AFFECTUS No.76
言語化によってファッションデザインの理論化を試みるのには理由がある。
「ファッションをより面白くする」
ひとえにその思いである。ファッションデザインの構造が明らかになれば、その構造を創造的論理で組み替え発展させ、天才肌の感覚派デザイナーとは異なるデザインで、ファッションをこれまでと違った境地へ到達させる新しいタイプのデザイナーが登場するかもしれない。
前回のAFFECTUS No.74では現在のファッションデザインの傾向から、そこに見え隠れする共通点を言語化して、現代ファッションデザインの理論化を試みた。今回はその理論がどう使われるのか、その具体例を示しながら解説していきたい。
対象としたのは今や世界最高峰の一人となったデザイナー、ラフ・シモンズのデザインだ。
ここでは、2タイプのデザインを例に挙げ、その構造を見ていきたい。2タイプとはカウンター型とフォロー型である。
カウンター型とは、これまで何度も述べた通り、トレンドへの反動を起こして新境地のデザインを切り拓くタイプである。このタイプは、成功へのハードルは高いが成功すれば、モード史に刻まれ、時代を変革するほどのムーブメントを起こすケースが多い。
一方、フォロー型とはトレンドをなぞりながら新しい解釈を加え、トレンドのデザインを更新するタイプである。このタイプは革新性は弱いが、時代のトレンドを的確に捉えるため、市場での人気を獲得しやすい。
ラフがデザインを行ってきたブランドは、ジル・サンダー、クリスチャン・ディオール、カルバン・クラインとあるが、今回ピックアップするのは、ラフのシグネチャーブランド「ラフ・シモンズ」である。
他のブランドではなく、「ラフ・シモンズ」を選んだのは、カウンター型とフォロー型の両面においてわかりやすい具体例があったからである。カウンター型では1990年代、フォロー型では2016AWシーズンがデザインサンプルとして好例だった。
ラフのデザインは「モードの教科書」と呼んでもいいほど参考になるケースが数多くあり、とても勉強になる。ラフのデザインアプローチはもっと研究されていい。誤解を恐れずいえば、ラフはトレンドに忠実だ。かなり敏感と言ってもいい。
まずはラフ・シモンズのオリジナルスタイルとは何か、それについて考えていきたい。その後、ラフ・シモンズのデザインがどのような構造になっているのか、それを前回述べたファッションデザインの理論を用いながら解き明かし、一緒に体験していただけたらと思う。
ラフ・シモンズのオリジナルスタイルとは?
最初にラフ・シモンズのオリジナルスタイルを把握する必要がある。
前回述べた通り、現代ファッションデザインの鍵は「ほとんどの人にダサいと思われるけど、自分だけがカッコいいと思うスタイル」を、市場で人気のトレンドに乗せて人々が魅力を感じられるようにすることである。
それではラフ・シモンズのオリジナルスタイルとは何だろう。一言で言えば「少年性」になる。それをスタイルとして表すならば、「スクール×ロック×クラシック」だと言える。具体的にそのスタイルを見ていこう。
「ラフ・シモンズ」の1stコレクションとなる1995AWに発表されたデビューシーズンから、スタイルの特徴が現れている。ラフは、カジュアルなスタイルもあるが、その根底に流れているのはテーラードジャケットを組み込んだスタイルを象徴とした、シリアス&クールなクラシックだ。厳格さが滲んでいると言ってもいい。
ただし、そこにはあるのは繊細な感受性を匂わす虚ろな空気とでも呼べばいいだろうか。その虚ろさを醸すために、厳格なクラシックスタイルを組み込んでいるようにさえ思える。当時、ラフが毎シーズン発表していた一つボタンのスリムなテーラードジャケットは、ブランドのシグネチャーアイテムと化していた。ヴェトモンのシグネチャーアイテムはフーディだが、ラフはジャケットだった。
1997SSシーズンで発表されたコレクションで見られるのは、スクールの匂いである。トラッドアイテムやそのスタイリングを通じてスクールテイストのスタイルもラフのベースとして刻まれている。クラシックを代表するジャケット&パンツのセットアップは学校の制服としてよく使われるアイテムであり、少年たちが学校に通う時期は、その感性が最も瑞々しい時期だ。その瑞々しい感性は、前述の少年性へと繋がる。
初期のラフ・シモンズの根幹を成していたのはロックだ。スマッシング・パンプキンズ、デヴィッド・ボウイ、クラフトワークといったアーティストを想起させるグラフィックやスタイルが幾度も登場する。そこに、グレーやブラックといったベーシックカラーをベースに、シャツやニット、パンツ&ジャケットといった学校の制服を思わせるシンプルかつアノニマスなスタイルで厳格さと繊細さを織り混ぜる。その服を着るモデルたちは、痩身で暗い面影も感じさせる若者たちだ。
ラフ・シモンズが初期に発表したビジュアルを見たことのある人は、初めて見た時、どう思われただろうか。ダサいと感じただろうか。カッコ悪いと感じただろうか。
もちろん人には好みがあり、その評価は分かれるだろうが、初期の「ラフ・シモンズ」を見て、ダサいと感じる方は少ないのではないかと推測する。その意味ではオリジナルスタイルの定義である「ほとんどの人にダサいと思われるけど、自分だけがカッコいいと思うスタイル」とは矛盾する。しかし、「ラフ・シモンズ」のスタイルをコンセプトレベルにまで抽象化するとこうなる。
当時メンズウェアといえば、男がより強く見える逞しさを讃える服が多かった。モデルも肩幅が広く胸板も厚い、力強さを感じさせるタイプが多い。当時のドルチェ&ガッバーナやグッチが起用したのは、まさにそんな体型のモデルたちだった。
後ほどピックアップするヘルムート・ラングと同様にミニマリズムで時代をリードしたピュアでクリーンな服が持ち味のジル・サンダーも、当時のモデルは筋肉質なタイプが多かった。
ラフが起用した、痩せて少年の面影を残すモデルと、ドルチェ&ガッバーナやグッチ、ジル・サンダーといったブランドが起用したマッチョなモデルとの違いが鮮明だ。
ラフは従来のメンズウェアとは真逆のアプローチを取った。つまりトレンドへのカウンターだ。正確に言うとトレンドというより、メンズウェアの既成概念へのカウンターという深みがあったことを指摘したい。繊細で傷つきやすく脆さや虚ろさも匂わす弱さ=少年性を、男の魅力として視覚化する。それは男を弱々しく見せ、従来の男性像を損なうマイナスイメージだ。だが、ラフはそのマイナスイメージにこそ、カッコよさを感じていた。そう捉えると、「美しいと思う人のほとんどいない、大切なスタイルとは?」という問いへの解答=オリジナルスタイル、ラフはたどり着いていたと考えられる。
1990年代後半のトレンド
そして、ラフは自身の「オリジナルスタイル」を当時のトレンドに乗せていた。ラフがデビューした1995年から1999年までの90年代後半、ファッション界のトレンドは「ミニマリズム」だった。80年代の華美で豪奢な時代へのカウンターとして、無駄をそぎ落とし、極めてシンプルな装いが時代のスタイルとしてトレンドにのし上る。そのトレンドをリードしたのは「ミニマリズムの旗手」と呼ばれたヘルムート・ラングだった。まさにラングの時代と称してもいい時代である。
ラングの服はベーシックアイテムをベースに、そこにブラック・グレー・ホワイト・ベージュといったベーシックカラーを使い、近未来感漂わす素材を用いながら、シンプルでクリーンなデザインを展開していた。また、ラングが起用する男性モデルも、同時代の他ブランドと同様に筋肉質なタイプであった。
オリジナルスタイル「少年性」× トレンド「ミニマリズム」
つまり「ラフ・シモンズ」は、ファッション界全体のトレンド「ミニマリズム」に乗りながら、メンズの既成概念「力強さを讃えるメンズウェア」へのカウンターとなる、従来の男性像のマイナスイメージ「少年性」を乗せていた。このようにして、前回述べた現代ファッションデザインの理論が、1990年代の「ラフ・シモンズ」にも潜んでいたと言える。
ストリートの猛威
次に2016AWの「ラフ・シモンズ」を参考に考えていきたい。このシーズンのコレクションは、90年代のラフのコレクションとは違い、トレンドのフォロー型と呼べるデザインになる。
1990年代後半がヘルムート・ラングなら、2016年前後の時期は「ヴェトモン」の勢いが本格化した年とも言えよう。その勢いはラングを凌ぐ。デムナ・ヴァザリアが発信するストリートスタイルが、ファッション界に旋風を巻き起こし、それが現在にも続いている。
2015AWシーズンで「ヴェトモン」に「マルジェラ×ストリート×ダサさ」が誕生する。ただし、このシーズン、「ダサさ」に関してはまだそこまで強くはなく、モードの王道に乗ったシリアスさがある。
前回述べたように、ヴェトモンのストリート化が本格化したのは2015AWシーズンからである。そして翌シーズン以降、このストリートスタイルに磨きがかかっていく。
2016SSコレクション、ショーの1stルックを務めたゴーシャ・ラブチンスキーは「DHL」のロゴをプリントした黄色いTシャツを、インナーとして着用している。まさかのDHLロゴである。
最先端ファッションを競うパリコレクションの場に、従来の価値観で言えば決してカッコイイとは言えないDHLのロゴをショーのトップに持ってきたことは、デムナの姿勢が現れている。この2016SSで「マルジェラ×ストリート×ダサさ」の「ダサさ」が強化される。
そしてこの「ダサさ」が歪さを帯びて一層強化されたのが、2016AWシーズンだった
2016AWコレクションを初めて見たとき、何の冗談かと思った。試合中のプロテクターを身につけたアメフト選手が、そのプロテクターの上からストリートウェアを着用したような、誇張するにもほどがある極限に幅広く硬質な肩幅に驚く。ここで歪さが露わになり、ダサさが新しい時代の新しいカッコよさを獲得していくシーズンの始まりだった。
「ラフ・シモンズ」2016AWコレクションが発表された2016年1月前後のトレンドは、デムナ・ヴァザリアによるストリートがファッション界を席巻していた時期だった。デムナ発のビッグシルエットを、様々なブランドが取り入れ、その急拡大と拡大範囲に正直僕は驚く。一つのブランドのスタイルが、ここまで数多くのブランドにまで浸透したケースは記憶にない。インターネット時代の影響かもしれない。エディ・スリマンのディオール・オムでさえ、ここまでの普及度はなかった。
ビッグシルエットの吸収
2015年から2016年、ファッション界で最大の勢力を誇っていたトレンドはビッグシルエットだった(今でもそうである)。ラフはこのビッグトレンドに焦点を定め、徹底的に自分の世界へ吸収していく。しかし、その世界は決してデムナのストリートを模倣したものではなく、完全にラフ自身のオリジナル世界へ昇華させていた。
このシーズン、ラフは巨大なシルエットを誇るビッグニットシリーズを発表する。それは象徴的デザインだった。時代の猛威であったストリートなビッグシルエットを自らのブランドに取り入れる。しかし、その形態はストリートウェアを代表するTシャツやフーディではなく、明るい色とエンブレムやライン使いを用いた、トラッドを濃く香らせるニットだった。ニットの下には、第一ボタンまできっちり留めたシャツがインナーとして着用されている。極めて模範的なトラッドスタイルとなっている。
これは90年代初期の「ラフ・シモンズ」が表現していたスクールスタイルの2016年バージョンと言える。モデルの男性像も初期より大人びたものになっている。例えるなら、90年代が10代の少年たちだったなら、2016年は20歳を過ぎた青年たち。
このスタイルには、ヴェトモンが見せるビッグシルエットのストリートスタイルに感じられるルーズさはない。同じビッグシルエットでもクリーンでスマートな佇まいがある。しかし、どこか憂いを帯びている。ニットのほつれや所々にある穴がボロさを演出し、繊細さを醸し出す。それは少年性の精神へと通じる。
そして、クラシックスタイルには欠かせないステンカラーコートやピーコートといったアイテムもビッグシルエット化し、自らの世界へラフは取り込んでいく。
ラフが2016AWで披露したコレクションは、トレンドを拾いながらも、そこに自身の世界へ解釈してリデザインしていくというアプローチを示すものだった。もちろん、そこにはかつての少年性がデビューから20年の時を経ても存在していた。ただし、2016AWで表現された少年性では「スクール×ロック×クラシック」のうち、ロックの成分は消失していた。それはラフのイメージする男性像が変化した証だろう。このシーズンに垣間見えた男性像は、90年代よりも大人になった表情だった。そして、これこそがオリジナルスタイルなのだと僕は思う。
時間の経過とともに変化はある。しかし、根本であるところのスタイルは変わらない。たどり着いたオリジナルスタイルは、デザイナーのDNAと言えるものだ。
オリジナルスタイル「大人びた少年性」×トレンド「ビッグシルエット」
2016AWで成立していた式は上記だと言える。このシーズンは90年代の初期とは異なりトレンドへのカウンター型ではなく、トレンドを重視し、そのトレンドをラフ流にデザインした新解釈を提示するトレンドのフォロー型デザイン。
ラフが2016AWで示したのは、デムナ・ヴァザリアのデザインを更新する姿勢だった。その手腕は見事で、僕はこのシーズンを「モードの教科書」と呼んでいる。ファッションデザインの基本が忠実に表現された、模範となるデザインだ。
言語化によって新しいデザインを生み出す
以上が、前回分析した現代ファッションデザインの理論を具体的に使用した解説例になる。
感覚に委ねるメリットもある。その一方で、デメリットも生じている。ファッションデザインは感覚的に行われがちであり、その最終ジャッジも「好きか嫌いか」「良いか悪いか」と直感的に判断される傾向が強い。冒頭に述べたように、ファッションデザインの理論を言語化し、その構造がクリアになれば新しい解釈を加え、デザインを発展させることができる。
そして、それは決して特別なことでも珍しいことでもない。他のデザインカテゴリーでは、グラフィックデザインやウェブデザインでは言語化による理論化が試みられ、デザインが発展してきた。それを「ファッションでも起こそう」というのが狙いになる。
言語化によって構造を分析することで、感覚派のデザイナーとは異なるアプローチが可能になり、感覚派デザイナーでは実現不可能なデザインを実現できる才能が現れるかもしれない。
「ファッションをより面白くする」
すべてはそのために。
ストリートへのカウンターを考える
次回は、いよいよストリートへのカウンターを考えたい。デムナ・バレンシアガのデザインに死角はあるのか。そこも含め考えていきたいと思う。そのための面白いヒントになったのが、しまむらのストリートTシャツだった。
当初はギャグのつもりで書き始めたが、書いていくうちにこれは面白いアプローチが潜んでいることに気がつく。ストリートを持ってストリートへカウンターを起こす。そのようなアプローチが、思った以上の深みが、このしまむらTシャツにはあった。
やはりファッションは新しさを追ってこそ面白い。売れるために売れている服を作るのではなく、売れるために面白い服を作る。前者の方針の行き過ぎた結果が、商品の同質化であり現在のアパレル企業の不振を招いた一因だ。OEMや商社にブランドの根幹である商品企画を頼った結果の。
そして、個性が売りのデザイナーズブランドでも商品同質化が生まれ出したという声も聞くようになった。次の新しいデザインを示し、人々の感覚を次へとリードしていく。それがファッションのあるべき姿勢だと僕は感じている。もちろん、それはとてもリスキーなことだ。だが、本当に怖いのは人々に飽きられることのはず。ファッションが魅力なものであるためも、新しさへ向けて一歩を進めよう。