ゴーシャ・ラブチンスキーは、ダサさそのままがカッコいいと訴える

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AFFECTUS No.53

現在、世界中で若い世代を魅了するゴーシャ・ラブチンスキーはAFFECTUSで過去2回取り上げているが、それでも僕はすべてを語りきれていないように思う。なんとも不思議なデザインだ。その不思議さに惹きつけられてしまう。しかし、そこにはモードを見て興奮するデザインには必ずと言っていいほど伴う「カッコいい!」という高揚感は一切ない。

まず一目見て思うのは「ダサい」。この言葉に尽きる。何度見てもそう思う。最近は2018SSでバーバリーとコラボしたり、以前よりもオシャレ感を増してきたが、一方でそのダサさに磨きもかかっている。2018SSはその傾向が顕著だ。コレクションには、サッカーのユニフォーム姿そのままのルックが登場した。

「こんなの、いくらなんでも無理すぎるだろ……」

ダサさ、ここに極まれり。ダサさの到達点に達した究極のスタイルだ。しかも、そのサッカーユニフォームが現代のようにパンツ丈が膝付近までの長いタイプではなく、90年代ユニフォームのように太もも半分ぐらいの短さ。だけど、シルエットが90年代のようにコンパクトではなくて今のユニフォームトレンドのようなゆったりしたボリューム感。

1990年代と2010年代がミックスされて、良いのか悪いのか、もはや判別不能。良いのか悪いのかはわからないが、ダサい。それだけは言える。本当にダサい。

昨日今日と改めてゴーシャのデザインを見て、すぐに浮かんできたイメージが昔のアキバのオタクスタイル。ケミカルウォッシュジーンズにチェックシャツをタックイン。足元はハイテクスニーカー、バッグはリュックを背負う。伊藤淳史が主演した『電車男』というドラマを覚えている方もいると思うが、伊藤淳史演じる主人公のスタイルが、まさにその昔のオタクスタイルと言える。

ステレオタイプのアキバオタクスタイルを、オシャレなセンス持った現代のイケメン男子が着こなしたら洗練されて、なんだかそのダサさがユーモアになってカッコよくも感じ始めるという現実の生々しさが赤裸々に現れた。ゴーシャはアキバオタクスタイルがアイデンティティではないが、僕の頭にはそんなイメージが浮かんでくる。

ゴーシャのデザインベースはロシアのストリートキッズ。ロシアのストリートキッズを見ていると、ニューヨークのストリートキッズとは違うことに気づく。ニューヨークのストリートキッズは実にクール。それに対してロシアのストリートキッズは野暮ったくヤンキーのようだ。だが、その野暮ったさがゴーシャの魅力的な「ダサさ」になっている。

ゴーシャはファッションの「美」の価値観に、リアルなスタイルで揺さぶりをかけている。たとえば、ゴーシャの生産とPRをサポートするコム デ ギャルソン。ギャルソンも美の価値観を揺さぶっている。それまでのファッションにはなかった歪な造形のデザインを発表し、物議を醸してきた。代表的な例で言えばこぶドレスがそれに該当するだろう。2000年代は「リアルなアヴァンギャルド」とも呼べるスタイルがとてもカッコよかったのだが、現在ではこぶドレスの極大拡大バージョンと言える、巨大な布のオブジェのコレクションを発表している。歪さを極限まで表現し、オートクチュール黄金期の1950年代に端を発する「エレガンス」という美の価値観に揺さぶりをかけまくっている。ギャルソンのデザインはシリアスだ。正面から向かっていく真面目なアプローチ。

ゴーシャも同様に揺さぶりをかけているのだが、その手法は真逆だ。リアルスタイルで揺さぶりをかけている。先述したサッカーユニフォームのように、これまで「ダサい」とされてきたスタイルがゴーシャのコレクションには幾度も登場する。そして、それがギャルソンとはまったく異なるインパクトをもたらし、ファッションにおけるエレガンスとは何かを考えるきっかけになる。

これはファッションデザインの面白いアプローチだ。ギャルソンのようにアヴァンギャルドなスタイルではなく、リアルなスタイルでインパクトをもたらす。リアルさでインパクトをもたらすにはどうしたらいいのか。それは、これまで人々が共感できていなかった価値観のスタイルをピックアップし、そこにデザイナー自身の解釈を加えて発表する。

「リアルで反響を起こす」

聡明さを感じるアプローチで、憧れよりも共感が重要な時代にあって、その静かなアプローチは現代にとてもマッチしているように僕は思う。

これまでゴーシャのデザインを何度もダサいと言ってきたが、そのダサさが世界中の若者には受けている。今、若者にとってのカッコよさが以前とは大きく変化した。以前は飾ること、自分をいかにカッコよく見せるかが重要だった。華美で華飾の80年代はその感覚が極地に達した時代だろう。しかし、今は違う。自分を必要以上に飾ることがカッコ悪い。

インスタグラムにもその傾向が現れて始めている。完璧に綺麗な写真よりも、素人っぽい素のままの写真が人々の心を捉え始めた。インスタグラムのストーリーズは、その感覚に拍車をかけているだろう。単純に自分を飾ることは疲れる。その疲労に浸るほど、今はのんびりしていられない。時代はスピーディに変わっていく。だったら、そんな時代を必要以上に飾ることなく、普段着のまま過ごした方が気持ちよくないだろうか。カッコよさよりも気持ちよさ。気持ちよく過ごすことがカッコよく見える。

ファッションは時代を着ること。時代の感覚が人の装いには現れる。時には本人の無意識下にある感覚もあぶり出す。今やファッションは時代の中心産業ではなくなったが、人々の感性をあぶり出す装置としては今でも重要だ。

ゴーシャのインタビューを読んでいると、彼自身の世界観を表現するというよりロシアのストリートキッズの声を世界に届けようとしているように思える。エモーショナルな部分にフォーカスした課題解決型デザインだ。彼らロシアのストリートキッズの魅力を一切飾り立てることなく、そのままにありのままの姿で世界へ届ける。あの野暮ったいダサさが彼らの魅力。洗練されたスマートさはないけど、そこには不器用なカッコよさがある。それが今の時代、とてもリアル。そこに共感する若者が世界中にいた。それがゴーシャの人気なのではと、僕は思ったりもする。

ダサさそのままに世界へ。勇気はいるけど、そんなふうに生きるのもいいじゃないか。

〈了〉

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