ニューヨークでR13が教えてくれること

AFFECTUS No.77

ファッションは身体で着るものなのだろうか。そう問われ、疑問を抱く人もいるだろう。いったい何を言っているのだ、と。だけど、あるブランドを見ているとファッションは身体以外で着るものに思えてくる。そのブランドとは、ニューヨークの「R13(アール サーティーン)」である。ブランドのスタートは2009年と、創業からすでに10年近く経過しているが僕がその存在を知ったのは2年ほど前だった。

いつものようにコレクションシーズンになり、大量のブランドの大量なルック写真を頭を空っぽにしながら一気に流し見していたら、一瞬にして目が止まった。そのスタイルのキレにキレたヤバさにやられたのだ。

ロック、パンク、グランジ。これでもかと音楽の精神にあふれた服。全身で音楽を着ている。音を身体にまとっている。詩が身体に刻まれている。社会への反発を姿勢とし、アナーキーな精神を濃厚に匂わすそのスタイルは、強烈な圧迫感を持って僕の視覚へ訴えてきた。

クラッシュしたスキニーなデニム、裾がカットオフされたシャツとパンツ、ハードでゴツい革のライダースや穴が開き白糸がほつれぶら下がるGジャン、古着屋で探し当ててきたようなクラシックなテーラードジャケット、いったい何年着てきたのだろうと思わせる使用感たっぷりのグラフィックのプリントTシャツ。それらの服を着たモデルたちは、男性であれ女性であれ、ブランドの精神を表すように挑発的な表情を垣間見せる。

「みんな仲良く楽しく?そんな精神はクソ食らえ。闘ってこそ自分だ」

そんなフレーズが浮かぶブランドだ。

オーバーサイズもあればスレンダーなシルエットもある。服の着こなしは自由だ。男性のための服、女性のための服、そんなことはどうでもいい。手に届くところにあった服。それが自分の服。だから、身体にサイズが合っても合わなくても、そんなことは大した問題ではなくて、手を伸ばした先に自分が惹かれる服があるかどうか、それが重要であって、その服に一瞬でも惹かれたなら服を粗雑に音を立てて颯爽と身にまとい、その時着崩れた姿を鏡で見て気に入ったなら綺麗に正すことなく、そのままの状態で服を着て、部屋の外へと出ていく。

そんな無秩序かつ挑戦的スタイルがブランドのアイデンティティとなっているR13を見ていると、僕はファッションが身体の感覚とは別の感覚、精神によって服を着るものだと感じられてきた。そんな服の着方があるのだとR13は教えてくれた。

一つのことに気づく。服を綺麗に正しく着るのではなく、バランスを崩しながら無秩序に服を着ていくと、スタイルに批判性が宿る。そのファッションデザインの特性をスタイルへ昇華させたR13のコレクションは、社会の空気をも貫く。

インターネット社会における功罪の罪として、自分の「好き」をインターネット上で言いづらくなった世の中の空気がある。誰にも批判されないように、無味無臭な声にせざるをえない。そんな窮屈さを最近実感する。自分の好きではないものへ攻撃的になる人間の感覚が、以前よりも育ってしまった。それは、僕の中にも感じられる。自分の好き以外への許容度が下がってきているのだ。しかし、そのことに危機感を覚える。

今この時代に大切なのは、自分と共有できない感覚へ攻撃的になり批判することよりも、自分のビジョンを示しポジティブな姿勢を表明すること。そこに人は共感し、エネルギーが集まってくる。誰もが意思を声にして伝えられ、誰もが創造性を世界へ発表できる今こそ、自分のビジョンを示すことに集中するべきなんだ。きっとそうなんだ。

R13はブランドのビジョンをスタイルに表現して強烈に示していく。その力強さは外見のグランジテイストとは異なり、清々しい潔さをもたらしている。そして、それが僕は好きなのだ。R13のそんなスタイルが。

「これでいいのだろうか……」

自分の成すことに不安を覚えたなら、R13を見ればいい。ロックでパンクでグランジなスタイルが、精神を引っ張り上げてくれる。

成し遂げたいことの先へ。

〈了〉

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