AFFECTUS No.40
話題に事欠かないブランドだ。「ヴェトモン(Vetements)」のことである。先日、デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)は、今後ヴェトモンのコレクションをショー形式では開催しないことを発表した。数ヶ月に一度、何かしら新しいニュースをヴェトモンは提供してくれる。「バレンシアガ(Balenciaga)」のアーティスティック・ディレクター就任、オートクチュールシーズンにコレクション発表時期を移行、スイスのチューリッヒへ拠点を移す、そして今回のショー形式での発表中止など、肝心要のコレクション以外でも耳目を惹きつけるニュースが発表され、その度にブランドの認知度と注目度は高まっていく。
僕がファッションにのめり込んで20年が経つ。これまで見てきたブランドの中でも、ヴェトモンは最も影響力を発揮したブランドになっている。ヴェトモンと並ぶ現象は、エディ・スリマン(Hedi Slimane)が手がけていたディオール オム(Dior Homme)」ぐらいだろう。しかし、ヴェトモンの影響力は、スリマンのディオール オムよりも大きい。今年の冬は街中を歩いていると、高校生と思われる女の子たちが、ビッグシルエットのMA-1を着ている姿を多く見かけた。
ヴェトモンから派生したスタイルは性別を超え年齢を超えて直接的に、あるいは間接的に、世界中の人々に受け入れられている。熱狂的とも言えるほど人気のあったスリマンのディオール オムも、現在のヴェトモンの影響力には及ばない。ただ、ヴェトモンがここまで影響力を発揮したのは、SNSの力も一因しているように思えた。もし、ディオール オム時代にSNSが現在のレベルで人々の暮らしに浸透していたら、その影響力はもっと大きくなっていた可能性がある。
なぜ、ヴェトモンがこれほどの人気ブランドになったのか。ヴェトモンの何が、人々の心をこんなにも捉えるのか。そんなことを考えても、絶対的な正解が出るわけではないが、それでもヴェトモンがなぜここまで熱狂的に受け入れられているのか、その理由について自分なりに改めて考えてみたい。今考えることに、きっと意味があるように思えるから。
まずは、ジョナサン・ウィリアム・アンダーソン(Jonathan William Anderson)のシグネチャーラインと対比しながら考えていこう。僕が思うに、ヴァザリアと比肩する若い才能はアンダーソンをおいて他にない。ヴァザリアと近い世代の中ではアンダーソンこそが、世界で唯一ヴァザリアと肩を並べる存在だ。それほど、アンダーソンの才能は群を抜く。しかし、影響力の大きさにおいて、ヴァザリアとアンダーソンではかなり距離が開いている印象だ。アンダーソンが提唱したジェンダーレススタイルも、世の中に大きな影響力を及ぼしているが、ヴァザリアのストリートスタイルと比較すれば、大きな差があると言わざるをえない。
ヴェトモンと「J.W.アンダーソン(J.W. Anderson)」は、両ブランドともデビューしてから、早い段階でデザインの方向性をシフトするという、似たようなデザインの変遷をたどっている。もちろん、微妙な違いはある。デザインの方向性を変えた振り幅はJ.W.アンダーソンの方が大きいし、デザインの方向性をシフトする早さはヴェトモンの方が早い。そのような違いはあるが、両ブランドともコレクションをスタートさせながらブランドアイデンティティを確立していった印象だ。
*以降、ブランドのことを「J.W.アンダーソン」、デザイナーのことを「アンダーソン」と表記していく。
初期に発表されたJ.W.アンダーソンのコレクション、2011SSコレクションを見ると、現在との大きな違いに驚く。当時のコレクションは、毒々しい柄にアンダーソンの本質である「グロテスク好き」は感じられるが、服のデザインはデニムやシャツなどベーシックアイテムをベースに、現在の特徴である大胆で抽象的な造形は見られず、極めてシンプルなフォルムで制作されている。過去のコレクションは、ベーシックなアイテムに毒々しさを盛ってスタイリングしたリアリティを含んでいた。
翻ってヴェトモンの初期はどうだろう。デビューの2014AWコレクションを見ると、J.W.アンダーソと同様に現在との違いを明らかに実感する。ヴェトモンのDNAと言えるストリート色がまったく感じられない。シグネチャーアイテムとなるジーンズはすでに登場しているが、「マルタン マルジェラ(Martin Margiela)」のエッセンスが濃厚に漂うクラシック&エレガントと呼べるスタイルだ。あるいは、モダナイズしたマルジェラとも表現できる。この傾向は、翌シーズンの2015SSコレクションでも継続され、シグネチャーアイテムのジーンズとフーディ、そして迷彩柄も登場し、カジュアルな空気が前回よりも強まってはいるが、まだモダナイズしたマルジェラという印象にとどまっている。
J.W.アンダーソンは2011AWコレクションになると、毒々しい柄は消えてしまい、黒を色使いのメインにして、全体的にクリーンな雰囲気のコレクションに変わり始めた。翌シーズン以降は、グロテスクさがほのかに香るクリーンなミニマムスタイルが数シーズン続き、現在の特徴である抽象性がディテールに登場し、それが全体のフォルムにまで及び始めると同時に、アンダーソン特有のジェンダーレスな香りが徐々に現れていく。
ジェンダーレスデザインが明確な意図を持って強烈に登場したのが、2013AWメンズコレクションだ。ベアトップのトップス、裾にフリルがついたショートパンツ、太ももが露わになるミニドレスなど、これらのアイテムを男性に着せてしまうのかと驚くほど、女性のための服を男性にそのまま着せている。異様な空気を放つルックに、当時の僕はただただ唖然とした。それほどに強烈なインパクトだった。
翌シーズンの2014SSコレクションでは、ホルターネックのトップスや、腹部が見えるほど大胆にカットした着丈の短いトップスが発表され、ジェンダーレス濃度が確実に強くなっていく。J.W.アンダーソンのウィメンズは、アンダーソンもう一つの特徴、抽象造形(以降、「アブトラクト」と呼ぶ)が大胆さを増し、2014SSウィメンズコレクションでは、現在のスタイルに通じる造形が見て取れる。
そしてヴェトモンがデビューする2014AWシーズンには、J.W.アンダーソンのスタイルは完全な変貌を遂げた。まずウィメンズでは、アブストラクトがデザインの核となり、初期のベーシックアイテムをベースにしたリアルさは消えた。2014AWメンズコレクションでは、あからさまなウィメンズアイテムを男性が着たルックは見受けられないが、全体のシルエットが丸みを帯び始め、肌の見せ方も従来のメンズとは雰囲気が異なり、かなり女性的だ。
2014年から2015年にかけて、J.W.アンダーソンのメンズラインは、初期のベーシックアイテムをベースにしたリアルスタイルから、明らかに女性の服と思われるデザインや、フェミニニティ濃厚なデザインの服を男性モデルに着用させ、ウィメンズラインでは、「これは何のアイテムなのか?コートなのか、ジャケットなのか、これはどこでいつ着ていいのか?」などと、見る者を戸惑わす大胆な造形を、女性の身体にまとわせた。この時期に発表されたウィメンズラインは、服のアイテム名を具体的に思い浮かべることが困難なもの、コレクション全体を抽象性あるものへ完全にシフトしていた。
同時期、ヴェトモンもデザインをシフトさせていた。ただし、J.W.アンダーソンとは違う方向性だった。それはリアルをさらに深めていくリアルスタイルだ。いよいよ、ストリートが本格的に姿を現す。
デビューから3シーズン目、2015AWでヴェトモンはモダナイズしたマルタン マルジェラというクラシック&エレガントから、マルジェラのデザインからビッグシルエットを抽出してストリートと融合させた、ヴェトモンのブランドアイデンティティとなるスタイルを発表する。ヴェトモンが業界全体を覆うほどのビッグムーブメントを起こすのは、バレンシアガのアーティスティック・ディレクター就任が発表された翌シーズンの2016SSコレクションになるのだが、ヴェトモン旋風の発端は、この2015AWコレクションだと言える。
ヴェトモンが、デビューから2シーズン連続して発表したクラシック&エレガンスも十分リアルだ。しかし、SNSが人々の暮らしに完璧に浸透し、遠く離れた憧れよりも「私」が共感する価値観を大切にする時代にあって、クラシック&エレガンスは、カジュアルをワードローブにする人々が大半な現代では幾分リアルから遠い存在だ。そのギャップを埋めたのが、ヴァザリア自身が影響を受け、自身のアイデンティティと言えるストリートを前面に出すことだった。ストリートが鍵となって、ヴェトモンは時代と合致するリアルを獲得することができた。この現象を、リアルを超えたリアル「オーバーリアル」とここでは呼ぶことにしたい。
J.W.アンダーソンは「リアル」から「アブストラクト」へ、ヴェトモンは「リアル」から「オーバーリアル」へ。この変化が両ブランドの影響力に差が生まれるターニングポイントとなった。
では、その「差」を生んだものは何かというと、「トレンド」という結論になった。
ここでいうトレンドは、「売れ筋」や「人気商品」という意味ではなく、ファッションデザインにおける歴史の流れという意味になる。ファッションデザイン、特にモードと言われる先端的なデザインを行うカテゴリーにおいて、トレンドは重要だ。連綿と受け継がれてきたファッションデザインの歴史を、デザイナーが自分なりの解釈を入れてコレクションをデザインし、歴史のページに次の時代のデザインとして書き込む。それが既存のファッションに問題提起する役割も果たし、様々なデザイナーが自分なりのアンサーを返していく。その繰り返しが、ファッションデザインの歴史を作ってきた。
このトレンドが、ヴェトモンとJ.W.アンダーソンの影響力に差を生んだと私は考えている。当時のトレンドのキーとなったのは、ノームコアだ。ニューヨークを拠点にするトレンド分析集団「Kホール(K-Hall)」が、「ノームコア」という言葉を初めて発表したのは、2013年10月発表のレポートだった。そして、2014年2月26日付ニューヨーク・マガジンの「The Cut」に掲載されたフィオナ・ダンカン(Fiona Dunca)によって書かれた記事が、ノームコアのスタイルをファッション界に広める大きな役割を果たしたとされている。
ちなみに「The Cut」で言われるノームコアは、Kホールが発表した意味とは異なり、シンプルで普通なスタイルという、スタイル用語としてファッション界で使われる意味であると理解していただきたい。このニューヨークから端を発する「究極の普通」は、2014年から流行り始めたスタイルだった。
ヴェトモンがマルジェラとストリートを融合した「オーバーリアル」を初めて発表した2015AWコレクションは、2015年3月だ。そして、そのコレクションが市場で販売され始めたのは、2015年8月以降と考えられる。つまりノームコアがトレンドになった2014年から約1年ないしは1年半後、ヴェトモンのストリートを軸にしたオーバーリアルが世の中に登場したことになる。これが、絶妙のタイミングだったと私は考える。SNSやウェブから情報収集することが当たり前となった現代は、トレンドの波及が早く、「見慣れる」という感覚も生まれやすい。
極めてシンプルなスタイルが人気となり、その期間がそれなりに続けば、自然と人は次の新しいスタイルを求めるようになる。ノームコアという言葉が世に普及してから、ヴェトモンのオーバーリアルが発表されるまでの1年から1年半という時間は、まさに絶妙だったと言えるだろう。
ノームコアが浸透し尽くし、人々が次のスタイルを潜在的に求め始めたころ、ストリートという極めてリアルなスタイルをベースに、マルジェラのビッグシルエットという、ノームコアにはない大胆さを極めたデザインが一体化されたヴェトモンスタイルは、それまでのトレンドの系譜であるリアルをなぞりながらも、それまでに見たことのない斬新さであふれたリアルスタイル=オーバーリアルへと変貌し、人々を魅了したのだった。人間は、完璧に新しいものよりも、見知っているものが新しくなったものに反応しやすい。そういう意味でも、ヴェトモンのストリートとマルジェラが融合したオーバーリアルは絶妙だった。
同時期、J.W.アンダーソンはアブストラクトに移行していた。このシフトが、ノームコア以降に現れた新時代のトレンド=ストリートとは微妙にずれてしまい、ヴェトモンとの影響力に差が生まれた大きな理由ではないかと私は考える。
しかし、天才デザイナーの影響力は違うルートで世界へ普及していく。リアルが求められる時代に、アブストラクトへシフトしたアンダーソンは、自身がディレクターを務める「ロエベ(Loewe)」でトレンドへと近づく。ロエベにおけるアンダーソンのデザインは、シグネチャーと比較するとアブストラクトは影を潜め、リアリティが強い。ロエベで発表する性差を超えたデザインは、リアルデザイン文脈に乗ることで、ジェンダーレスを世界へ波及させる一因となった。
「トレンドをなぞりながらも、トレンドに追従するのではなく、それまでのトレンド上にはなかった『新しい服』を提案したこと」
言葉にすればなんともありふれた表現だが、ヴェトモンが人気となった理由を私は上記のように考える。つまり、デザインそのものよりも、時代の流れ=トレンドが大きなキーとなり、そこに他の誰とも異なる大胆さで新しさを作った。ファッションデザインの価値はいつだって時代が決めてきた。それはファッションデザインの歴史が証明している。
たとえば、装飾と豪華さであふれた1980年代が終わった1990年代にヴェトモンが登場していたら、現在のムーブメントと同様のムーブメントを起こせただろうか。それは難しかったのではないかと私は推測する。
1990年代のメインストリームとなったのは「ヘルムート ラング(Helmut Lang)」や「ジル サンダー(Jil Sander)」といった、シンプルなデザインとスリムなシルエットが特徴のミニマリズムだった。欲情的な時代に嫌気をさした人々は、簡素であることを選ぶ。
時代の空気が変われば、人々が好むスタイルも変わる。トレンドは無視することはできないし、軽視することもできない時代のうねり。そのうねりを捉えながら、人々の心を魅了する新しさを提案することは容易なことではない。そして、ヴェトモンはそのことに成功している。
僕がここで語っていることは、一つの考えにすぎない。もちろん僕とは異なる考えを持つ人はいるだろう。そんな多様性がファッションをもっと面白くしていくはずだ。同質化が問題のファッション界だからこそ、異なることを否定しない。たくさんの面白さがファッションをより面白くしていく。ファッション界を賑わすのは、いつだって新しさだ。人とは違う、他の誰もがやっていない新しさへの欲求と、それを実現しようとする創造性と行動力を持つ人間だけが成し得ることなのだ。
ファッションは想像力を創造性で遊ぶゲーム。しかし、そこにはトレンドという抗いがたいルールが存在する。逃れることのできないルールを、どう解釈して遊ぶか。これからもヴァザリアの帝国が続くのか、あるいはアンダーソンが新たなる帝国を築くのか。それとも、まったくの新しい才能が新しいルートから登場するのか。次の時代の支配者となるのは誰だろうか、いつ現れるのだろうか。歴史の流れを味わうことも、ファッションの醍醐味だ。
〈了〉