マルタン・マルジェラのデビューショーを観た

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AFFECTUS No.58

長年、ずっと観たいと思っていたショー映像がある。それが、マルタン・マルジェラのデビューショー、1989SSコレクションのフル映像だ。ようやく念願叶い、その映像を観ることができた。インターネット(Twitter)に感謝である。

ショーを観た感想はというと「シンプル」の一言。ボトムはワイドパンツとロングスカートの2種類。トップスは襟先が大きく伸びたカラーのシャツをメインに、素肌の上にそのままジャケットを羽織るスタイルが多い。ジャケットは、あの袖山を詰めて肩先を盛り上がらせたモード史に残る逸品だ。色はグレー・白・黒を使い、派手さとは無縁。

基本的には、同種のアイテムとスタイルが多少趣を変えながら何度も登場する。一見すると地味に見えるショー。実際、僕も観ていて胸が熱く高鳴ることはなかった。しかし、映像ではモデルが登場するたびに観客から拍手が鳴り、このコレクションが新しい価値を持ち込んでいることを実感させる。その価値とは、いったい何なのか。じっくり観ていくと、これは当時の時代感に身を置かなければ理解できない類のコレクションだと僕は思い始める。

1980年代を調べてみた。人間の「欲望」をこれでもかと刺激する時代だったと感じる。サッチャリズム、レーガノミックス、プラザ合意、ベルリンの壁、シンディローパー、マドンナ、マイケル・ジャクソン、バック・トゥ・ザ・フューチャー、ジョルジオ・アルマーニ、ジャンフランコ・フェレ、ジャンニ・ヴェルサーチ……。ある意味、ファッションの黄金期と言える時代だろう。派手な色と柄、装飾的なディテール、身体のラインを卑しいくらいに強調するシルエットで色気を発散し、パワーショルダーで存在を誇示する。高い服を買うことに価値があった。現在の人々から見たら首を傾げたくなる価値観だろう。でも、それがクールだったのだ。

狂乱とも言えるそんな時代の最後、マルタン・マルジェラは1989SSシーズンにデビューする。改めて1989SSコレクションを観てみる。

1stルック。上半身裸で、胸を両手で抑えながら、白いワイドパンツを履いた女性モデルが登場する。パンツの裾は切りっぱなしだ。次のルックは、ボトムをロングスカートに変え、同様に上半身裸で胸を両手で抑えた女性モデルが現れる。モデルは自分で自分の身体を抱きしめるようにして胸を隠す。タイトにフィットしたスカートのバックには、太ももまで深いスリットが入り、まるで鋏を使って一直線にスカートを切り裂いたよう。3人目もボトムをパンツに変えて同様のスタイル。そして4人目はロングスカート。今度は股付近までの深いスリットがフロントに入っている。この4人目がステージでポーズをとった瞬間、そこで初めて観客から拍手が起きる。

それまで時代を謳歌してきた装飾的で豪華絢爛なファッションを皮肉るように、色はグレー・白・黒を多用して無地の素材を用い、素材感も安っぽく、ロングスカートの裾は切りっぱなし。その作りも、緻密さと綺麗な縫製で上質感をアピールするタイプではない。女性モデルが上半身裸で素肌にシャツやジャケットを着ているのに、その姿からは色気が感じられない。服から抱く印象は素っ気なさ。時代を冷たい目で見てきたマルタンのセンスが、そのまま形になったような服が作られている。

ショーの中盤に差し掛かると、モデルの顔はマスクで覆われ、その表情が全く見えない。このスタイルも、これでもかと個性を主張してきた80年代を否定するかのようだ。人が人に与える印象で、顔の果たす役割はとても大きい。その顔を覆い隠す。ファッションの匿名化。アノニマスなデザイン。拍手は何度も起きる。

裾を切りっぱなしにしたり、ダーツの縫い代を表に出したり、本来なら服作りにおいて表に出すようなものではない、隠すべき要素をためらうことなく露わにする。変化こそがファッションの醍醐味で、コレクションといえばいくつものデザインバリエーションを披露するはずなのに、似たようなスタイルの連続。マルタンはどこまでも皮肉る。

タトゥー柄を全面にプリントした薄手のカットソーを着たモデルが登場すると、一番の拍手が起きる。歓声も聞こえる。マルタンは、それまでなら見過ごされてきた捨てるぐらいの価値しかないものを、贅沢と斬新さを競うハイファッションの世界に持ち込んでいた。その行為は、新しい美の価値観を提示する役割を果たし、モード史に新しい流れを作り出す。

そしてフィナーレで、マルタン本人がステージに登場し、満面の笑みを見せる。その姿を公に晒すことのないマルタンの笑顔が、そこにはあった。

マルタン・マルジェラのデビューショーは、モードが派手さや奇抜さを競うものではないことを改めて教えてくれる。時代の気分を捉えて、ファッションデザインの文脈に乗り、そこにデザイナー自身の解釈を刻む。マルジェラの解釈は、以後ファッション界に大きな影響を及ぼす。

今や、ファッションは時代の中心産業ではない。しかし、人々の服装が変われば街の雰囲気は変わり、街の雰囲気が変われば時代の雰囲気は変わる。そんなふうに時代を変えることが可能なのは、人間が身体に身に纏うという特性を持つ服だけだろう。今、メルカリを代表するようにファッションにおいて2次流通がビジネストレンドの一つになっている。その思想は、源流を辿ればマルタンに行き着くのではないだろうか。新しいことが価値であるパリコレクションで、過去の服を価値あるものとして手を加えず、そのまま発表したマルタン・マルジェラの思想が。

現実世界の中で、僕らは知らず知らずのうちにマルタン・マルジェラの影響を受けている。モード史に残る天才の影響を。

〈了〉

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