渡辺淳弥メンズ論

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AFFECTUS No.114

川久保玲、山本耀司以降の日本を代表する天才デザイナーと言えば、僕の中では渡辺淳弥になる。渡辺淳弥はファッションデザインの王道を踏まえたアプローチを取る。実験的な素材使いと女性の身体を挑戦的に表現するパターン。とりわけその特異なパターンから作られる造形は、師匠の川久保玲とは異なる魅力を放つ。

川久保玲が「これまでに見たことのない服」を作り出すなら、渡辺淳弥は「これまで見たことのある服を、見たことのない服」へと作り変えるアプローチだ。川久保玲はコブドレスが代表的なように、抽象的な造形の服を作ることが多い。けれど渡辺淳弥の作る服は、一見するとそれがトレンチコートであることはすぐにわかるが、今までのトレンチコートにはない魅力を持つ造形の服に仕上がっている。

これは文化服装学院卒業後、コム デ ギャルソンに入社してパタンナーとしてキャリアを積み重ねてきた渡辺淳弥だからこその成せる技だろう。

加えて、渡辺淳弥はファッションデザインの王道「クラシック」を手懐ける才覚を持つ。まさに日本が世界に誇る稀代のタレントだ。

しかし、そのデザインアプローチは、ウィメンズとメンズでは異なる。ウィメンズでは様々なパターンの実験が大胆に行われるが、メンズではパターンの大胆な実験による造形への挑戦を行うことは、ほとんどない。

メンズデザインにおいて、渡辺淳弥がシルエットに大きな変化を見せることは皆無に等しい。トレンドがどう変化しようと、メンズウェアのシルエットはデビュー以来、ほぼ一貫している。ワークウェアを思わせる、男性の身体に快適さ(気持ち良さ)と機能性(動きやすさ)をもたらすリラックスシルエットだ。

メンズライン「ジュン ヤワタナベ マン」がデビューしたのは2002SSシーズン。エディ・スリマンのディオール オムがデビューしたのは2001AWシーズンだった。ディオール オムの誕生により、スキニーシルエットがトレンドを席巻するが、渡辺淳弥は無関心と言えるほどに自身のメンズウェアのシルエットに変化は起きない。

また、ヴェトモンがデビューした2014SSシーズン以降、スキニーシルエットを上回るビッグシルエットブームも訪れたが、渡辺淳弥は我関せずという風情だ。あのブランドもこのブランドも見渡す限りのビッグシルエット化に、渡辺淳弥はさほど関心を見せず、リラックスシルエットをキープする(時折スリムシルエットを織り交ぜながら)。

渡辺淳弥はウィメンズほどの大胆かつ実験的パターンの挑戦をメンズでは見せないが、その代わりメンズで見せるのは服の表面で行う実験だ。その代表例がパッチワークになる。クラシックな黒のジャケットに、ストライプのグレーの生地をパッチワークする。そんなふうにして、アイテムのベースになっている生地とは異なる生地をあえて縫い合わせ、服に違和感を際立たせ、それが視覚的魅力を呼び込む。

ウィメンズが立体的なデザインであるのに比べ、パッチワークだけでなくリーバイスとのデビューコレクションで見せたテキストプリントなど、メンズはグラフィカルな要素を盛り込んだ平面的デザインである。

だが、渡辺淳弥のメンズデザインで最も特徴だと言えるのは「スタイルの横断」になる。

ジュンヤ ワタナベ マンは、まずトラッドスタイルが軸になっている。知的で綺麗でカジュアル。シャツとジャケットのスタイルが頻繁に登場するのは、その表れだろう。トラッドスタイルをベースに、ワークウェアとミリタリーをエッセンスとして加えながら、ライダースやクラシックなジャケットスタイル、アウトドア、スポーツもミックスしていく。

つまり彼のメンズデザインは、実に横断的なのだ。トラッドスタイルのクリーンな佇まいをベースにして、メンズファッションの歴史を彩ってきたあらゆるベーシックスタイルを、境界を設けず交差させ繋ぎ合わせていく。

スタイルの横断自体、特別珍しいことではない。異なるスタイルをミックスして新しいスタイルを作る。これまでモード史で何度も繰り返されてきたデザインアプローチだ。だが、渡辺淳弥の横断は大胆さと数が際立つ。

取り入れたスタイルとその組み合わせ数が多くなれば、ブランドの特徴が掴みづらくなる。そこで渡辺淳弥が秀逸なのは、シルエットに統一感を持たせていることだった。

例えば、クラシックとアウトドアにトラッドスタイル、そこにカントリーテイストも加える。それだけの数のスタイルを混合しながら破綻しないのは、シルエットの統一感があればこそだ。

あらゆる要素をデザインに持ち込むことは、デザインに視覚的面白さを呼び込む有効な手段になる。だが、その配合バランスを見誤ると、統一感が失われ、一体このブランドの特徴は何なのかと消費者に戸惑いを起こし、ブランドのデザインを認知されづらくする。

統一感が重視されるのは、その方が人間は覚えやすいからだ。だからこそ、どこかで要素の統一感を図る。それがブランドのシグネチャースタイルへと繋がっていく。

ジュンヤ ワタナベ マンでその役目を果たしているのが、ワークウェアなリラックスシルエットであり、そのシルエットがスタイルの横断をより魅力的に見せる効果を発揮している。

そして、最後に渡辺淳弥のメンズデザインで特徴と言えるのが「野暮ったさ」だ。

現在、ファッショントレンドでメインストリームとなっているのは「ダサいことがカッコいい」という価値観である。そのトレンドを作り出したのは、先ほど述べたヴェトモンの創業デザイナーでありバレンシアガのクリエイティブ・ディレクターでもあるデムナ・ヴァザリアだった。

デムナは、ファッションに新しい価値を持ち込む。これからのカッコよさは、これまでカッコ悪いとされてきたスタイルの中にある。デムナのデザインはそう語りかけてくるようだ。それをより物語るのが、デムナのディレクションするバレンシアガのメンズになる。いわゆる「ダッドスタイル(Dad Style)」と呼ばれる、垢抜けていないお父さんのファッションスタイルだ。

けれど、その垢抜けていないメンズスタイルを先行して作り出してきたのは、渡辺淳弥だと僕は捉えている。2002SSシーズンにリーバイスとのコラボからスタートした、ジュン ヤワタナベ マンは「エレガント」や「クール」を競うモードに、「野暮ったさ」を持ち込みモード化した。

ジュンヤ ワタナベ マンのアーカイブを見ていくと、渡辺淳弥はある男性像を描いていると僕は感じてきた。それは、トレンドからは外れて服を渋く着こなすセンスを持つ男性だ。洗練されたカッコよさを備える男性像ではない。一見するとその男性のスタイルはトレンドからは外れているし、目立つタイプではない。けれど、何年も着込んできた服を味わい深く着こなしをしていて、目がとまる。

「それがお洒落じゃないの?」

そう問いかけられているようだ。ファッションを使ってファッションを問い直す。渡辺淳弥のメンズデザインには、そういった深みがある。

そして、ファッションデザインの本質を呼び起こす。それは「人間を作ること」だ。ファッションデザインは、デザイナーが理想とする人間像を描き、服というモノを使ってその人間像を視覚化していく作業だとも言える。

渡辺淳弥がメンズで描いたクールさやスマートさとは無縁な男性像は、ジュンヤ ワタナベ マンがデビューした当時のモード界では異彩を放っていた。時代はエディ・スリマンの黄金期が、まさにこれから訪れようとしている時だ。ロックでエッジでスキニーなスタイルの到来だ。そんな時代に、渡辺淳弥はモード界に新しいカッコよさを提示した。

僕はジュンヤ ワタナベ マンのデビューをリアルタイムで経験してきた世代であり、デビューコレクションのことはよく覚えている。とてもカジュアルで、テキストをプリントした服。デビューコレクションの印象は、はっきり言って普通だ。テキストプリントが服に大胆に施されていたり、色使いにビビッドな面はあったが、服そのものに大胆な造形や精緻な技巧が施されているわけではない。

ただテキストをプリントしただけのカジュアルウェア。誤解を恐れず言えば、デビューコレクションはそんなファッションだ。だけど、このデビューコレクションを見た時、僕は一瞬で惹かれた。モード界に現れた「普通の服」に僕は惹かれてしまったのだ。

それはなぜだったのだろう。

今回このテキストを書いていて、その理由が浮かび上がってきた。渡辺淳弥の表現した男性像が異彩だったのだ。当時のモード界のメンズファッションで、垢抜けない男性像を描くとは誰が思うだろうか。今見れば、違和感はない男性像だ。むしろその洗練されていない様はナチュラルであり、今の時代にフィットする男性像である。だけど、ヘルムート・ラングに魅了され、ラフ・シモンズに痺れ、エディ・スリマンが見せた衝撃を体験してきた僕には、渡辺淳弥が見せたエッジでもなくセンシティブでもない男性像は想像することすらできなかった。

けれど、その男性像が新鮮な魅力となって、僕は惹かれてしまった。新しさへの挑戦は、とびっきりの魅力を放つのがモードだ。

渡辺淳弥はカッコよさを追求するモードで、野暮ったさをを提示した。その野暮ったさを作り出しのは、メンズファッションのスタイルを熟知し、それらを巧みに交配合する編集力だった。渡辺淳弥はその類稀な編集力で、これまで「カッコいい」とされてきた価値観に疑問を投げかける。

普通の服で新しさへ挑戦したジュンヤ ワタナベ マン。その姿勢はまさしくモードだった。

〈了〉

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