マルタン・マルジェラ論 -1989AW-

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AFFECTUS No.102

ファッションデザインの歴史上、一人デザイナーの名前をあげるとすれば、それはマルタン・マルジェラだ。なぜ、クリスチャン・ディオールでもココ・シャネルでも、イヴ・サンローランでも、川久保玲や山本耀司でもないのか。

それはマルタンのデザインが、ファッションデザインの構造に革新をもたらしたからである。ファッションデザインは、彼の登場以前と登場以降に別れる。そう表現するのは、決して大げさではないだろう。

すでにファッション界を去ってしまったマルタンだが、その影響力は未だ衰える気配がない。いや、むしろ姿を消してしまったことで伝説となり、影響力を増しているようにすら僕には思える。

マルタンのデザインを知ることは、現在のファッションデザインを理解することにつながり、新しいデザインを生み出す礎にもなる。僕はそう考え、今回のシリーズを始めることにした。これも僕の勉強のためでもある。僕自身、マルタンのデザインを理解しきれていない感触がある。マルタンのデザインを読み解く過程を、シェアできたらと思っている。

そして、そこから僕以外の誰かが書くマルタン・マルジェラ論を読むことができたなら、望外の喜びである。僕は、マルタンについての様々な視点と解釈を強く欲している。これほど、ファッションを読むことを堪能させてくれるデザイナーは他にはいない。

いったい、何が彼のデザインの特徴となっていたのだろうか。

このシリーズでは、マルタン本人がメゾンに在籍したころのコレクションを毎回ピックアップし、そのデザインが意味するものを僕なりに解釈し、詳細に述べていきたい。

今回ピックアップしたのは、デビューから2シーズン目にあたる1989AWコレクションだ。発表されたのは1989年3月。会場は“EL GLOBO”という名の地下にあるディスコだ。ショーの音楽は、ロックバンドが70年代の映画音楽をライブ演奏している。

しかし、ショーそのものに過剰で特別な演出はない。音楽を背景にモデルたちが歩いていく、実にシンプルな構成のショーだ。

映像を確認すると、会場はディスコと言っても、豪華な内装ではない。むしろ、地下のガレージと言いたくなるほど、剥き出しの作りだ。この会場の選択に、マルタンのアティテュードが見え隠れする。

豪華で豪奢な1980年代。資本がすべてだった。そう言うのはオーバーだろうか。それほど、80年代という時代はギラギラした欲が渦巻いていた。

まずは、1980年代のファッション的時代背景に触れていこう。それがマルタンのデザインを体感する手がかりになる。

80年代をリードした代表的デザイナーと言えば、名前の頭文字から「3G」と呼ばれたジャンニ・ヴェルサーチ、ジャンフランコ・フェレ、ジョルジオ・アルマーニの3人だ。彼らのデザインする高級で上質な服はキャリア層の女性たちから好まれ、ステイタスの象徴ともなっていた。この時代は、パリよりもミラノに注目が集まり、“made in Italy”に価値があった。

同時代、パリで活躍していたデザイナーはマルタンの師でもあるジャン=ポール・ゴルチエ、アズディン・アライアになる。彼らのデザインする服は、オートクチュール的豪華さや、ボディコンシャスをテーマに官能的なムードを濃厚に漂わしていた。

80年代は女性の身体の性的魅力にもっともフォーカスした時代であった。それも、当時の時代背景の影響があったのだろう。経済的にも恵まれた時代であり(特に日本は)、そこから生まれる精神的余裕が消費意欲を刺激したとも考えられる。欲望は人々のスタイルを肉欲的にする。それを証明する1980年代であった。

そんな80年代に楔を打ち込む二人のデザイナーが、パリの地に遠く日本から現れた。川久保玲と山本耀司である。1982年、二人はパリに「黒の衝撃」を与える。全身が黒い服で覆われ、穴があき、布はほつれ、貧困的に見える服「ボロルック」を発表し、西洋の価値観に根底から揺さぶりをかけた。

価値観への揺さぶり。これはファッションデザインにおいて重要なキーになる。

話が前後するが、川久保玲と山本耀司に先駆け、二人とは異なるデザインで80年代の西洋的価値観にカウンターを仕掛けるデザイナーが、西洋自身から現れる。ミラノに登場したデザイナーの名はロメオ・ジリ・彼の作り出すノマドな色と布使いのシンプルな服は、女性の身体が持つ美しさをナチュラルに表現するもので、川久保玲や山本耀司とは違う異彩を放つ。

だが、川久保玲や山本耀司、ロメオ・ジリのデザインは少数派であり、時代のメインストリームを占めたのは、官能的色気を持つボディコンシャスな服と上質で高級なステイタスあふれる服であった。

つまりこの「色気」と「高級」の2軸が主要な価値観となる。それが1980年代だった。

その時代の終わり、1989SSシーズンにマルタンはデビューする。マルタンは、東洋からの異端児であった川久保玲と山本耀司の系譜を受け継ぎながら、その表現を二人とは異なるスタイルでデザインする。そうすることで、モード史を上書きし、その系譜を今度は90年代をリードする「ミニマリズムの旗手」ヘルムート・ラングが引き継ぎ、マルタンとは異なるシティでクールな服で時代を席巻する。

少し、時代が進みすぎた。時計の針を1989年に戻したい。

デビューから2シーズン目となるマルタンの1989AWコレクションは、肉欲的な80年代を皮肉るようであった。豪華さとは無縁な地下のガレージを思わせるディスコを会場に選ぶ。ショー演出もシンプルそのもの。そして、そこで発表された服は「新しい服」には見えない。まるで、古着屋から服を買い集め、その服をそのままスタイリングしたかのような時間の経過を感じさせる古い香りを、服の一着一着が放つ。

マルタンは当時としては異例の試みを行っていた。デビューシーズンの1989SSでモデルたちが赤ペンキの靴跡を残したコットンを、1989AWコレクションで発表したジレの素材に用いている。

「常に新しくならなくてはならない」

マルタンはモードの常識に問題提起をする。

他にも驚く手法をマルタンは用いる。コートやジャケットの上からベルトでウェストを絞るのでなく、ガムテームのような太い茶色のテープを服の上から貼り付けて、巻きつけスタイリングしている。

お金のかからないチープなアプローチが、またも80年代の服を皮肉るようだ。マルタンのこういうお金を必要としないチープなアプローチは、彼の代名詞ともなっていく。

服のムードそのものも退廃的である。80年代の服とは異なり、目立つことをよしとしない服だ。マルタンのシグネチャーアイテムとも言える、くるぶし丈のロングスカートが何度も登場する。

80年代はゴルチエがそうであったように、下着がファッションデザインの重要要素として用いられていた。だが、師のゴルチエと違い、マルタンは女性から色気を消す。その象徴が、ロングスカートだ。このスカートを穿く女性モデルたちを見ていたら、僕はココ・シャネルの姿が浮かんできた。

膝を女性の醜い場所とし、ミニスカートを許さなかったココ・シャネル。彼女の提案するスカートは必ず膝が隠れる。そうすることで、シャネルは女性のエレガンスを表現していた。

マルタンは、シャネルの系譜も受け継いでいるように僕には思えた。もちろん、そのデザインはシャネルとは違う形でのフィニッシュとして見せて。シャネルよりも着丈の長いマルタンのロングスカートは、女性の肌を覆い、女性から色気を丹念に消していく。

富を否定し、色気を否定し、80年代の全てを否定する。マルタンが1989AWコレクションで発表したのは、古くて簡素な服。けれど、その服が背景に持つ概念は破壊的だった。

当時の時代背景を合わせて見ることで現れるマルタンの強烈なエネルギー。

そしてフョーのフィナーレ、モデルたちは全員白衣を着て登場する。マルタンの否定は白衣によって完結する。その姿に観客は拍手を浴びせ、歓声をあげる。見ている者たちは、モードの文脈を把握し、マルタンが何を提示しているのか、それを理解し、彼の成したことに賛辞を送ったのだ。ショー映像を見る限り、少なくとも僕にはそう思えた。

マルタンの服を見ていると、ファッションデザインの本質は課題解決ではなく問題提起にあると感じられてくる。次の時代の新しい価値観を打ち立てるために、現在の価値観に問題提起をする。

それがファッションデザインの本質。僕は今、そう感じている。そのことは前回も述べたことであるが、僕はファッションデザインをもう一度捉え直さなくてはいけないと感じ始めた。

自分の着たい服を作る。それが悪いわけではない。しかし、モードの文脈=トレンドに参加するにあたっては、その動機から生み出される服ではルールに乗らない可能性が高く、かつパワー不足にもなり、評価の対象外になる。

日本からパリへ発表の場を移すブランドたちが、皆一様にデザイン性を高めるのはその背景があるからだと私は考えている。トレンドの理解とそこへの挑戦は必須なのだ。

マルタンのデザインは、概念的な部分でのゲームが行われている。それを読み解くにはモード史の理解を必要とする。少なくとも、近辺のファッションデザインの流れ=トレンドを把握しておく必要がある。

たしかに難解だ。しかし、だからこそマルタンの服にはファッションの新しい楽しみが生まれた。「ファッションを読む」という楽しみが。

次回は翌週の30日発表を予定している。その後は少し時間を開けて、シリーズの更新は来月を考えている。

来週は1990SSコレクションのピックアップを予定。デビューから3シーズン目、新時代に突入した1990年にマルタンはどのようなデザインを見せるのだろうか。

〈了〉

参考資料
『世界服飾史』深井晃子 監修(美術出版社)
『京都服飾文化研究財団コレクション ファッション 18世紀から現代まで』深井晃子 監修(TASCHEN)
『MAISON MARTIN MARGIELA: STREET SPECIAL EDITION VOLUMES 1&2』(Street Editorial Office)
Maison Martin Margiela FW 1989-90

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