ヴァージル・アブロー論

AFFECTUS No.70

本日書くことは僕の解釈に過ぎず、今回ピックアップするデザイナーたちの本来の意図とは違うこともきっとあるに違いない。その前提で、本稿を読んでもらえたらと思う。

キム・ジョーンズの後任として、ルイ ヴィトンのアーティスティック・ディクレターにヴァージル・アブローの就任が発表されたのは今年3月。そして先日、とうとうヴァージル・アブローによるデビューコレクション、ルイ ヴィトン2019SSメンズコレクションが発表された。

ショーのラストでカニエ・ウェストとヴァージル・アブローが泣きながら抱き合うシーンを見ていたら心に響いてくるものがあり、とてもいいシーンだった。だから、この余韻に浸らせることなくぶった切るように中継を終了させられて、怒りも感じた。

「おい!そこで切るのかよ!!」と。

しかし、その感動的なシーンとコレクション、つまりファッションデザインは切り離して考えてみたい。

僕はヴァージルのデビューコレクションをリアルタイムで映像を観ていたのだが、終始感じていたのは次の感情だった。

「よくわからない……」

1stルックから最後のフィナーレまで見ていて、ずっとこの感情が支配していた。

そのあと、ショー映像を再び観てみたのだが、やはり感じるものに変わりはなくて「よくわからない……」となった。なぜ「よくわからない」となるのか。これは自分だけが感じる感情なのか。おそらくこのコレクション、メディアは賞賛するだろう。僕のように感じるのは少数派なのか。しかし「よくわからない」と感じたのは事実で、しかも「わからなさの理由がどこにあるのか」わからない状態だ。

この感情は、このルイ ヴィトンのメンズコレクションだけでなく、その前に発表されたヴァージルのシグネチャーブランド「オフホワイト」の2019SSコレクションを見ていても感じたことだった。

それは今回に限った話ではなくて、過去にオフホワイトのコレクションを何度見ても、ヴァージルのデザインは僕には難解すぎるのか、心を突き動かす「何か」を感じることができずにいた。

なぜだろう。

僕は、この極めて個人的感情の理由を探りたくなる。そのヒントが思わぬ早さでやってきた。それは、2019SSシーズンからウィメンズのショーを中止し、メンズのみでショーを開催することになった高橋盾によるアンダーカバーのコレクションを見たことだった。

同時に、次の件も思い出す。

「2017年1月に公開された米GQ誌のインタビューにおいてラフ・シモンズは、インタビュアーがヴァージル・アブローやデムナ・ヴァザリア、ゴーシャ・ラブチンスキーの名前を挙げながら、現在の新鋭デザイナーからの影響について聞いた時、その影響を認めながらも『<オフホワイト™>には影響を受けていない』と話していた。はっきり『Not Off-White.』と。理由としては、ラフから見たらヴァージルにはオリジナリティや新しさを感じないということだったらしい」『GRIND online独占インタビュー!ストリートとモードを繋ぐ男ヴァージルは今、何を想うのか』より

ラフ・シモンズはヴァージル・アブローのデザインについてかなり手厳しいことを言っている。ラフはなぜこんなコメントを残したのか。ポイントは「オリジナリティや新しさを感じない」という点だ。その理由も、アンダーカバーの2019SSコレクションを見ていたら、僕には感じられてきた。

ヴァージルのデザインが完成を見るのは、Kaikai Kiki Galleryで開催した個展「”PAY PER VIEW”」のように、この視点をファッションデザインとしてラグジュアリーとストリートに融合させた時ではないかと、僕は感じている。

アンダーカバーの2019SSコレクション、そして今回のルイ ヴィトンのデビューコレクションとオフホワイトのアーカイブを振り返りながら、ヴァージル・アブローのデザインについて、終盤にはラフ・シモンズとフセイン・チャラヤンのコレクションとも比較し、述べていくことにしたい。

ヴァージル・アブローのデザインの否定や肯定が目的ではない。ただ知りたい。ファッションデザインのロジックを。同じデザインでも、時代が変わればその評価は逆転するファッションデザイン。そのロジックを解き明かしてみたい。今回はそのためのトライとも言える。

それでは、始めたいと思う。

アンダーカバー 2019SSメンズコレクション 

まずは高橋盾によるアンダーカバー2019SSメンズコレクションを見ていこう。一見すると、ヴァージルのデザインには関係ないと思われるかもしれない。たしかに事実関係ないのだが、このコレクションを見たことがヴァージルによるルイ ヴィトンのデビューコレクションを「よくわからない……」と感じた理由を解き明かすきっかけとなった。

2019SSのアンダーカバーのメンズコレクションでテーマとなったのは『THE NEW WARRIORS』。コレクションは、70年代後半のニューヨークのストリートギャングたちを描く映画『THE WARRIORS』からデザインが展開されていた。

僕はこのコレクションを一目見るなり「いい!」と強く感じた。その理由は、高橋盾の「好き」がこれでもかというぐらいに濃厚に表現されていたからだ。高橋盾のアイデンティティとも世界観とも言えるもの、彼の根底に流れるパンクな精神とダークなグロテスク、自身の心の内の奥底から引きずり出してきた、これぞ高橋盾、そう呼べる濃厚濃密さがこのコレクションには漂っていた。それは、2019SSシーズンに限った話ではない。高橋盾のコレクションには、このアンダーグラウンドな暗さと歪さが常に流れている。それはファッション界のトレンドが変わろうとも、変わることのない高橋盾のアイデンティティと呼べるものだ。

ただし、高橋盾はトレンドから距離を置くわけではない。パリに発表の場を移してからの高橋盾は、むしろトレンドへの参加に積極的だと僕は感じている。しかし、高橋盾はトレンドをトレースしない。トレンドには飲み込まれない。逆に、自分の世界にトレンドを飲み込み、新しいトレンドの解釈を世界に見せる。それが、高橋盾の底知れない才能を圧迫感を持って訴えてくる。

2019SSシーズンも同様だ。現代のメインストリームであるビッグシルエットからは距離を置いている。しかし、もう一つのメインストリーム「インスタグラムなエレガンス」を取り入れている。ダイナミックでダークなプリントは、現代の最重要プラットフォーム、インスタグラムに必要な「わかりやすく人の目を強烈に惹き寄せる」エレガンスを作り上げた。

このように自分の好きとトレンドを絶妙なバランスで配合させるのが、高橋盾だ。シーズン毎にコレクションのクオリティに波はあるが、ハマった時の強烈さは群を抜く凄みがある。

そして、このアンダーカバーのコレクションを見て、僕は気づく。ヴァージルのルイ ヴィトンには、特徴が感じられなかったことに。

ヴィージルのルイ ヴィトン2019SSは、冒頭から白一色のエレガントなルックが披露される。そのルックは、ルイ ヴィトンが持つラグジュアリーな世界とヴァージルの背景を融合したようにも見えるが、服そのものと服の組み合わせであるスタイルをよく見ていくと、特別な特徴があるようには感じられかった。このコレクションを、ルイ ヴィトンでヴァージルが行う必然性が薄かったとでも言えばいいだろうか。

アンダーカバーを見ると高橋盾という人間がどのような人間なのか、その人間性が強烈にあぶり出されているが、今回のルイ ヴィトンのコレクションからはそのようなヴァージルの人間性を強烈に感じることはなかった。少なくとも僕には、コレクションからヴァージルがどのような人間なのかが、よく見えなかったのだ。コレクションを見て、そのデザイナーの人間としての姿が見えてくる。デザイナーズブランドにはそういう魅力がある。

しかし、今回のデビューコレクションにはヴァージルがいったい何を強烈に好きなのか、何がヴァージル・アブローをヴァージル・アブローと足らしめているのか、その要素の希薄さが私に「よくわからない……」という感情をもたらしていた。

デザイナーの自己投影とも言うべき表現、それはデザイナー自身のシグネチャーブランドではないときこそ、より強く求められる要素だと僕は実感している。ブランドの世界観の維持が最優先事項なら、ディレクターという個性は置かず、デザインチームに指揮を任せればいい。しかし、現実は違う。ビジネスに新規性をもたらしながら成長させるためにも、ラグジュアリーブランドはディレクターを必要としている。ブランドの世界観を維持しながらも、そのデザイナー(ディレクター)にしか成し得ない独自性を強烈に表現することを。

ヴァージルがルイ ヴィトンで発表したコレクションで、冒頭のルックを見ていると極めてベーシックなアイテムを、今のトレンドであるビッグシルエットのニュアンスを漂わす、ほどよく量感あるシルエットで構築し、ストリートの味付けを加えながら色を白一色に絞りルイ・ヴィトンというラグジュアリーブランドからイメージされる上質さと気品さを作り上げたように思えた。

現代ファッションのトレンドを逃すことなく取り入れて表現し、ルイ ヴィトンというラグジュアリーの世界へ着地させている。各方面へのバランスが行き届いている。うまい。うまいがゆえに、よく見えてこない。様々な要素が入ってるがゆえに、いったいどれがヴァージル・アブローがヴァージル・アブローであるためのDNAなのかが。

特徴の希薄さがシグネチャーの「オフホワイト」にも感じられたから、僕は「よくわからない……」と感じた。そして、それがラフ・シモンズの発言にも通じているのではないかと推測する。

「オフホワイト」のデザイン 

ヴァージル・アブローは時代の変化に敏感だ。その変化を見逃さず表現していくことに長けている。その感覚の鋭さは秀逸だ。しかし、その傾向が強すぎる。だから、彼のシグネチャー「オフホワイト」にはラフが言うところの「オリジナリティや新しさ」が感じられないのだろう。

それは、いったいどういうことだろう。オフホワイトのアーカイブを振り返りながら説明していきたい。

ヴァージル・アブローのシグネチャー「オフホワイト」は、当初「パイレックスビジョン」というブランド名で始まった。

「パイレックスビジョンはオフホワイトの前身となるブランドで、ネルシャツやフーディ、ショーツ、マイケル・ジョーダンの『23』をベースにグラフィックデザインを施した、現在のオフホワイトよりもストリートの匂い強烈濃厚なデザインだ」AFFECTUS No.63「ヴァージル・アブローがルイ・ヴィトンへ」より

そのデビューコレクションはアンダーグラウンドな世界観が出た濃厚なストリートスタイルで、私は今でもこのデビューコレクションがヴァージルのベストコレクションだと思っている。

パイレックスビジョンは発表されると、すぐさま大きな反響を呼ぶ。しかし、ヴァージルは1シーズンで活動を止め、ブランドネームを「オフホワイト」へとリネームし、再始動する。

ヴァージルはオフホワイトでモードとストリートの融合を図る。それが、ヴァージルのデザインに洗練さを生む。しかし、それは同時にパイレックスビジョンに漂っていたアンダーグラウンドな空気を消すことにもなる。

オフホワイトのコレクションを見ていると、かなりモードのデザイントレンドに敏感であると感じる。

2015SSコレクションの制作時期は、おそらく2015年前半だと思われる。その時期に注目されていたトレンドといえばノームコアが挙げられる。2015SSのオフホワイトには、パイレックスビジョンにはなかったクリーンなムードが漂う。

このトレンドの吸収と解釈が次第に強さを増していく。

2014AWシーズンにヴェトモンが登場以降、ストリートの勢いがさらに増す。その傾向が数シーズン続き、そろそろストリートへのカウンターからエレガンスが生まれていいと思い始めたタイミングで、ヴァージルはオフホワイトのデザインを変化させる。それを僕がまず感じたのは、2017AWシーズンだった。

そこにはパイレックスビジョン時代のアンダーグラウンドな空気は完全に消え去り、ストリートスタイルのルックはありながらも、大人のためのエレガントなカジュアルウェアと呼べるデザインを披露する。

加えてこの2017AWシーズンでは男女合同でショーを開催し、ジェンダーレスのトレンドも捉えている。

そして2018SSウィメンズコレクションでは、さらにエレガンス色を強める。このエレガンス色の強まりが、ルイ ヴィトンがヴァージルを招聘するきっかけになったのではないだろうか。

2018SSのコレクションテーマは「ダイアナ元妃」。エレガンスの中のエレガンスをテーマにしている。時代のメインストリームであり、ヴァージル自身のスタイルでもあるストリートへ、自らへのカウンターを起こす行為だ。

先ほど述べた通り、ヴァージルは時代を捉えるのに敏感だ。しかし、敏感すぎるのだ。時代を捉えすぎる。だから、ヴァージルならではのデザインという、濃厚な特徴さが掴み難く、シーズン毎の変わり幅の大きさがデザイナーのアイデンティティごとドラスティックに変わってしまっているように見え、その印象がラフの言う「オリジナリティと新しさが感じられない」ではないかと思える。

デザインがシンプルだから特徴が希薄に感じられるのではなく、シーズン毎の変え幅とトレンドの取り入れ量が大きく多いことが、「よくわからない」という感情へ繋がっていると、僕には感じられてきた。

ましてや、デビューから約20年に渡り世界の最前線でオリジナリティを追求してきた「オリジナリティの鬼」であるラフから見れば、それは如実なのかもしれない。

ラフはそのオリジナリティの強烈さゆえ、世界のトップで活躍するデザイナーを次々に輩出する名門ファッションスクール、アントワープ王立芸術アカデミーのファッション学科へ入学を希望するも、当時の学長リンダ・ロッパに「入学する必要はない。今すぐブランドを始めなさい」と言われるほどだ。リンダ・ロッパのその見立ては正しいことになる。当時ファッション界でのキャリアが全くなかったラフの才能を、よくそこまで見抜いたものだと驚く。事実ラフは、シグネチャーブランドで現在の男性のスタイルの礎を築き、その後ジル・サンダー、クリスチャン・ディオール、そして現在ではカルバン・クラインという世界最高級のブランドでデザインのトップであるディクレターを務めていく。

ラフは一貫して男性の弱さを表現している。強くあることが求められる男性。しかし、男性にも弱さはある。誰にも見せたくない自分の弱さ。その弱さすらも男性の魅力なのだ。その「少年性」をロックを通して表現する。決してロックがテーマだったのではない。人間が抱える弱さをロックという音楽を媒介にして視覚化し、人々に訴えていたのだ。その服に、世界中の若者は熱狂する。「俺たちの服だ!」と。テーラードをベースにクラシックな趣を醸しながらカジュアルスタイルも作り上げていたラフのデザインは、シリアスでナイーブだ。

ラフもその時代毎にスタイルを変えている。さきごろ発表された2019SSメンズコレクションには1980年代の誇張された肩幅を、80年代を上回る力強さのパワーショルダーでテーラードコートを発表していた。そのコートは現代の最重要トレンドと言えるビッグシルエットのラフ流解釈であり、服のインナーからアウターへプリントが溢れるようなスタイリングは、インスタグラムなエレガンスへと通じる。

ラフも高橋盾同様、トレンドへ積極的に参加する。しかし、トレンドには飲み込まれず、トレンドを自分の世界へ飲み込む。

デザイナーはスタイルが変わってもいい。むしろ、時代と共に変えるべきだろう。服を着ることは、時代を着ることなのだから。しかし、「アイデンティティ=自分が自分であることの何か」は変わるべきではない。というよりも、変えることができない。アイデンティティを、時代の変化と共にその時代に合うスタイルとして表現する。自己投影的デザインが、ファッションデザイン、とりわけモードと言われるファッションデザインの特徴だと言える。人間が見えてくるから、モードは魅力なのだ。その性質上、ファッションデザイナー(特にモード)は、同じデザインでもグラフィックやプロダクト、ウェブといった他のカテゴリーのデザインよりも、作家性や文学性といったものが重要である漫画家や小説家に近いと言える。

その意味で、ヴァージル・アブローのデザインには、アイデンティティが希薄に感じられる。一時期のジョナサン・ウィリアム・アンダーソンのように。

その意味でパイレックスビジョンには濃厚さが漂っていて、それがヴァージルのアイデンティティにも感じられる魅力があった。しかし、今となっては、ヴァージルのアイデンティティはパイレックスビジョンの持っていたアンダーグラウンドな空気ではないと僕は思うようになった。

では、ヴァージルのアイデンティティとは何なのか。ヴァージルが手がけたもので、その魅力を感じるものがあった。それは服ではなかった。

社会への疑問をファッションデザインへ   

今年2018年3月にヴァージルは、村上隆主宰のKaikai Kiki Galleryで自身のアート作品を展示する個展「”PAY PER VIEW”」を開催した。

この個展の概要と、美術手帖のウェブサイトに掲載されたヴァージルのインタビューを読んでいると、ここにヴァージルのアイデンティティがあるように思えてきたのだ。

ヴァージルはイリノイ工科大学で建築学の修士号を取得している。建築を学んできた人間だ。その経験が、ヴァージルに世の中を広く見渡し、そこに社会への疑問をすくいあげる視点を育んできたのではないか。そして、その視点から語られる言葉に僕は興味を惹かれた。もっとこの種のヴァージルの言葉が聞いてみたくなった。

この社会への姿勢が、僕にはヴァージルのアイデンティティに感じられた。こういう姿勢のデザインといえば、真っ先に名前が浮かぶのはフセイン・チャラヤンである。

フセイン・チャラヤンも鋭い視点で社会を見渡し、そこから見抜いた疑問をファッションとして視覚化して僕たちの前に提示する。思索的で実験的なデザインだ。現在ではこのテイストはかなり弱まり、もっとリアルな路線となっている。

チャラヤンのデザインは面白い。しかし、見方を変えれば難解で難しくもある。以前のチャラヤンのコレクションは、ファッションとしてはリアリティに欠ける。もちろん、それもある意味で大きな魅力だったのだが。ファッションでこのような表現ができるのかという驚きという意味で。

そして、ヴァージルはチャラヤンとは異なる方法で、社会への疑問をファッションデザインに取り込める可能性がある。

ヴァージル独自の視点で「”PAY PER VIEW”」のように、社会への疑問を投げかけ、それをストリートスタイルの中に取り込みルイ ヴィトンというラグジュアリーの中でその上品さと美しさの世界で表現する。

社会への疑問、ストリート、ラグジュアリー、その三重奏を実現させたファッションデザインは、現在他の誰もが成し遂げていない。過去を振り返っても、僕の知る限りでは記憶にない。これが実現するなら、モード史に名を刻めるのではないだろうか。

何より、そのように様々なカテゴリーを横断する姿勢はヴァージルの得意で好きなことだ。

「先ほど話したように、私のDNAとして『あらゆる異なるカテゴリーをまたいでいく』ということが挙げられます。それが私の理念であり、トレードマークでもある。それはアートにおいても例外ではありません。建築的な要素もアートも、カクテルのように混ざり合っているのが、私のシグネチャーなのです」美術手帖ヴァージル・アブローが語る自身の「DNA」。世界初個展「”PAY PER VIEW”」で見せるものとは?より

ヴァージル・アブローの能力はまだまだ覚醒していない。ヴァージルは聡明だ。聡明であるがゆえに、あらゆることが見通せ、あらゆる方面のバランス調整に優れてしまい、トレンドに自身のデザインにおけるアイデンティティを代替させられている。

それが、今回のテキストを書いていて感じたことであり、僕がヴァージルのコレクションを「よくわからない……」と感じていた理由だった。

ここで述べてきたことは、僕の単なる推測であり希望も入っている。特に最後の、社会へ疑問を投げかけストリートとラグジュアリーに融合させるスタイルはそうだ。今後、どのようにヴァージルによるルイ ヴィトンのメンズコレクションが進化するのかは正確にはわからない。まったく想像もできない進化を見せることもあるだろう。ヴァージル・アブローというデザイナーが、ルイ ヴィトンという世界最高峰のラグジュアリーブランドでどのようなデザインを見せていくのか。僕は結局それが楽しみだ。

ヴァージルのデザインを見て、僕とは違う解釈の人もきっといるだろう。その解釈の違いも「ファッションを読む」体験の面白さに繋がっていく。そのためには、たとえ間違っていようとも笑われようとも、自らの考えを言葉にして伝えていく必要がある。誰かの言葉と思考は、誰かの言葉と思考を刺激していくはずだから。その刺激の連続の先に、新しい視点と創造に出会えるなら、最高の面白さだ。価値が転換する面白さ。その知的興奮をどこまでも楽しみたい。

〈了〉

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