ナマチェコは次世代のスターとなるか

AFFECTUS No.87

ネクスト・ヴェトモンと称され、次世代のニュースターとして業界内から期待が高まっているナマチェコは、イラクのクルド地方で生まれたクルド人兄妹がスタートさせたブランドである。兄のディアン・ルーはデザイナーであり、妹のレーザン・ルーはブランドのCEOを務めている。兄妹は小さいころにスウェーデンへ移住している。

日本で初めて展開されるようになったのは、2018SSシーズンから。 ナマチェコがネクスト・ヴェトモンと言われるのは、そのスタイルがストリートだからではなく、ヴェトモン以降のスターとしての期待から。むしろ、その服を実際に初めて見た僕の印象は「ラフ・シモンズのカルバン・クライン」だった。

綺麗かつ聡明な匂いを感じさせるシルエット。シルエットに乗せられたブルーやグリーン、イエローといったカラーパレットに、挟み込まれるデコラティブなディテール。そのどれもが、カルバン・クラインで新境地を開拓するラフ・シモンズのデザインを僕に想像させた。

僕がナマチェコの服を実際に見たのは最近で、2018AWシーズンになる。ストリートが席巻するファッション界において、ナマチェコが備えるモダニティとシティな空気は希少種と言えるものだった。

そのデザインにカルバン・クラインと似た空気を感じたのは確かだが、その後ナマチェコの制作した映像を観ると、ラフとの違いを僕は感じる。映像には実際の服やショーよりも、ブランドのイメージが如実に表現されていたのだ。

ラフの男性像には、時期によってその強弱はあれど、デビュー当時に少年性と呼ばれたピュアなムードが一貫して流れている。もちろん、成熟したラフのデザインに昔ほどの強いピュアなムードは感じられない。しかし、それでも繊細で傷つきやすい感性が、奥底に這うように漂う男性像がコレクションに度々登場する。

ナマチェコは違う。若さは感じる。しかし、そこに渋みがある。若さと渋みの同居だ。そして、最もラフと異なるのは痛みの種類だ。ナマチェコの2018SSコレクションで発表された白いコートの背中は、斜めに大きく生地が引き裂かれ穴が空いている。しかもその穴は3つあり、それはまるで背中に痛々しい切り傷が3本あるようだった。

ラフの男性像から抱く痛みは、繊細な感受性から傷ついてしまった痛みだが、ナマチェコの痛みは自らを傷つけ、しかもその痛みを喜びの対象としているかのようなクレイジーさが、一見わからない形でじっくりと滲み出してくる。

クリーンでシンプルな服の奥底に流れる一種の狂気。それが僕の捉えたナマチェコだった。

現在、ファッション界におけるナマチェコへの期待は大きい。ナマチェコはヴェトモンのようなスターになれるだろうか。その答えは、神のみぞ知る。そもそも僕は、デビュー当時のヴェトモンを見て、マルジェラのモダナイズとしか思えず、ここまでのビッグブームを起こすブランドになるとは予想できなかった。

新しい才能の未来を当てることは難しい。しかし、新しい才能を見ようとしなければ、ファッションを変革するほどの未来は見えてこない。想像外の才能が、いつだって時代を変えていく。そのためには、実績や経歴で判断していては、新しい才能を見えてこない。なぜなら、新しい才能はその時点で実績などない。特に、時代を変革するほどの才能は、それまでの常識を破る新しい道から突如として現れ、業界の人間から見れば異端児として捉えられ、評価の対象外になることも珍しくない。僕は新しい才能に惹かれる。そして、その登場がファッション界の常識を超えた場所からなら、なおいっそう惹かれる。

クルド人でスウェーデンから生まれたナマチェコは、ファッション界の王道とは違う道から現れた。現時点で、僕自身はナマチェコのコレクションを見てテンションが上がる経験がまだ得られていない。この感覚はキコ・コスタディノフを見る時とも似ている(キコはセント・マーティンズという王道からの登場だが)。何かが気になってはいる。だけど、その何かがまだ判然としない。この曖昧模糊な気持ちを引き連れて、ナマチェコの未来を僕は見ていきたい。

〈了〉

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