アレッサンドロ・ミケーレの美しい醜さ

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AFFECTUS No.57

アレッサンドロ・ミケーレが出色のコレクションを発表した。ミケーレがグッチを率いて3年。シンプルな服を好む自分の「好き」との大きな違いからミケーレの魅力は捉えがたく、いったいどこに魅力があるのか理解できずにいた僕にも、彼が発表したグッチの2018AWコレクションには惹きつけられる。

ミケーレがグッチのクリエイティブ・ディクレターに就任してから彼のコレクションを何度見ても、僕にはメディアで騒がられるほどの魅力を感じることができずにいた。それは、実際に銀座のドーバーストリートマーケットで初めて「ミケーレ・グッチ」の服を手にとってみても変わることはなくて、いったい彼の何がそんなに人々の心を捉えているのか、それを知りたいという欲求、いや欲求という表現はオーバーすぎて、食べてみたいラーメン屋があるんだけど、遠いしどうしようかな、また今度にしよう、ああでも食べたいなあ、いつか、というぐらいの気持ちで気にならないわけではなくて、ずっと気にはなっていた。

たしかに濃厚濃縮なセクシーな匂いを放つグッチのイメージからすれば、ファンタジーというかキッチュというか、奇妙でありながらカワイさが混在するミケーレのデザインはグッチの歴史を変えるデザインだとは思うし、その点では驚きはあったが、肝心の服そのものを見たときの服からくる驚きが僕にはまったく感じられなかった。好みの違いだから、しょうがない。そういう結論にするのは簡単だ。しかし、そこで終わらせるのもどうかと思うし、好き嫌いで世界を選んでいると自分の好きを超えた向こう側の面白さにはたどり着けない。自分が魅力を感じなくても世の中で高評価を得ているなら、その秘密を探ってみたくなる。

その一端を捉えた気持ちになれたのが、2018Pre-Fallだった。このプレコレクションを見たことで、僕はようやくミケーレの魅力を感じられるようになる。ミケーレの服は、子供が大人になったら着たいと思ってデザインした服。そう思えた。子供は無邪気で自分の好きをめいいっぱい反映させる。「大人になったら、こんな服着たい!」。好きに妥協がない。だから子供の描いた絵みたいに、ミケーレのデザインしたグッチには奇妙なバランスがある。でもそれが楽しさでもある。とびっきり魅力的な。僕はそのことがわかり、「自分の好き」以外の魅力を完璧とは言わないけど、それでもなかなか良い感じに捉えることができた気分になり、思わず笑顔にはならないけど、すっきりして気持ちよかった。

そして、昨日発表された2018AWコレクション。僕は思わずにやけてしまう。

良家で育った上品な男の子。でも、その趣味はちょっと変わっている。いや、ちょっとではなくて大分変わっている。みんなが気持ち悪いと言うものにカワイさを感じてしまう。

「僕は本当にカワイイと思うのに、みんなどうして気持ち悪いって言うんだろう……」

自分の感覚がおかしいのかなと思いつつも、そのカワイさに抗えず好きなまま大人になって、子供の頃の心のまま好きな服を着ている。

「みんなから好奇の目で見られていることはわかっている。でも、僕はこれが好きなんだ。この服を着たいんだ」

世界のどこかにあった、美しい醜さを見つけたミケーレの感性に、僕はこれまでとはまったく異なるエレガンスを感じる。

ミケーレのデザインはアメリカントラッドがベースにある。アメトラをベースに、本来アメトラが持つクリーン&スマートを匂わせながら、対極の過剰な装飾性を加味し、全身に上品さがありながらも歪さと奇妙さと醜さを混合したスタイルが完成している。ミケーレのこの才能は、世界でも稀だろう。

今、ファッションデザインは転換期を迎えた。これまでのエレガンスは新しいエレガンスへ更新されようとしている。それはカッコ悪さの追求。美を追求しない。形にするのは醜さ。そこにも美しさがある。その動きは1980年代に、コム デ ギャルソンやヨウジヤマモトがパリに起こした衝撃のようだ。新しい時代の波、それが2018年の今はヨーロッパから起きている。今回のコレクションを見て僕は思う。アレッサンドロ・ミケーレは間違いなくそんな時代をリードする一人だろう、と。

美しい醜さをデムナ・ヴァザリアやゴーシャ・ラブチンスキーがストリートをベースに表現するなら、アレッサンドロ・ミケーレはアメリカントラッドをベースに表現している。完璧に新しくて抽象的な服を作るのではなく、既に完成され普及しているスタイルをベースとして、そこにこれまでにはなかった悪趣味な要素を継ぎ接ぐように配置する。これが今のファッションデザインの潮流。このトレンドに乗り、どう自分の解釈を見せるのか。それがモードというファッションのゲーム。奇抜であったり斬新であることがモードではない。時代の流れを感覚的に、あるいは論理的に捉え、自分の解釈を見せていく。そこにデザイナーのインテリジェンスとセンスが問われる。

新しい時代の波は、ファッションの新しい面白さを産み落とした。そして、アレッサンドロ・ミケーレはこう教えてくれる。

今、カッコ悪いことがクール。

〈了〉

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