AFFECTUS No.89
16年間務めてきたルイ・ヴィトンのアーティスティック・ディレクターを2014SSシーズンで退任後、マーク・ジェイコブスは新たに他のブランドのディレクターに就くことなく、自らのシグネチャーブランドに専念してきた。
それから、しばらくしてからだった。僕がマークのコレクションに異変を感じたのは。
「これがマーク・ジェイコブスなのか……?」
そんな疑問を抱くほどのコレクションを、マークは積極的に発表するようになる。
色と柄が重層的に積み重なったファブリック、女性の身体を美しく見せようとするよりも、新しい身体を作ろうとするかのごとく不可思議で誇張的なフォルム。それらのデザインを総称して言うなら「アヴァンギャルド」ということになるのだろう。マークはアヴァンギャルドへ踏み込み始めた。
今改めて、マークがルイ・ヴィトンを去った2014SS以降のシグネチャーのコレクションを見てみると、同時期の2014SSにはすでに現在のスタイルに繋がる兆候が確認できる。だが、翌シーズンの2014AWになると従来のマークスタイルと言える、気品ある女性のためのエレガントでありながらカジュアルというリアルベースのコレクションへ転換した。2015SSもミリタリーをモチーフにしてドレス化を図る、今見ると面白いリアルベースコレクションを展開している。
だが、従来のマークスタイルに見えても、そこにはそれまでにない「歪さ」が徐々に現れ始めていた。2016SSではアメリカントラッドのアヴァンギャルド化とも呼べるコレクションを披露し、リアルベースで歪さを出すピークに達する。そして、2016AWになると造形はギリギリにリアルを維持しながらも、ダークなムードが俄然と強くなり、完全なアヴァンギャルド化への一歩を踏み出す。
その本格的なスタートは、2017SSだ。ショーアップされたステージで踊り観客を魅了する女性ダンサーの魅力を、エクストリームに表現したコレクション。そんなイメージを抱かせたコレクションを見て、僕は戸惑う。これまで作り上げてきた、マーク自身のスタイルを捨て去るようなモデルチェンジに。
しかし、そう思うとマークは2017AWで再び自身のルーツに戻るかのように、リアルに軸足を置いたラグジュアリーかつカジュアルな、これぞマーク・ジェイコブスというコレクションを披露した。その時、僕はまるで自分のように安堵したことを覚えている。だが、その安心は束の間だった。2018SSでマークは、アヴァンギャルド化へ完璧にシフトする。造形が誇張されるようになり、それは造形だけにとどまらず、色や柄、ディテール、スタイル、ありとあらゆる要素で「インパクト」を生み出した。
それは翌シーズンの2018AWでも同様だった。
一見すると、ベーシックなテーラードカラーのコート。しかし、その造形が迫力のオーバーサイズに作り変えられ、肩先にも独特の丸みを作り、その姿はアメリカンフットボールのプレーヤーを思わせた。
「いったい、この服を誰がどこで着るのだろうか」
そのような疑問を抱かせるのは、まさしくアヴァンギャルド化を果たした証拠だった。
僕はマークがアヴァンギャルドに転換したコレクションを見ていると、あるブランドのイメージがオーバーラップしてきた。
コム デ ギャルソンである。
マークのニュースタイルは「コム デ ギャルソンに憧れるアメリカ人デザイナーの作るコレクション」という印象を僕に抱かせ、正直彼のデザインDNAとはミスマッチを起こしていると感じ、このままこのスタイルを継続して本当に大丈夫なのか、と余計なお世話とも言える心配をした。
シグネチャーブランドの売上が苦戦しているというニュースをメディアでも目にし、それはそうなるだろうという気持ちになった。ここまでスタイルを変換したら、従来の顧客は戸惑うし、離れていく。だけど、マークはビジネスが苦戦しても自らの新しいスタイルを捨てない。いったい何が、彼をこのスタイルに執着させるのか、それはマークにインタビューでもしない限りわからない。
話が前後するが、ここで述べるアヴァンギャルドとは、抽象的な造形で、着るシーンの想像を困難にするデザインのことを言う。アヴァンギャルドは単に奇抜で派手なデザインのことを言うのではない。時代背景=トレンドによっては、Tシャツとジーンズがアヴァンギャルドにもなり得る。
話を戻したい。
マークはこのまま自分に合わないアヴァンギャルドを続けるのか。しかし、とうとう彼は乗り越えた。長い時間をかけて、ようやく自身のオリジナル・アヴァンギャルドスタイルにたどり着く。
それが先ごろ発表された2019SSだ。僕はこのコレクションで、モデルの顔をブルーやブラックの薄い布でラッピングした姿、花を連想させるモチーフを連続して用いたり巨大化を図り、服に仕立てる手法を見た瞬間、あるブランドのあるコレクションをすぐに思い出した。
ヴィクター&ロルフの2005SS「Flowerbomb」だ。
このコレクション、前半はブラック一色のルックだけが登場する。正直地味なコレクションに思える。しかし、ショーの中盤、カウントダウンと共に火花を散らし爆音が鳴り響き、黒い服をまとったモデルたちが並ぶステージが突如回転し、その背後からピンク一色の服を身にまとったモデルたちが、アーヴィング・ペンが写した写真のように騒然と並び現れる。そのスペクタクルな演出は強烈なインパクトをもたらす。
新たに登場したルックは、甘いピンクでモデルの身体を覆う。リボンをモチーフにした連続使用、巨大なリボンを作りドレス化したルック、顔を薄いピンクの布でラッピングした姿。そのどれもが、今回のマークのコレクションに通じるデザイン要素を連想させた。
しかし、マークとヴィクター&ロルフのコレクションには明確な違いある。ヴィクター&ロルフのコレクションは、その造形が伝統の王道エレガンスになぞるような、クリスチャン・ディオール的でありクリストバル・バレンシアガ的である、女性の身体を美しく見せるエレガンスだった。マークは違う。歪さが入り込んでいる。伝統の王道エレガンスとは異なる場所で生まれたエレガンス。そう、コム デ ギャルソン的要素が入り込んでいるのだ。
これは、モード史における新しさを僕は感じた。新しさ、つまりそれはマークが自身の文学性を引きずり出して獲得したオリジナリティが生み出したものだ。
この価値観が、僕にマークの2019SSを魅了させた理由だった。マークは、自分を乗り越えて、新しいスタイル「アメリカナイズしたアヴァンギャルド」を獲得した。それはコム デ ギャルソンとは全く異なるアヴァンギャルドスタイルだった。
正直、このスタイルが売れるかといったら、間違いなく厳しいだろう。しかし、Instagramから生まれた、一見して目を惹く大胆なデザイン「Instagram Elegance」が時代を席巻する今、そのトレンドはロゴやプリントといった平面からフォルムの大胆さという立体へシフトする可能性がある。そのトレンドに乗る、いや作り出すためにマークのニュースタイルをマーケティングしていけば、ビジネスでも結果を出すチャンスはある。
果敢な挑戦をし、新しい自分のスタイルを獲得する。デザイナーにとって最も重要な資質だ。それが成功するか否かにかかわらず、自らをアップデートさせなくては変化の大波が次々と襲ってくるファッション界で、デザイナーは生きていけない。
マーク・ジェイコブスは乗り越えて、たどり着いた。自身の新しい答えに。僕はその挑戦に拍手を送りたい。
〈了〉