着物をキモノにするケンタ マツシゲ

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AFFECTUS No.38

着物をコンセプトにすると、デザインが平面的な形の服に傾きがちだ。それが良い悪いという話ではなくて、傾向としての話になる。もちろん平面的な服でも問題ないのだが、着物をコンセプトにしながらも、フラットな形状とは違う方向性の服が見たくなるのも性分。そこで注目したいブランドが、「ケンタ マツシゲ(Kenta Matsushige)」である。

ケンタ マツシゲは着物がコンセプトの中核というわけではない。ただし、デビュー当初から、日本文化からインスピレーションを受けて制作するスタイルが続いており、コンセプトの中に着物の要素が含まれていると感じる。

僕なりに服として着物の魅力を一言で表すと、ドレープ性になる。平面の着物地=布を、最小限の穴と切替を使って仕上げた服であり、着物は人間の身体そのものを個性として捉えていない。着物が個性と捉えているのは、人間の動作であり、人が動くたびにゆれる布の様子=ドレープ性が、人の個性を表している。体型が人それぞれ異なるように、似たような動作であっても、動作にはその人特有の癖が混じり、それぞれ異なる。各人で異なる動作の癖が、人間の個性を作り出すといっていい。

「あの人の、あの仕草が好き」

そう思ったことはないだろうか。人間の動作が持つ魅力を引き出す服が、僕にとっての着物である。

翻って洋服は、身体そのものを魅力と捉えている。ダーツや切替を駆使し、平面の布をできるだけ身体の凹凸に沿わせて立体化していく。そうして出来上がったものが洋服となる。洋服はある意味残酷だ。むき出しに人間の個性=身体を露わにするのだから。洋服は、持って生まれた資質(体型)によって、魅力が左右される要素が大きい。

そういう意味で着物は、身体そのものによって左右される要素が少なく、人間の身体の動作を個性として立ち上げ、人間の魅力を多面的に見せてくれるとても面白い存在だ。ケンタ マツシゲは着物が持つ要素に、最小限の立体感をベーシックウェアに展開していき、平面の要素が全面に押し出た「着物」から、立体感もにじむ平面的衣服「キモノ」という新しいカテゴリーを確立した。

ケンタ マツシゲの服を見ていると、クリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga)の服を思い出す。布をふんだんに使い、大胆かつ迫力ある造形を生み出した、クラシックな美しさが香るクリストバル・バレンシアガ。ケンタ マツシゲはクリストバルの系譜をなぞりながらも、クラシックなエレガンスではなく、クリストバルとは異なるモダンなエレガンスへ着地させている。

クリストバルのようなアプローチで作られた「ジル サンダー(Jil Sander)」とでも言えばいいだろうか。ケンタ マツシゲの服には、「イッセイミヤケ(Issey Miyake)」が掲げる伝説的コンセプト「一枚の布」を現代化した趣さえ感じる。ケンタ マツシゲのデザインには、ファッションデザインの様々な系譜をなぞえられながら完成した面白さが潜んでいるのだ。

着物に着想源を得ながら、そのデザインが「和」に振れず、ミニマムなファッションデザインの文脈にのっている服。僕が今まで見てきた範囲にはなってしまうが、このようなデザインはありそうでなかった。クリーンな空気を漂わす和ベースの服が、とても心地よく心に響く。

デビュー当初のケンタ マツシゲは、シンプルな服にもかかわらずコンセプチュアルウェアの印象を受けるほど、コンセプトの押し出しが強かったように思う。しかし、シーズンを重ねるごとに角が取れて丸みを帯びるように、現代女性のワードローブにかかせないアイテムをベースに展開することで、コンセプトがうまく消化されるようになり、ウェアラブルなデザインに変貌してきた。一つのブランドがデザインスキルを向上させていく過程を観賞できる楽しさも、ケンタ マツシゲの魅力だ。

私は、「服を作ることは、人間を作ること」だと思っている。デザイナーがどのような人間を魅力的に思っているのか。デザイナーの人間観を露わにするのが、ファッションデザインだ。私には、ケンタ マツシゲの作る女性像がとても魅力的だった。

ヒール音を響かせ、前方から歩いてきたことがすぐにわかる存在感と香水の匂い。そういう女性像ではなく、自然に軽やかに街中を歩き、すれ違ったあと、かすかに鼻先をかすめる香水の香り。香りの種類は、鼻を強く刺激する類ではなく、心を穏やかに安らかに和ませる。そんな女性像がイメージされ、厳かで控えめで美しい佇まいに惹かれる。

SNSの勢いがとどまることを知らない現代では、いっそおうケンタ マツシゲの提示する静けさに魅入ってしまう。今の時代、SNSを通じて自らの存在をアピールすることは、何ら責められることではない。人間が日々食事をするのが当たり前のように、SNSの使用をとがめることはナンセンスな時代だ。

しかし、「自分の好きな服」を着て人とリアルに会い、自らを知ってもらうことは、あなた自身を正しく美しく見せてくれる。ありのままの美しさは、生身の人間に会うことで如実に感じられる。消すことも惑わすこともできない。自分のありのままが見られることには、怖さもあるだろう。だが、ありのままでいることを、必要以上に恐れることもない。

ケンタ マツシゲには「香り」という言葉がよく似合う。服そのものというより、服の佇まいで魅了する服だ。自分の隠れた魅力に、あなたは気づくことができないかもしれない。けれど、あなたも知らない自分の魅力に、気づく人がいるかもしれない。そんな体験ができるのは、ケンタ マツシゲを着た時だろう。あなた自身も知らない、あなたの魅力がビジュアル化される。そのことをおおいに楽しもう。
〈了〉

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