AFFECTUS No.81
「サイケ調のロメオ・ジリだ。素晴らしい」
映画『ディオールと私』で、当時クリスチャン・ディオールのアーティスティック・ディレクターであったラフ・シモンズは、サンプルのプリント生地をトワルの上からまとって歩く女性モデルを見て、そう語る。
自身のディオールデビューコレクションとなる2012AWオートクチュールで、ラフはスターリング・ルビーのアートをプリントしたオリジナル素材を用いた。
コレクションの制作期間中、そのサンプル生地がアトリエに届く。霞がかった色調のグレーや紫、黒といったダークな色で抽象的に描かれたスターリング・ルビーのアートをプリントした生地は、ディオールの伝統的で甘く華やかなエレガンスとは正反対の異質さを表してる。数メートルほどの長方形にカットされていたサンプル生地を、ラフは自ら女性モデルが着ているコートのトワルの上からピンで留める。ディオールのエレガンスをアップデートさせるアートをまとったモデルは、コートのポケットに手を入れアトリエを歩く。その姿を見たラフが思わず漏らした言葉が、冒頭の言葉だった。
このドキュメンタリー映画で、僕が最も高揚したシーンだ。新しいファッションが生まれる。まさにその現場を映し出した瞬間に心が高鳴った。
同時に僕は驚く。今では話題になることはまったくと言っていいほどないデザイナーの名前を、ラフが自然に当然のごとく口にしたからだ。
ロメオ・ジリ。
今、この名前を聞いて、彼のデザインがすぐに思い浮かぶ人がどれだけいるだろうか。仮に浮かんだとしても、そのデザインがロメオ・ジリの正しい価値を表しているとは言えない。かつて僕が勘違いしていたように。
僕はリアルタイムで、ロメオ・ジリを見ていたわけではない。僕が抱いていたロメオ・ジリというデザイナーのイメージは、サイケデリックな色使いが印象的な時代から取り残されたような古びた感覚であり、ファッション的に言うなら「モダン」を感じなかったことになる。
しかし、僕が抱いていたロメオ・ジリのイメージは間違っていることに気づく。ジリの本当の美しさを、僕はそのとき、まだ知らなかったのだ。僕が古びた印象を抱いたデザインの多くは、ロメオ・ジリが作風を変化させた後のものであって、彼の本当の美しさはその変化する前にあった。
ロメオ・ジリが自身の名を冠したブランドをスタートさせたのは、1983年。発表の場はミラノコレクション。そこにロメオ・ジリの真の美しさがあった。ミラノで発表されていたコレクションを初めて見たとき、僕の抱いていたロメオ・ジリのイメージが覆される。完璧にまったくもって、美しい方向へ。それは、当時の時代の先の感覚を捉えたモダンでもあった。
ベージュやライトグレー、ブラウンといったベーシックな色が用いられ、その色調は薄く淡く穏やかで、どこまでもナチュラル。生地のほとんどが無地で、洗い晒しのようなさっぱりとした清潔感と粗野な空気も滲む。そのイメージそのままに、生地は立体へと起こされている。
ボリュームとドレープを駆使しながら、生地を人体へまとわせていく。まとわせる。その表現が最もふさわしい造形である。しかし、その服が抽象的な服なのかといったら、それは違う。
浮遊感のある造形は、シャツやジャケットといった現代生活に必須とされるベーシックアイテムに落とし込まれ、それらはパンツとスカートにスタイリングされることで、聡明で知的な美しさを備えた都会スタイルを作り上げている。アジアやアフリカのようでありながら、ヨーロッパやアメリカのようでもある。ロメオ・ジリが発表した色使いと造形、そしてスタイルは、まるで遊牧民の伝統的な着こなしを都会の中で生かそうとするようかのようだった。
ショーの発表方法も服のイメージそのままの、とてもナチュラルなものだった。フロアに椅子を並べ、その間をモデルたちがBGMを背景に歩いていく。ただそれだけだった。特別な演出や豪華さは微塵もない。簡素で簡潔、極めて自然な空気の穏やかなショー。
しかし、1980年代という時代背景を考えると、当時のロメオ・ジリのデザインがいかに「モード」だったかということがわかる。
1980年代といえば、ヒッピーやフォークロアといった自然回帰がトレンドであった1970年代の反動から、豪華で豪奢、華美で贅沢なスタイルがトレンドを占め、ファッション史において最も煌びやかな時代だった。80年代を代表とするデザイナーといえば、ジョルジオ・アルマーニ、ジャンニ・ヴェルサーチ、ジャンフランコ・フェレの「ミラノの3G」、パリではジャンポール・ゴルチエの名前があげられる。
まさに80年代を代表する贅沢で豪華、強烈で鮮烈なインパクトのデザインを発表してきたデザイナーたちだ。同時にそれは時代の象徴でもあった。そんな時代のど真ん中で、ロメオ・ジリは真逆の感覚をいくナチュラルでシンプルなデザインを発表していた。そして、それが人気となっていたのだ。
シャビールックと表された貧困者風スタイルを発表するマルタン・マルジェラがデビューしたのは1989SSであり、1970年代からデザイン活動をスタートさせていたヘルムート・ラングとジル・サンダーが、ミニマリズムでファッション界のトレンドを一気に更新するのは1990年代だった。
ロメオ・ジリは、マルタン・マルジェラやヘルムート・ラングたちの先をいく感覚を1980年代に披露していたことになる。
今、時代は未来を見据えて急ぐように、前へ前と進んでいく。その中で忘れられていくものがある。たとえデータに残っていても、人々が思い出すことがなければ、それは存在が失われたことになる。
誰かが語っていく必要がある。そのデザインに価値があったと。たとえ、それがリアルタイムで経験した人間でなくても、後年そのデザインの価値に気づいた人間であっても。
ファッションはトレンドが次から次へと変わり、新しさを追い求めることが最大の魅力。過去のデザイナーたちのデザインは、忘れられがちだ。先へ先へと急ぐ現代だからこそ、語りたくなる。かつての素晴らしいデザインについて。
それが今、僕にとってのロメオ・ジリだった。彼はマルタン・マルジェラやヘルムート・ラングよりもずっと先に、新時代の新感覚を捉えたデザイナーだった。そのことが、誰かの記憶にとどまることを願う。
〈了〉