現代のファッションデザインは拡張する -ジャックムス-

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AFFECTUS No.131

丸や四角といった図形を取り入れたようなシルエットに、青や黄色、オレンジといった鮮やかな色に黒と白のベーシックカラーを織り交ぜたデザインは、どこかコム デ ギャルソンのよう。

一方で、南仏の海や白い砂浜、夏の官能的な匂いが上質な色気を持って伝統の美を讃えてくるシルエットを描くそのスタイルは、パリオートクチュールをモダナイズし、フレッシュな感性で街を闊歩するよう。

この二つのデザイン、実はある一つのブランドが発表していたものである。一見すると全くの別ブランドに見えるデザイン。これだけ大胆なモデルチェンジを図りながらブランドのファンは離れることなく、むしろシーズンを重ねるごとに増加を繰り返す。今やInstagramアカウントのフォロワーは80万人を超え、一つのポストに対するLike数は2万から3万になるまでに人気が高まり、ビジネスが成長しているブランド。

それが今回取り上げる、サイモン・ポート・ジャックムス(Simon Porte Jacqmus)が創業した「ジャックムス(Jacquemus)」である。

サイモンがブランドをスタートさせたのは2009年。彼は18歳で出身の南仏からパリへと移り、エスモードで学び始めたのだが、たった3ヶ月で辞めてしまう。そのため、サイモンはファッションデザインを専門的に学んだ経験がない。だが、その後サイモンは19歳でブランドをスタートさせるという早熟さを見せる。また、彼はコム デ ギャルソンで販売員として2年間働いていた経験があり、パリモードにおいてかなり異色のキャリアの持ち主だ。

ブランド名のジャックムスは母親の姓なのだが、サイモンが南仏からパリのエスモードに入学した直後に、母親は亡くなってしまう。その経験がきっかけとなってブランドをスタートさせたことを、サイモンは語っている。

ブランドをスタートさせてから2年後の21歳。パリコレクションの公式スケジュールでランウェイデビューを果たす。その時、ショーに使用できた予算はたったの3000ユーロ(当時のレートで約41万4000円)だったそうだ。彼がコム デ ギャルソンで販売員として働いていたのが、2012年から2014年の2年間。ブランドの創業が2009年ということを考えると、その道のりは決して順調でなかったことが伺える。

冒頭で述べた通り、サイモンの初期のデザインは図形的大胆なフォルムが目を惹く、コム デ ギャルソン的なものであった。日本でも話題になり、僕も実際に初期のデザインを某セレクトショップで見ていた。その時の感想が、先ほどから何度も述べている通りコム デ ギャルソンなテイストが匂ってくるデザインである。

正直に言えば、当時のジャックムスを見て僕は「日本で好かれそうなデザイン」と思い、そこに新鮮なインパクトを感じた記憶はない。

だが、アヴァンギャルドテイストが強かったジャックムスは、次第にそのデザインを変化させていく。徐々にクラシックな要素が表面化し始めていった。2017SSコレクションは、図形的フォルムが多少混ざりながらも全体の印象は、テーラードやロングドレスを白や黒といったカラーパレットで展開するクラシックスタイルである。

翌シーズンの2017AWコレクションになるとクラシックのテイストはより強まり、テーラードの数がさらに増加し、70年代サンローランの匂いも感じさせる端正で静謐なムードのデザインを展開する。しかし、そこにはまだ図形的誇張したフォルムが混じっている状態ではあった。

しかし、決定的なモデルチェンジが起きる。それが2018SSコレクションだ。発表されたのは2017年9月であるから、まだ2年も経っていない、つい最近の変革と言えよう。

当時、僕はジャックムスの2018SSコレクションを見て非常に驚いた。以前のコム デ ギャルソン的ムードが完璧に消え去り、まさに南仏の海を過ごすのにふさわしいグラマラスでエレガントなデザインが発表されたからだ。

ドレープやギャザーを駆使して立体的な形をナチュラルに作りながらも、シンプルなラインで艶っぽく女性の身体を沿っていくシルエット、クリームやサンドベージュ、イエローといった夏の砂浜を思い起こさせるカラーパレット。その色気はヴェルサーチェ的な挑発的で攻撃的なタイプではない。たしかに色気はあるのだが、健康的でいやらしさとは無縁だ。色使いは、多色ではあるがビビッドではなくトーンが控えめで優しく、ほんのりと甘さが匂う。ドレスを支える細いストラップが華奢で可憐なムードをさらに引き立てる。

伝統の美を讃える、健康的で美しく色気のあるスタイル。サイモンは新たなる領域に到達し、ジャックムスというブランドをネクストステージへ引き上げた。彼にこのような才能があるとは、僕は驚くしかなかった。

当時、ストリートのカジュアルがメインストリームを支配する時代。ジャックムスのニューモデルは、ストリートへのカウンタースタイルにもなった。

このニューモデルはさらに研ぎ澄まされていく。ストリートがアグリー(ugly:醜い)要素を強めたカジュアルスタイルを進行させるが、ジャックムスはそのコンテクストに反抗するように王道のエレガンスを突き詰めていく。細く長く女性の身体を流れていく布は、麗しさを伴ってモデルたちを美しく演出していく。派手さとは無縁の上質な美をまとうモデルたちは、誰もがその美しさの余韻に浸りたくなるエレガンスを振りまく。

シャツやコート、ドレスといったデザインのベースとなるアイテムはシンプルなのだが、シルエットの流麗さがシンプルなアイテムをモードへと昇華させている。

この控えめで美しい王道のエレガンスは、2019SSシーズンに新しくスタートしたメンズラインにも引き継がれていく。太陽に焼けたような軽く薄い色味のブルー・ベージュ・イエローといった色使いは、自分を強烈に主張するタイプの男性ではなく、人生を穏やかに謳歌する余裕ある精神性を持つ男性像をイメージさせる。リラックス感あるシルエットに乗せられたベーシックなメンズアイテムは、泥臭さや汗臭さとは無縁なワークウェアのようで、ラグジュアリーな性質さえ帯びている。バカンスを楽しむための服。ジャックムスのメンズウェアはその類の余裕と自由を漂わしている。

このように大きなモデルチェンジを果たしたジャックムス。それにもかかわらず、なぜファンは離れずますます魅了されていくのか。

誰もが抱く疑問だろう。

その秘密はInsagramにあると考える。

一度、ジャックムスのInstagramアカウントを見て欲しい(@jacquemus)。サイモンの美意識が反映されたプロフィールは、アート作品を見ているような美しさが表現されている。もちろん、Instagramには美しい写真をアップしているアカウントが他にも無数にあふれている。その中でもジャックムスの写真がファンを魅了するのは、サイモンのアイデンティティが表現されているからではないかと、僕は推測する。

ジャックムスのコンセプトは、亡くなったサイモンの母である。その母への愛情が満ちているような写真がポストされ、ファンはその暖かく優しいエレガンスに心打たれているように思えてしまう。

2019年3月9日にある3枚の写真がポストされた。その3枚は全く同じ写真である。その写真に写っているのは、子供のころの幼いサイモンと、そのサイモンを唇の端に優しい微笑みを浮かべながら抱くサイモンの母。そこには美しい文章が添えられている。

“WHEN I LOST MY MOTHER, MORE THAN 10 YEARS AGO I DECIDED TO LAUNCH MY BRAND WITH HER NAME : JACQUEMUS. TO SPEAK ABOUT HER, AND WOMEN WHO INSPIRED ME.
SHE GAVE ME FORCE AND A BIG SMILE.
THANK YOU FOREVER.
THANK YOU MAKE ME THINK DREAMS WERE POSSIBLE.
AMOUR
SIMON”

1枚目にポストされた写真のLike数は56,000を超えている。

このエモーションがファンを惹きつけ、デザインがモデルチェンジしようとファンは魅了され続けている。ファンは服ではなく、サイモンのビジョンのファンになっているのではないだろうか。サイモンは自身が見える世界を、Instagramを通し写真として表現する。

デザイナーのビジョンにファンがつけば、たとえ服のデザインが大きく変わろうとファンはついてくる。クロエ時代・セリーヌ初期・セリーヌ後期とデザインを大きく変えてもファンが魅了されていたフィービー・ファイロも、同じタイプと言えよう。

サイモンは亡くなった母親への愛情という、一生彼の記憶に刻まれる唯一無二の体験をコンセプトにし、自身のビジョンを示してファンの心をつかんでいる。

そして、ブランドビジュアルを撮影するフォトグラファー、David Luraschi(@davidluraschi)のセンスも大きい。まださほど有名ではない彼だが、ジャックムスの世界観を美しく現実世界から切り出している。

ブランドがファンを魅了し、ビジネスを成長させるものは服という具体的商品だけとは限らない。今、ファッションはファンが目に触れるものすべてが商品と言える。そのすべてをデザインするのが、現代の最先端ファッションデザイナーだ。サイモン・ポート・ジャックムスは、時代の最先端を走るモダンなデザイナーだ。彼は愛情という目に見えないものさえデザインする。

ファッションデザイナーがもっとも力を注ぐべきものが、服ではない時代がやってくるかもしれない。

〈了〉

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