなジャケットの形をなぞっているように感じられた。ジャケットの形そのものは、「コム デ ギャルソン(Comme des Garçons)」のように複雑でダイナミックなフォルムではない。しかし、このジャケットを凝視していくと、明らかなおかしさに気づき始める。崩れたバランスを内包しているのだ。まず引っ掛かりを感じたのは上衿とラペルの大きさのバランス。僕はこのジャケットを初めて見たとき、ピークドラペルに見えた。しかし、よく見るとピークドラペルとノッチドラペル、その両方の特徴を含んだラペルが、このジャケットの一端を担っている。

上衿の衿周りのラインは通常のノッチドラペルのように、曲線がなだらかに入ってはいるものの、その形状は端正で直線的。それに対してラペルは、上衿のサイズに対してアンバランスに大きく、しかもラペルの衿先が丸みを帯び、そこから第一釦に向かってやや強いカーブを描く。調和を整えて綺麗にするファッションデザインの原則を否定する異様なムードだ。ノッチドラペルでもピークドラぺルでもない。見ようによっては、誇張されたフィッシュマウスラペルといえなくもない。明確にカテゴライズできないラペルデザインである。

そしてその異様さに一役買っているのが、低いゴージラインだ。ゴージが低いと重心が低く感じられ、野暮ったさを感じてしまう。このゴージの低さを見るだけで、マルタンが通常人々が抱くカッコよさとは異なる価値観で、服を作っているように僕は思える。

違和感はまだある。切替線とダーツに注目しよう。特にダーツは、通常のジャケットならまずお目にかかれない場所に作られている。マルタンの特異なダーツの特徴が、顕著に現れているのは袖だ。写真を見る限り、おそらくこの袖は内袖と外袖で構成された2枚袖。まず驚いたのが、内袖の肘付近で横向きに切替線が入っていること。通常のスリーブパターンなら、そこに切替線は入れない。

そして同じく、肘の内側から外側に向かって一本のダーツが横向きに入っている。肘にある切替線とダーツは、袖が前側へ振れるように角度をつけたためだと思われる。ただ、それなら2枚袖のパターンで十分実現可能。わざわざ、肘にダーツと切替線を入れる意味はないし、その二つが入ったことで雑多な印象が袖に生まれ、調和のとれた美しさはどこかへ飛んでしまった。それにダーツで袖の振りに角度をつけること自体、服作りの初歩で学ぶ極めて基本的なスキルになる。それゆえ、このダーツに僕は洗練さとは程遠い野暮ったさを再び感じる。

袖にはもう1本ダーツがある。前身頃側の袖山線から上腕に向かってダーツが入っている。このダーツは袖の上腕部分に膨らみがもたらす役割があると考えられる。このダーツと袖山の盛り上がりがセットになることで肩が強く強調され、その様は男性的でもある。

切替線といえば、後ろ身頃のラインも特徴的だ。このジャケットは写真を見る限り、前身頃・前細腹・後ろ細腹・後ろ身頃の4面構成に見える。後ろ細腹の切替線は後ろ中心側へ寄っているために、カーブも自然と強くなっている。女性のウェストを連想させるシェイプの強さだ。バックスタイルをよく見ると、袖にはもう1本ダーツが入っていることに気がつく。

後ろ細腹の切替線が後ろ身頃のアームホールへ到達し、さらに切替線が延長し、そのラインは袖にまで侵食してダーツに変化したような錯覚を起こす。前身頃と同様に、後ろ身頃の袖山線から上腕部分に向かってダーツが入っているのだ。マルタンはとことん肩の周辺を強調する。

袖口にも不思議さが微妙に漂う。袖口には5つの釦が等間隔で縫いつけられているが、間隔が広めだった。通常のジャケットの袖口には、このような距離感のバランスと個数で釦を取り付けることはない。基本的に袖口の釦の数は4つが多く、ジャケットの袖口の釦は少し重なり合うように縫い付けられている。ここでもマルタンは原則を外す。デビューコレクションに登場した、このアイコン的ジャケットは言ってみれば複眼的だ。

1着のジャケットなのに、ノッチドラペルやピークドラペルにも感じられ、はたまたフィッシュマウスラペルの残像も感じられ、男性的でもあり女性的でもあり、大胆なダーツ使いをするかと思えば、ごくごく基本的なダーツの入れ方もして、服作りの基本も感じさせる。

僕が思うに、1着の中に閉じ込められたこの複眼的視点の積み重ねこそが、マルタンのジャケットが持つ違和感の正体になる。このジャケットを改めて見ることで気づかされた複眼的視点は、デビューコレクション以降も散見された。1998SSにマルタンはコム デ ギャルソンと共同でコレクションを発表する。そこでマルタンが発表したのは、人が着ていない時に、平面の形状になる「フラット」という概念を取り入れた服だった。

ここまで書いていくと、僕の脳裏に1枚の絵画が浮かんできた。それはポール・セザンヌ(Paul Cézanne)が描いた『リンゴとオレンジ』だ。複数の視点から見た果物が描かれた、不思議な構図の静物画である。マルタンは、服をあらゆる角度から見た複数の形を、まるで『リンゴとオレンジ』のように1着の服へマニアックなほどに閉じ込めていく。

マルタンのデザインに、ファッションという言葉を使うことを僕はためらってしまう。ましてや、アートという言葉も似つかわしくない。その思いは、ファッションデザイナーたちのインタビュー集に掲載されたマルタンのインタビューを読むと強くなる。例によって「我々」と答えているが。

「ファッションは芸術だと思いますか?それとも、技巧だと思いますか?」
「ファッションは技巧であり、技術的ノウハウであり、我々の見解では、芸術ではありません。双方の世界はクリエイティビティを通して表現するという点では共通していますが、それぞれの媒体プロセスはまったくの別物です」
*『VISONARIE ヴィジョナリーズ ファッション・デザイナーたちの哲学』より

僕は「メゾン・マルタン・マルジェラ」のブランドコンセプトは「服作り」だと思えてきた。ファッションデザインの概念をひっくり返そうとか、ファッションをアートにしようとか、そんなことは彼にとってはどうでもよくて、あるのは服作りの新しく面白い視点をあぶり出して、形にしようとする徹底的な探究心。マルタンは、服を作ることが大好きなんだ。きっとそうだ。僕はそう思えた。

マルタンはフラットの概念を取り入れ1998Sコレクションの解説に、3種類の言語が用いた。フランス語・英語・日本語の3種類である。ある1着を解説する日本語には、このように書かれていた。

「『移動したネックライン』のガーメント」

服作りが本当に好きだからこそ、出てくる言葉だ。

マルタンはただ単に「服」を作っていただけ。自分の美意識に基づいた服を。しかし、その美意識が異質だった。人が美しいと思うものに美しさを感じず、人が美しくないと思うものに美しさを感じる。服作りをこよなく愛する、変わった美意識を持った人間。それがマルタン・マルジェラという人だった。マルタンのデザインを見ることをより楽しむには、自ら服を作ってみることがオススメだ。それも1着だけでなく、何着も作ってみる。アイテムも様々なアイテムを。服作りの経験を経て、マルタンの服を見るとこんな言葉が、自然と口をついて出てくる。

「ああ、もうほんと、マルタン、あなたって人は本当に変態だ」

〈了〉

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