売れるために、売れている服を作らない -フィービー・ファイロについての考察-

AFFECTUS No.92

売れるために、売れている服を作る。今市場で人気の売れ筋デザインをリサーチし、商品化する。または、自社の売上データから人気商品をピックアップし、その商品にアレンジを加え新商品として販売する。一見、合理的に見えて売上も出しやすい方法に思える。

しかし、新しさが魅力のファッションにとって、それは長期的に見れば悪手になる。

昨日、読んでいて興味を惹かれる記事があった。松本清張賞と小学館文庫小説賞をダブル受賞してデビューした若手作家の額賀澪氏と編集ワタナベ氏が、本が売れない時代の新たな出版の形について、cakesやnoteを運営する株式会社ピースオブケイクの代表取締役CEOの加藤貞顕氏へインタビューする記事だった。

「日本で雑誌というメディアが誕生したとき、多くの作家が『ここに掲載すれば読んでもらえる』『お金になる』と思って作品をガンガン書いて載せました。だから雑誌にも本にも、そこに載っている作品にも、多様性があったんです。でも今は余裕がなくなって、『売れるものしか出版できない』という考えになってきました。けれどそれでは多様性がなくなってしまう。読者が飽きて、本というメディアから離れていく原因になります」『平成生まれのゆとり作家が夏目漱石に勝つ方法』より

これはファッション界のことだろうか?

そう思うほどに、ファッション界で起きている現象に似ている。

この悪魔のループが「ブランドネームを取ってしまえば、どこの商品かわからない」と揶揄される商品同質化現象を引き起こした。

売れるために売れている商品を企画して販売すると、売上が次第に減少していく。先述の記事を読む限り、それはファッション界に限った現象ではない。ならば、必要なのは逆の発想である。

「売れるために、売れている服を作らない」

それを実践しているデザイナーがモード界にいる。

フィービー・ファイロその人だ。

セリーヌのクリエイティブ・ディレクターを退任することになり、フィービーが本格的に手がけるラストコレクションとなったセリーヌが、今驚異的な大人気となっている。

フィービー・ファイロには世界中にファンがいる。だが、そのデザインはトレンド追従型のタイプではない。その逆だ。僕が一番驚いたのは、彼女がクロエからセリーヌに移り、セリーヌでのデビューを飾る2010AWコレクションを発表した時だ。

クロエ時代のフェミニンでガーリー、どこかノスタルジックでもあったデザインから、セリーヌでは一変してシャープ&クールでシンプルなデザインに「変貌」し、僕はその変化の振り幅に驚く。セリーヌの世界観を重視したデザインの変化であったかというと、そういうわけでもない。

フィービーの前任であったイヴァナ・オマジックのデザインはクラシックな趣が強い。言ってしまうと、ミセスブランドのような印象だ。

だが、セリーヌのアーカイブを見てみると、そもそもシグネチャースタイルと言えるデザインがない。1998AWコレクションにセリーヌのデザイナーに就任したマイケル・コースによって、キャリア女性のための服というコンセプトを確立された印象を受けるが、現在のセリーヌほどの切れ味の鋭さは感じない。

そういった背景もあり、セリーヌのデザインを変えやすい一面はあったかもしれないが、それでもフィービーがクロエ時代に人気を博した「大人のガーリースタイル」と僕が感じたデザインから、大胆なデザインチェンジをセリーヌで図ったことは驚き以外の何者でもなかった。

「本当に同じデザイナーがデザインしているのか?」

そう思えるほどの変貌ぶりだった。

もっと驚いたのは、その大胆なデザインの変化にもかかわらず、フィービーのファンが離れることなく、むしろ逆にさらなる人気を獲得したことだった。その後、フィービーはセリーヌで何度かデザインチェンジを図る。それまでの人気スタイルを捨て去るように。しかもそのデザインは、トレンドのフォロー型ではなくカウンター型と言える超アグレッシブなものだった。その度にファンは離れるどころか、ますますフィービーに熱狂していく。結果セリーヌの売上はフィービー就任後、急成長していく。

「2004年にマイケル・コースが去って以来、なかなかデザイナーが定着せず、やや低迷気味。そこにフィービーが現れると売り上げは2億ユーロ(約268億円)から7億ユーロ(約940億円)にまで引き上げられたと言われている」Harper’s BAZAAR「セリーヌのフィービー・ファイロが私たちに与えた影響」より

いったいなぜ、フィービーはデザインを大胆に変化させてもファンが離れなかったのか。しかも、彼女のデザインはトレンドをど真ん中に捉えたものではない。むしろ、消費者の感覚を新しい感覚へ誘(いざな)うものだった。フィービーの後任となる、どのブランドでも自分のスタイルを変えないエディ・スリマンとは真逆のアプローチだ。

 なぜ、フィービーは売れている服を作っていないにも関わらず、売れていったのか。

そのことについて、フィービー現象から考察していきたい。まずフィービーのデザイン変遷を追っていこうと思う。最初に見てもらいたいのは、クロエ時代のフィービーでとりわけ僕が好きだった2006SSコレクションだ。

フィービーがクロエのディレクターに就任してから退任するまでの期間は、2001年から2006年になる。2006SSコレクションはクロエ時代の終盤になるデザインだ。

僕はこのコレクションが好きだった。大人のガーリースタイルと表現できる女性のかわいらしさを想像させる装飾性とシルエット、そこから女性が成長した気品ある姿がミックスされたスタイルには、リアリティあるデザインながらファンタジーを感じさせ、それが秀逸のコレクションで、当時私は何度もルック写真を眺めてはその最高さに浸っていた。クロエ時代のフィービーの最終到達点と私が思うコレクションだ。結果的には、この2006SSコレクションがフィービーがクロエで手がけたラストコレクションになる。

そして、クロエ退任後2年が経過した2008年、突然セリーヌへのクリエイティブ・ディレクター就任が発表される。ファンは熱狂する。私もその復帰を喜んだ。フィービーによる新生セリーヌのランウェイデビューは2010SSコレクションから。このコレクションを見て、当時の僕はデザインの変貌ぶりに驚いた。

まずファーストルックに驚く。足元を除けば、全身黒でボディラインをなぞるタイトなシルエット。クロエのラストシーズンで魅力だった装飾性とフェミニンなシルエットは一切削ぎ落とされ、ガーリーさやノスタルジックな空気は皆無。実にソリッドでスマート。

その後に続くルックにも僕は驚かされる。

シャープなカットで、素材にも硬質感あるシャツにワイドパンツを合わせ、そのスタイルはメンズライク。色使いも茶系を中心にベーシックだ。サンローランのサファリルックを思わすミリタリーな要素も入り込んだミニドレスは、ますますメンズライクな匂いは濃くなる。だが、ミニドレスゆえに軽快さと色気はにじむ。

デザインの変貌を表す象徴的なルックが一つある。パンツスタイルをベースに、バスト下で大胆にカットされたショートレングスの黒いトップス。装飾性やかわいらしさよりも、直線的かつ大胆なカットと黒・白・茶をベースにオーソドックスな色を多用し、簡素簡潔で力強く鋭く。それがフィービーのセリーヌデビューだった。

同シーズン、他のブランドはどのようなデザインだったのか。

クロエ時代にフィービーと一緒に働いていたステラ・マッカートニーは、シンプルなスタイルを提案している。その意味ではフィービーの新生セリーヌと共通点があった。しかし、フィービーよりもフェミニンで装飾性もあり、またカジュアルでもある。

フィービーのようにシャープでクールなスタイルで見ると、当時のニコラ・ジェスキエールによるバレンシアガと、リカルド・ティッシによるジバンシイがピックアップできる。

だが、フィービーのセリーヌに比べると、色や柄使い、ディテールに装飾性が強い。フィービーのような簡素簡潔なデザインではない。

フィービーのセリーヌデビューは、当時のトレンドを捉えながらも、装飾性やフェミニンな要素は排除し、他とは一線を画したデザインになっている。簡素簡潔な要素をデザインに取り入れたコレクションは、今見るとモードなノームコアスタイルと呼びたくなり、次に訪れる時代の新感覚をいち早く捉えていた。

特にクロエ時代の実績あった大人のガーリースタイルから脱却したことは、売れるために売れている服を作らない姿勢そのものと言えよう(フィービーはそう考えていないかもしれないが)。

フィービーは翌シーズン以降も、自身のニュースタイルを研ぎ澄ましていく。しかし、唐突にまた変貌が訪れる。2012SSコレクションにシルエットのビッグ化が始まる。

このシーズンからスリムなシルエットと共に、大胆なシルエットが混じり始める。シルエットの違いは、前シーズンの2011AWコレクションと比較するとよくわかる。袖幅を見ると、その違いが一目瞭然だ。あまりに大胆に太いのだ。

フィービーは突然変貌する。そして、それが2013Pre-Fallコレクションになると、また一段特徴的になる。女性のボディラインの美しさをたたえるエレガントな要素は、どこかへ消し飛ぶ。80年代のシルエットをセリーヌスタイルへ落とし込んだそれは、まるで女性を形容する「かわいい」「きれい」という従来の価値観から解放するかのようだった。

加えて言うなら、ビッグシルエットがトレンドのメインストリームになるのは、ヴェトモンが登場した2014年以降で、厳密に言えばヴェトモンが「ストリート×マルジェラ×ダサさ」を確立した2015AWコレクション以降だ。2013年シーズン時点では、ビッグシルエットはまだ強烈なトレンドにはなっていない。

2014SSコレクションにはまたまた驚きの展開を見せる。2014年と言えば、ノームコアが一気に時代のトレンドに躍り出ていた年だ。その年のスタイルとしてフィービーが発表したコレクションには、強烈にデコラティブだった。

筆でなぐり描きしたような筆致で描かれる、大胆で太い黒い曲線が無数にプリントされているルックが、冒頭から次々に登場する。中盤では、赤や黄色、緑といった色が抽象絵画のように服の上で縦横無尽にプリントされたシャツやスカート、コートが披露される。実にデコラティブでダイナミック。

もう一度言いたい。これはノームコアがトレンドになっていた時期のコレクションだ。しかし、時代がフィービーに追いついてくるように、今やインスタグラムの影響により服に装飾性が求められ消費者の人気となっていく。

フィービーは次の新しさへ進んでいく。

時代の新しさを求めるフィービーの姿勢は止まらない。実はその新しさは、先述の2014SSコレクションよりも1シーズン前に発表された、2013AWコレクションに訪れていた。それは造形の複雑さと大胆さである。

袖をベルトに見立てフロントで巻いたような大胆さ溢れる造形に、僕は虚を突かれた。

「え、今これ?」

2013年はノームコアの本格的な訪れを前にした年だ。いうなれば、消費者の心理は服のシンプル化へ向かっていた。そんなタイミングに、訪れる時代感の先の先へ一気に進むような造形の複雑さと大胆さを表現したルックを披露している。2013AWコレクションでは、そのルック数はまだまだ少なかったが、フィービーによるセリーヌをネクストステージへ持っていく作業が始まった。

2018SSコレクションは一つの個性を示している。ベーシックアイテムの造形を複雑化・大胆化することで、次の時代に向けた新しい提案を行う。

トレンチコートをレイヤーしたようなアウターの登場により、服の複雑化と大胆化はベーシックアイテムへ落とし込まれていた。

造形を大胆もしくは複雑に見せることは、これからのファッションデザインにおいて鍵になるだろう。今、インスタグラムによる影響が想像以上の大きさでファッションデザインにもたらされている。

現在、消費者はファッションに一目で違いのわかる面白さを求めるようになった。それが柄やロゴといった装飾性高い服の登場につながっている。その装飾性はロゴや柄が中心となっており、言い方を変えれば平面的と言える。

だが、消費者の欲求はより難度の高いものへシフトしていくのが自然。言葉から画像、画像から動画へシフトしているインターネットのように。ファッションでも消費者はより難度の高いものへ、その要求をシフトさせる可能性が高い。平面から立体へ。柄やロゴから、造形の複雑化と大胆化へ。そういう時代が訪れること、それは極めて自然に思える。フィービーはそんな未来を見通すかのように、服の造形を変貌させた。

なぜ、フィービーの早すぎるデザインが売れてきたのだろう。

フィービーのデザイン変遷を追うと、その感覚があまりに早いことがわかる。ちょっと先をいく。そんな表現は似つかわしくない。3年先を言っている。そう言いたくなるほどの早さだ。ここで、最初の問いに戻りたい。

 なぜ、フィービーは売れている服を作っていないにも関わらず、売れていったのか。

それは彼女が、ファッションの本質的魅力である「新しさ」をフィービーのファン=ブランドのターゲットのライフスタイルに最も適したデザインで、提案し続けてきたからだと私は考える。

1.新しさの提案

ファッションに限らず、人気商品を追っていくと似た商品ばかりが市場で目につくようになり、それは消費者は飽きさせる。消費者が本質的に望む商品は、今すでに欲しいと思っている商品ではなく、見た瞬間「え!?こんなのあったの!?これ欲しい!!」と想像外にあった自分の欲しいものに気づかせてくれるとびっきりの新しさだ。

冒頭に紹介した記事でもこう述べている。

何かが当たって、それに追随したり真似したもので世の中があふれ返っていくことに、絶対に飽きてますよ」『平成生まれのゆとり作家が夏目漱石に勝つ方法』より

フィービーは新しさを求める姿勢が、ファッションデザイナーの中でもかなり強い。しかし、その姿勢はコム デ ギャルソンやジョン・ガリアーノのようにアヴァンギャルドやファンタジーに溢れたスタイルではなくて、あくまでリアリティがベースになっている。それはフィービーの生きた方がそうさせているのだろう。

彼女はクロエのディレクターを辞任する際、その理由を家族のためと答えていた。誰もが羨むような仕事についていても、家族のためにあっさりと辞める。そういう彼女の生き方が、デザインにリアリティを生んでいるのだろう。

2.ターゲットのライフスタイルにマッチするデザインで

新しければいいわけでない。大切なのは誰のための新しさか。その人間像にマッチする形で視覚化して提案するスキルが必要になる。

フィービーのファン=セリーヌのターゲットは、ギャルソンやガリアーノ、近年のマーク・ジェイコブスのような抽象的で幻想的な服を望んでいるわけではない。欲しいのは自らの生活を彩るワードローブ。リアルでありながら、けれどただのリアルでは終わらない、ワクワクとドキドキを感じさせる服に熱狂する。だからこその、リアル&シンプルがデザインの土台になっている。

つまりはそこの土台を抑えた上で、トレンドに対する超アグレッシブなカウンターをデザインする。フィービーは闇雲にトレンドに逆行するデザインを提案していたわけではない。

人間の根源的欲求=新しさを求める姿勢を捉えながら、そこからブランドのターゲットであると同時にフィービーのファンである顧客たちのライフスタイルに合うデザイン=シンプル&リアルなワードローブという土台の上に、時代の先の先を行く「とびっきりの新しさ」を乗せていた。そのスキルがフィービーの強みであり(それが計算なのか偶然なのかはわからないが)、その強みがトレンドを追従したわけではないのに売れていった、売れるために売れている服を作らない源泉になったと私は考えている。

ただ、一つ疑問にも思う。よくこんなにもデザインを次から次へと変えることができたと。本当に同じ人間がデザインしているのか。その疑問に戻る。

あえて、フィービーの才能に疑問を持つとしたら、アイデンティティの希薄さである。僕の言い方になると「文学性が薄い」ということになる。そのデザインを見たとき、デザイナーの強烈な個性が感じられる具体的な何か。自分が、好きで好きで好きでしょうがないものである「自分の強烈な好き」。

それがアイデンティティであり文学性であり、それが僕がファッションデザイナーに近い職種として他のカテゴリーのデザイナーではなく、漫画家と小説家をあげる理由になる。自分という人間を表明していく行為。言ってしまえばファッションデザインはそう言える。

例えば、ヴェトモンのデムナ・ヴァザリアのデザインを見ていると、フィービーとの違いがよくわかる。デムナの文学性は、ロシアのストリートであり、マルタン・マルジェラであり、彼が若い時に流れ込んで経験してきた西側のカルチャーだ。加えて、ヴェトモンの2019Sコレクションでも露わになった内戦から故郷を離れたデムナ特有の人生も、彼のデザインに影響を与えている。

「正気じゃなかった。目の前で人が射殺されるのを何度も見た。戦争だったから毎晩、爆撃が始まると地下室に避難しなきゃいけなかったんだ」デムナ・ヴァザリア ロングインタビュー i-Dより

しかし、フィービーのデザインを見ていると、そういう文学性を感じることがない。次々にデザインを大胆に変化させていくアプローチが、彼女の文学性を捉えづらくしている。いったい、どれが本当のフィービー・ファイロなのか。彼女にとっての「強烈な好き」はなんなのだろうか。

ただ逆に言えば、その文学性の希薄さがデザインを次々に変えることを容易にしたのではないだろうか。強烈な何かを頼りにするのではないから、変わることにためらいも迷いもない。大胆に変えていける。時代という大きなダイナミズムにも飲み込まれることがない。むしろ、時代の変化は彼女のデザインが大きく飛躍するチャンスになる。

「なぜ、フィービーは先の先をデザインできるのか」

となると、この疑問が生まれるのは確かである。なぜ、彼女は未来を見通せたかのような、時代の先の先をデザインできたのか。

はっきり言ってそれは、フィービーにインタビューでもしない限りわからない。仮に、フィービーにインタビューしても過去の彼女のインタビューを読み返すと「ただ、自分の好きなものを作っているだけ」と返答されるように思える。事実、セリーヌのコレクションを見ていると、そう思えてくる。計算でやっているのではなく、ただフィービーがそのとき興味あることを形にしているだけ。だから、大胆にデザインを変えられるのではないだろうか。だったらこう考えよう。

先の先をデザインしているように見えればいい。 

冷静に考えれば、未来を見通せたかのように先の先をデザインするのは不可能だ。そもそもファッションはサイクルする。一つのスタイルが流行りは廃れて、流行る。ならば、その構造を使う。今はトレンドではないデザインでもいつかは必ずトレンドになる。ただし、それがいつかはわからない。

だから、現在のトレンドとは真逆のデザインをあえて意図的に投入する。ただし、その数は少数にとどめる。もちろん、ただ真逆のデザインを投入するだけではないけない。濃厚にデザイナーの解釈を反映させた真逆のデザイン=カウンターである必要がある。

フィービーのコレクションを見ても、全てが完璧にトレンドへのカウンターで埋め尽くされているわけではない。基本は、そのときのトレンドを踏まえたデザインになっている。ただし、その中にそのときのフィービーの興味を反映させたようなカウンターがいくつか入っている。それを一回で終わらせるのではなく、その後のコレクションでも継続し発展させながらカウンターを投入している。

そして、トレンドの潮目が変わり始めたタイミングで、そのカウンターのデザイン量を増加させている。そのとき、それまでのカウンターはトレンドへ移行する。そうなったら、今度は新しいトレンドへのカウンターを再び少数投入する。たとえ、カウンターのデザイン量が少数であっても、そのときのトレンドとは異なるため、インパクトは大きく強い。

そのインパクトが先の先をデザインしているように見える効果をもたらす。フィービーがデザインしてきたセリーヌのコレクションを見ていると、そのようなファッションデザインの理論が浮かび上がってきた。

ファッションには「次」を強烈に感じさせるデザインが絶対に必要になる。たいていその「次」は非合理的に思え、理解を得づらい。しかし、新しさが消費者の本質的ニーズであるファッションでは、非合理的に思えるデザインを実践することが最も合理的だ。重要なのは、次のトレンドをヒットさせることではなく、デザイナー自身の文学性をどうトレンドに乗せるか。当て方よりも乗せ方。それが重要になっている。

しかし、前述したようにフィービーは文学性が希薄。ただし、その文学性の希薄さがデザインのダイナミックなチェンジを可能にしている。「強烈な好き」があると、デザイナーはそう簡単に大胆にチェンジすることはできない。その「強烈な好き」が変化を拒むことがある。だが、フィービーにはそれがない。言い換えるなら究極にモダンなトレンドセッター。

モードの世界では強烈な個性こそが、デザイナーの武器となる。アントワープ出身のデザイナーはその最たる例だろう。しかしフィービーは違う。彼女のフォロワーと言えるデザイナーに誰がいるのかと言われると、正直現状思い浮かばない。

モードの世界では稀に見る希少種。それがフィービー・ファイロというデザイナーだ。

〈了〉

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